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劇団四季の「ジーザス・クライスト=スーパースター」を見てきました

 先日、地元のホールに劇団四季がやってきて「ジーザス・クライスト=スーパースター」(以下“「ジーザス」”と略)の公演があったので、見てきました。徒歩十分の会場でミュージカルが見れるんだもん、行かないわけには参りません。

 劇団四季の「ジーザス」に関しては、以前から見たい見たいと願っていました。でも、なかなか上演してくれないし、してくれても日程が合わなかったり、チケットが入手できなかったりで、見に行くチャンスがなかったのですよ。今回の上演は、専用の四季劇場でなく、地元の汎用ホールでの上演なので、多少残念になってしまう部分はあるだろうけれど「まあいいか、大好きなミュージカルだもんなあ…」って感じで行ってきました。

 劇団四季の「ジーザス」、よかったですよ。さすが、現在の劇団四季の土台を作った演目だけあります、実に見事で楽しい舞台でした。演出も分かりやすかった(エルサレム版で見ました)し、アンサンブルの人たちのダンスの切れがすごかったし、照明が実に効果的に使われていて、シンプルな舞台なのに、目が離せませんでした。

 「ジーザス」というミュージカルは、現在、三種類のDVDで入手可能ですが、劇団四季のモノは、そのいずれとも違っているし、どれよりも躍動感のある舞台だったし、なによりも日本語上演だから分かりやすいし、実に良かったです。点数にすると…85点ぐらいかな? やっぱり、残念な部分もないわけじゃないんです。

 どこが残念だったのかと言うと…本拠地での公演ではないから仕方ないのだろうけれど、カラオケ上演だった事です。つまり、今回のツアーにオーケストラを帯同していないってことね。なぜそれが分かったのかと言うと、私が座った席が、本来ならオケピになる場所だったから。私がこの場所に座れるというのは、オケピを使っていないって事だから(笑)。

 「音楽の伴奏なんて、生でもカラオケでも変わらないじゃん」 いえいえ全然そうではありません。

 舞台と言うのは、役者と観客で作っていくものです。しかし舞台でカラオケを使ってしまうと、観客の動きに役者が反応する事が出来なくなってしまい、舞台が役者たちのヒトリヨガリになってしまうんです。

 例えば、役者さんがとても素晴らしいパフォーマンスを見せてくれたとしましょう。観客は喜んで拍手します。普通なら、拍手が起こると、舞台は止まり、拍手の鳴り休むのを待ちます。そして、役者たちは観客に受け入れられた事に喜び、さらに熱を入れて舞台を続けます。しかし、カラオケ上演だと、拍手が鳴り始めたところで、もう次のシーンに入ってしまいます。結果として、拍手がバラバラと鳴り始めては、次のシーンの役者の歌にかぶさり、パラパラと尻つぼみ的に拍手が終わります。それって、実に舞台がしらけてしまうんですね。「だったら、最初から拍手なんかしないほうがいいや…」って気分になってしまいます。観客がそんな気分になったら、その気分が舞台の上の役者さんたちにも伝わるだろうし、観客だって舞台に反応できなければ、つまらないよね。

 それに、見ていて分かったのは、役者さんが歌や芝居にノレばノルほど、カラオケに合わせて歌うのが辛そうだった事です。そこはもっと伸ばしたいのだろうなあ、そこはもっとテンポよくやりたいのだろうなあ…なんて事が客席の私に伝わるんですよ。

 演劇の素晴らしさではなく、演じる事のチグハグさが観客に伝わるなんて、そりゃあダメでしょ。

 今回は、ミュージカルにおけるテンポの管理者である指揮者の役割の大きさを、実に感じたものです。

 やはり、カラオケ上演って、色々と無理があると思います。しかし、上演コストや移動の大変さを考えると、ツアーにオケを連れていけない事も分かります。そういう意味では(特に四季のように専用劇場のある劇団では)、その劇団のホームとする劇場での上演を見るべきであって、ツアー、つまり、引っ越し公演に多くを求めてはいけないって事ですね。これは、ミュージカルに限らず、オペラでもそうなんだろうなあって思います。

