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メトのライブビューイングで『ナブッコ』を見てきました

 表題の通り『ナブッコ』を見てきました。今回の目玉は、レヴァイン指揮&ドミンゴ主演ってところでしょうか? レジェンド二人がタッグを組んでの登場なのです。

 『ナブッコ』はヴェルディの初期の作品で、彼の出世作であります。主役のナブッコ王は、史実で言うところのネブカドネザル2世で、オペラは彼が行ったバビロン捕囚にまつわる話ですが、オペラのストーリーはあまり史実には忠実ではありません。オペラの原作は、聖書のダニエル書という事になっていますが、ダニエル書とはストーリーが全然違います。まあ、バビロン捕囚とネブカドネザル2世という枠組みを借りて作ったオリジナルストーリーのオペラと思っても間違いないと思います。

 ストーリーをごく簡単に説明すると、ナブッコと上の娘であるアビガイッレがエルサレムを占領するが、ユダヤの大祭司ザッカーリア(聖書で言うところのザカリア)は、ナブッコの下の娘であるフェネーナを人質に取っているので大丈夫だと民を落ち着かせる。しかし、フェネーナを危ない目に合わせたくないイズマエーレ(ユダヤの王子にしてフェネーナの恋人)がユダヤを裏切ってフェネーナを助けたためにエルサレムは占領され、神殿は破壊されてしまう。その後、フェネーナはユダヤ教に改宗し、ユダヤ人たちに受け入れられ、イズマエーレの裏切りもチャラとされた。一方、バビロンではアビガイッレによるクーデターが勃発して、ナブッコは精神落乱状態となり、王座を追われる。アビガイッレはユダヤ人の皆殺しを命じる。ユダヤ教に改宗したフェネーナも殺されてしまうと知り、正気を取り戻したナブッコはユダヤ教に改宗し、王座を奪い返して、ユダヤ人たちの故郷への帰還を宣言する。アビガイッレは毒をあおって死んでしまう。まあ、こんな感じのストーリーです。

 ほら、史実とも聖書とも全然違う話でしょ?

 二人の娘のうち、上の娘のアビガイッレはオペラの実質上の主役で、ストーリーは彼女を中心に動きます。下の娘のフェネーナがいわゆるヒロイン役となります。なぜアビガイッレがクーデターを起こしたのかと言えば、彼女はいわゆる庶子で女奴隷の娘であったのに対して、妹であるフェネーナは正妻の娘だったので、このままでは王位はフェネーナが継承してしまう事と、実はアビガイッレは実力者であり、王宮の家来たちの人望もあって、彼らもフェネーナではなくアビガイッレを次期の王として期待していたというのもあるみたいです。まあ、しょせんフィクションなんですがね。

 『ナブッコ』は、ヴェルディの初期の出世作として有名ですし、イタリアでは人気演目だそうですが、他の国での上演は滅多にない、どちらかと言えばマイナーな演目です。メトでも50年ぶりの上演なんだそうです。まあ、作品自体は、悪くはないけれど、特にウリはありません。キラーソングが合唱曲の「行け、我が想いよ、金色の翼に乗って」であって、アリアには有名な曲はありません。このオペラは、重唱と合唱で引っ張っていくアンサンブルオペラだと思います。

 メトの演出はストーリーに沿った分かりやすいモノで、いかにもメトだなあ…という感じの演出でした。

 出演歌手は、ソリストも合唱もみんな巨漢ばかりでした。特にソリストは、女性も含めて、ほぼ皆ビヤ樽体型でした。なので、ビジュアル的にはすごく難がありました。合唱団が大勢いるので、彼らに負けない歌声の歌手を揃えようとすると、巨漢体型の歌手にならざるをえなかったのかもしれません。

 歌の出来は合唱を含めてよかったです。ただ一つの難点がテノールのラッセル・トーマスかな? とは言え、彼の責任というよりもキャスティングの問題でしょう。トーマスが演じるイズマエーレはユダヤの王子様なんだけれど、トーマス自身は黒人なんですよ。別に人種偏見うんぬんは無いつもりだけれど、さすがに黒人が黒いままでユダヤの王子を演じるのは、違和感バリバリでした。おまけにトーマスは声が重いテノールなので、バリトンを歌っているドミンゴと、ほぼ同じ音質(笑)…って、ほぼ同じ(大笑)。ドミンゴとの差を出すためには、イズマエーレ役にはもっと声の軽いテノールの方が良かったんじゃないかと思うわけです。

 さて、ここから本題。注目はドミンゴの歌唱でしょう。一時代を作った3大テノールの一人であるドミンゴがバリトンに転向してのオペラです。彼がバリトンに転向したのが70歳になった2010年ですから、もう7年もバリトンをやっているわけですが、私はほぼ始めて見ることになりました。なお、世間的には彼のバリトン転向には、毀誉褒貶色々あります。