 と言うわけで、カラオケ上演だったので、15点引きましたが、それ以外の面では、好き嫌いによる不満は少々あっても、おおむね満足出来る、良い上演でした。

 それにしても劇団四季は頑張ったと思いますよ。と言うのも、元々「ジーザス」というミュージカルは、世界的には大ヒットミュージカルなんですが、日本人には内容が難しいミュージカルだと思います。なので、日本では、全然ヒットしなくても当然なのに、それをここまでのエンタメにしあげた劇団四季の手腕に脱帽です。

 と言うのも、日本人って、ミュージカルにストーリーを求めるでしょ? でも、ミュージカルって、ストーリー重視のモノもあるけれど、音楽重視だったり、ダンス重視だったりして、ストーリーが軽視されている作品もあります。その手の“ストーリー軽視型のミュージカル”って、日本ではほぼヒットしません。と言うのも、日本人は言霊の国の人なので、どんなモノであっても、そこに意味や物語を見出そうとするからです。ですから、ストーリー軽視のモノは、ミュージカルに限らず、日本人のウケが悪いのです。

 実は「ジーザス」というミュージカルにはストーリー軽視どころか、ストーリーがありません。と言うのも、ストーリーは観客の心の中にすでにある…という前提で劇が進むからです。この「ジーザス」を“ロック・オペラ”だと言って持ち上げる人がいますが、私はそうは思いません。ストーリーが観客の心の中にあるという前提での作劇なら、それは“オペラ”ではなく“オラトリオ”だからです。なので、この曲は“ロック・オラトリオ”、もう少し狭めて言えば“ロック・パッション(受難曲)”というのが「ジーザス」の本当の姿だと思うのです。

 そしてオラトリオや受難曲ほど、日本人にウケないジャンルの音楽って無いと思います。

 欧米の観客たちの心の中には「ジーザス」のストーリーはすでに入っています。そりゃあ、そうだよね。だって、このミュージカルは“キリストの最後の7日間”を描いた作品なんです。だから、狭いジャンルで言えば“受難曲”って事になります。そして“キリストの最後の7日間”を描いた作品は、他にもたくさんあるわけで、彼らにとっては、このテーマは常識中の常識なんです。隅から隅まで『知らなきゃ恥!』ってストーリーなんです。

 でも、多くの日本人にとって“キリストの最後の7日間”なんて「なにそれ? 美味しいの?」の状態でしょ? どんな話なのか知らないのも当然だし、登場人物たちの背景も思惑も何も知らないでしょ? もぢろん、ミュージカルの中でも、それらの説明は一切ありません。だって、観客がそれらについては熟知しているのが前提で上演されているんだから。だから、この手のモノは、観客が舞台で演じられる、それぞれのシーンを見ながら、自分たちの心の中にあるストーリーと照らしあわせて「ふむふむ」と思いながら見るタイプのミュージカルなんですよ、これって。

 そんな性質の、説明不足も極まりないミュージカルを、日本人に分かったような気にさせる演出をほどこした劇団四季は、すごいと思います。

 さて、実は私、前々から「ジーザス」というミュージカルが大好きなんですよ。

 このミュージカルは、ロイド・ウェーバーの作品なんですね。「キャッツ」や「オペラ座の怪人」「エビータ」と同じ作曲家の作品なんです。私の大好物な作曲家ですね。おまけに、セリフがほとんどない、オペラと同じように音楽だけで劇が進行していくタイプのミュージカルなんです(ロイド・ウェーバーの作品には、そういうタイプが多いですね)。おまけに、音楽がロックなんです。いわゆる、ロック・ミュージカルですが、そのハシリとなった作品です。

 この作品は、元々は舞台作品ではなかったんだそうです。最初は1970年発売のコンセプト・アルバムだったんです。私も最初に「ジーザス」を知ったのは、このアルバムでした。初めは何がなんだか分からなかったのですが、やがて聴きこんでいくうちに、音楽に惚れてしまいました。ですから、私にとっての「ジーザス」というのは、このコンセプト・アルバムだったんです。

 やがて「ジーザス」は舞台化され、映画化され、日本でも劇団四季による上演がはじまりました。劇団四季による録音(当時ですからCDもビデオもDVDもなく、レコードでしたが)も発売され、それも購入して聞いた私でしたが、なんか違和感を感じてましたし、映画(1973年版)も見ましたが、なんか“これじゃない感”がして、嫌いでした。何というか、私自身、音楽至上主義みたいな惚れ込み方をしていたのかもしれません。まあ、若かったのでしょうね(汗)。

 やがて時は経ち、今に至るわけです。

 今回の当地での上演を踏まえて、昔よく聞いたコンセプト・アルバム(レコードではなく、さすがにCDに買い替えましたが)を聞き直しましたが、やっぱりいいですね。




 映画(1973年版)も改めて見直しました。昔と同じ“これじゃない感”は、やはりありましたが、この映画の持つ素晴らしさも同時に分かるようになりました。だてに年は取ってないって事だね。映像が実に素晴らしいんです。で、これが時々音楽を喰っちゃうし、演出が奇抜で、これも音楽を喰っているんだね。つまり、音楽とその他の要素のバランスが良くないんです。さらに言うと、この映画も日本人の感覚で言えば、やっぱり色々と説明不足な部分があります。さらに、現在発売されているDVDだと、字幕が悪いのが残念です。何がダメなのかと言うと、ユダの持っているジーザスに対するリスペクトが全く字幕に反映されていないのです。きちんと英語(原語ね)ではリスペクトしながら話しているのに、この字幕ではリスペクトどころか、ユダは常にジーザスに苛ついているようなんですね。それって違うんじゃないかなって思います。

 21世紀になってから制作された映画も見ました。

 2000年版(映画)の方は、作曲家のロイド・ウェーバーが、その制作に全面的に関わっているそうなので、映像が音楽を喰ってしまうような事はありません。いや、それどころか、まず音楽ありきの映像作りです。つまり、音楽とその他のバランスがよく取れていて素晴らしかったです。おそらく、作曲家のロイド・ウェーバーが当初思い描いていた「ジーザス」ってこういう感じのミュージカルだったんでしょうね。このDVDは字幕も適切だし、安価ですから、気軽に「ジーザス」を楽しみたいなら、これが良いかもしれません。

 もちろん、最近発売された2012年版の映画も見ました。こちらは、映画と言っても、ロケでもなければ、映画セットで撮影したものでもなく、いわばライブ映像なんですね。それも劇場ではなく、何万人も収容可能なアリーナで上演されたものをライブ・ビューイングの手法で映画として制作したというものです。こちらにも作曲家のロイド・ウェーバーは関わっているようで、アリーナ公演向けに楽曲の一部を手直ししているそうです。なので、現在のところの「ジーザス」の決定版は、この公演のものなのかもしれません。少なくとも、演奏も歌唱も演技も演出も素晴らしいですよ。欠点があるとすると…字幕かな?

 アマゾンでも散々酷評されている通り、字幕が少しばかり簡素です。でも、困るほどではないので、アマゾンの酷評は少々厳しいかなって個人的には思います。少なくとも、ストーリーを追いかけるのに十分な字幕がついてます。

 このDVDに付いている字幕は、おそらく劇団四季で使っている上演用の訳詞を元にしているものと思われます。もしも、このDVDの字幕で不足しているなら、劇団四季の上演でも不足を感じるはずですが…決してそんな事はありませんよ。きちんと感動できますから、ご安心を。ただし、英語が分かる人が聞けば、アレコレ抜け落ちているのは分かると思いますが…字幕って本来そういうものでしょ? 限られた字数の中で最大公約数的な訳をつけるのが字幕です。完璧な訳文を字幕に期待する方がどうにかしていると、私は思いますよ。字幕に、そんなダラダラと長い訳文をつけたら、それを読むのに忙しくて、肝心の音楽や歌、役者の演技や演出の巧みさなどを見逃してしまうでしょ? だから字幕はストーリーを最低限追える程度あれば、後は字幕以外の情報から察すればいいわけです。それに納得できないなら、字幕に頼らずに原語で映画を楽しめばいいのです。幸いに「ジーザス」は英語のミュージカルだし、英語なら、学ぶのも容易でしょ!

 で、これら三種類のDVDのうち、どれが私の一番の好みかと言うと…2012年のアリーナ版かな? ただし、2000年の映画版も僅差で捨てがたいです。1973年の映画版は…個人的にはありえないかなって思います。やっぱり、1973年版は、何か違うような気がします。とは言え、これはあくまでも私の個人的な好みの問題です。ネットを見ていると、「1973年版が一番いい!」という人が圧倒的多数を占めているので、私は少数派かもしれません。

 どちらにせよ「ジーザス」は、とっても良いミュージカルだと思います。ただし、キリスト教に関する素養はたっぷりと必要としますが(笑)。

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コメント

  1. tetsu より:

    こんばんは。
    変なところばかりに反応してしまいましたが。

    > カラオケ上演だった

    ミュージカルはホールでの経験はありませんが、バレーはオケ付で毎年、年末に見ていました。逆にいうとこちらは生オケ付でないバレーは見たことがありません。かみさんの話では超一流の方のときはカラオケでもバレーを見るだけのために行くことは珍しくないようですが。

    > そしてオラトリオや受難曲ほど、日本人にウケないジャンルの音楽って無いと思います。

    そうなんですか?ビックリです。最近は時間と機会がなくて行かなくなってしまいましたが、年末の「第九」は行かなくてもイースターの頃のJ.S.バッハの「マタイ受難曲」は聴きに行っていました。年末は同じJ.S.バッハの「クリスマス・オラトリオ」をかけっぱなしです。

    失礼しました。

  2. すとん より:

    tetsuさん

     私も、たぶん、カラオケ上演を見るのは始めてです。まあ、オペラとかミュージカルの場合は、オケ付きが理想ですが、実際は、ビッグバンド演奏だったり、ピアノ伴奏だったり、エレクトーン演奏だったとかの話もよく聞きます。私もビッグバンドが伴奏していたり、ピアノだけ、ピアノと管楽器だけとか、弦楽器とピアノだけとかのスタイルでのオペラを見たことがあります(実はエレクトーン演奏のオペラは、まだ経験がないんです)。オケをつけちゃうと、それだけで経費が沸騰しちゃいますからね。日本のオペラの場合、出演者へのギャラが[一部]現物支給(主にチケット)で支払われることも珍しくないそうですから、できるだけ経費を抑えて上演したいので、伴奏が簡素になってしまうのは、仕方ないのかもしれません。

     なので、日本のオペラ団ではなく、海外歌劇場の引っ越し公演の方に、ついつい足が無かってしまう事は、仕方ないことだと甘受している私です。

    >イースターの頃のJ.S.バッハの「マタイ受難曲」は聴きに行っていました。

     いいですね、私も行きたいですよ。たぶん、15年ぐらい前に見たきりだと思います。こっちでは「マタイ受難曲」の上演そのものが、まずありませんから(笑)、行きたくてもいけません(涙)。オペラなら年に数回程度上演しているし、交響曲だともっと聞くチャンスがあるんですが…ね。

  3. あち より:

    初めまして。四季のジーザス関連でお邪魔します。
    私、今年初めて全国公演でジーザスを観たのですが、余りの分からなさに、、、
    その余りの分からなさに衝撃を受けました笑

    ただ、曲が好きだったので、何度か観に行ったのですが、曲、歌には感動できますが、物語にはまっっったく入って行けませんでした。
    このミュージカルで泣きまくる人の話などよむと、羨ましくて笑

    こちらの記事を先に読んで行けたらと思いました!なんて素晴らしい分析、解説!!
    そして、知識不足ながらも、その通りだ!私が感じた違和感はそこだ!と心で納得できました。
    ありがとうございます。
    これであの置いてけぼり間も緩和されます。多分、、
    私にはどこに物語があるか分からず、不安だったのです。もともとなかったとは。

    私はミュージカルは自分にとっては、コンサートじゃないかな、とおもうくらい、音楽重視で行ってしまいますので、ミュージカル、実は好きじゃないのかも。と、特に今回のジーザスで疑いを深くしていたのですが、こちらの記事を拝見して、このミュージカル自体の性質が違うと気付かされ、非常に勉強になり、また、物語や意味を求める姿勢と言うのも発見でした!!なんだか、歌の為に行ってる自分は、わかってないやつなのかと、、ジーザスにはもっと何かあるのに、見過ごしてるのか!と、思っていたので。

    舞台と言うものの性質も色々深いのですね。そして、生オケで観てみたいと思いました。歌と伴奏が一体になったらどれだけ素晴らしいかと!

    四季のジーザスはある程度の意味付けをされていると言うことなのですかね。でも、歌詞はよくわかりません、、英語版だととても話がわかるのですが。役者の歌はとても良かったです。

    こちらで紹介されていたものも見てみたいです。余りに違うのは知ってるのですが、、音楽的に!四季はロックには感じなかったですが、本当に海外のはロックでカッコ良い、、

    長々とすみません。とても興味深い記事で、ある意味救われましたので笑、つい書いてしまいました。

    また見る機会があったらその時は純粋に音楽的に楽しめそうです。多分、、本当は物語に泣いてみたいのですが笑

    ありがとうございました!

  4. すとん より:

    あちさん、いらっしゃいませ。

     「ジーザス~」は実に感動的なミュージカルなんですよ、ストーリーさえ、観客がきちんとわきまえていれば…。そうでなければ、世界中でロングランなんてしませんよ。

     ただ、いくら演技が付いていようと、この曲の本質は「受難曲」なんだと思います。だから、真に感動するためには“信仰”ってヤツが必要なんです。「私の罪のために身代わりとしてキリストが死なれた」ことに対する感謝の気持ちが感動につながっていくのだと思います。

     劇団四季の上演は、信仰のない一般的な日本人が楽しめるように工夫した「ジーザス~」だと思います。ですから、劇団四季版では、ストーリーはさておき、思いっきり、音楽とダンスを愉しめばいいと思います。実際、ダンスに関しては、DVD版のいずれよりも充実していますよ。それにストーリーの説明も、演技でだいぶ補ってくれているし。ほんと、親切な造りになっていると思います。

     私も、またチャンスがあったら「ジーザス~」を見てみたいですよ。

  5. あち より:

    すとんさん

    そうなのですね。四季のが親切だったとは!

    でも、元々、このミュージカルは、キリストが神ではなかった、と言う所から発しているのかと思っていました。
    私はネットで、オーストリアの舞台を丸々観たのですが、すごく話がよくわかり、ジーザスの立ち位置、人柄がわかり、また、ユダの潔癖さや、賢さと言うもの、だからこその苦しみに涙することができました。
    四季では、宗教劇に感じ、そこに、このジーザスクライストと言うお芝居の面白さがなくなってしまっているのでは、と思ったのですが。
    やはり、キリストが罪を被ってくれた所が感動なのでしょうか。

    私は、ピラトが言う、この人には罪などない。と言う言葉が自分の中でしっくり来た時に、やっとキリストに哀れを感じられました。

    ダンスは素晴らしいのですね。色々見比べたらそれぞれの良さがわかりそうですね。
    次また見る機会があればもっと気楽に楽しめるといいなぁと思います!

  6. すとん より:

    あちさん

     ストーリーが観客の心の中にあるように、感動もそれぞれの観客の心の中にあるんだと思います。

     『キリストは神ではなかった』とは、ミュージカルの中では言われていない…と私は思ってます。キリストは神であると同時に人でもあるのですから、人として、もう少し上手にやれたなら、色々と変わったのに…という視点でミュージカルは…と言うよりも、ユダはそういう視点なんだろうと思います。終曲の「スーパースター」はそんな曲だろうと解釈しています。

     もっとも、この劇は、ユダとキリストとマグダラのマリアの三角関係を描いているとも言えます。また私は、人としてうまく立ち振る舞えなかったキリストやユダに対して、描かれていないけれど、成功者としてのパウロの影が有るのかもしれません。

     そして最も困難を感じさせるのは、作曲家自身が、このミュージカルの時代設定を現代に置いているという事。聖書の時代の2000年前ではなく、現代劇として設定しているという事。だから、音楽がロックンロールになるんですね。

     私はこのミュージカルが、とても荘厳な宗教劇に感じられます。でも、ぞれは私の感じ方であって、どのように感じるかは、このミュージカルを見た人それぞれが感じればいいわけだし、それを許すほどに懐の大きなミュージカルだと思ってます。

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