 ドミンゴは、そもそもがバリトンだったそうです。学生時代はバリトンとして勉強を重ねて、オペラ歌手になったわけですが、彼が駆け出しの頃、バリトン役でオーディションを受けたところ「君はバリトンではなくテノールだ」と言われて、テノールで合格してしまったのだそうです。そこで、一生懸命テノールの勉強を重ねて、テノールになったのがドミンゴなのです。

 そもそもがバリトンとして勉強したドミンゴなので、彼がテノールとして活躍していた頃も「まるでバリトンのような声だ」とか「高音は不安定だ」とか散々言われていたわけですが、それらの悪評を乗り越えて、美しい中低音と甘いマスク、安定した演技で一時代を作ったわけです。

 その彼が年を取ってテノールからバリトンに転向したわけです。元々高音に不安があったわけですが、いよいよ高齢に達して、高音に無理を感じてバリトンになったと、巷では言われています。まあ、それ以前にドミンゴは今年で77歳になるんです。普通の歌手、特にテノールは50代で引退しますから、歌っている事自体が奇跡みたいなものです。高音に無理があっても仕方ないです。

 …そんな情報を仕入れて、バリトンを歌うドミンゴを聞いた私です。以前、『エンチャンテッド・アイランド~魔法の島』でバリトンのドミンゴを聞いてますが、あれはカメオ出演みたいなものだし、あのネプチューンという役そのものが、ドミンゴのために作られた役なので、あれは除外です。本格的バリトンとしてのドミンゴを聴くのは、実は今回が始めてな私でございました。

 バリトンのドミンゴを聞いた私の感想は「これはバリトンじゃないよ、テノールだよ」です。ドミンゴが歌っている音域はもちろんバリトンの音域なのですが、音域がバリトンなだけで、声そのものはテノール時代のドミンゴの声と同じです。つまり、ドミンゴはテノールの声でナブッコというバリトン役を歌っていたわけです。

 だいたい、テノールとバリトンって、音域的には高音(五線上のラシドの3音)があるかないかだけで、後はほぼ一緒なんですよ。じゃあ、高音が出ればテノールで、出なきゃバリトンなのかと言えば、それは違うわけです。やはりテノールとバリトンを分けるのは、声の音色であって、だからこそ“高音の出ないテノール”とか“高音大好きなバリトン”などがいるわけです。

 ドミンゴの歌声は今でもテノールです。リリコスピントという種類のテノールの歌声です。実際、彼はオペラの舞台ではバリトンを歌いますが、コンサートでは今でもテノールの歌を歌います。高音は…おそらく若い時よりも厳しくなっているのかもしれませんが、出ないわけじゃなさそうです。

 ではなぜ、ドミンゴはバリトンを歌うのか…いや、質問を変えましょう。なぜドミンゴはリサイタルではテノールの歌を歌うのに、オペラの舞台ではテノール役を歌わないのか?

 そう考えると、自ずと答えが出てきます。ドミンゴはすでに70歳を越えました。誰がどう見ても老人です。もはや、それは舞台化粧でごまかせるモノではありません。

 普通のストレートの役者なら、年を取るにつれ、自分の年齢にふさわしい役を演じるだけです。でも、オペラ歌手には声種という縛りがあり、異なる声種の役を歌うことは基本的にしません。しかしテノールという声種には、基本的に若者の役しかないのです。70歳を越えた老人が若者の役をやる…さすがにそれは無理でしょう? 自分の孫よりも若い年齢の歌手の恋人役ができるわけもありません。だから、70歳を越えたドミンゴには、テノールの歌は歌えても、テノールの役はできないのです。

 大半のテノール歌手にとって、それは大きな問題ではありません。なぜなら、大半のテノール歌手は、年を取って老人になる前に引退するからです。50歳を過ぎたあたりから、体力が衰え、仕事のオファーが減ってきて、自然と引退するものです。だから、老人のテノールが歌う役など無くても全然構わないのです。

 ちなみに、3大テノールは売れっ子で、仕事のオファーが途切れなかった事もあって、いずれも現役時代が長く、カレーラスは62歳で、パヴァロッティは69歳で引退しています。ドミンゴが70歳でテノールからバリトンに転向し、77歳の今でも引退せずに歌っているのは、ほんと奇跡みたいなものです。

 さて、オペラの老人役は、たいていバリトンかバスです。だから70歳を越えたドミンゴは、バリトンに転向した…のだと思いました。つまり、声が出なくなったから…と言うよりも、老人役を歌うためにバリトンになったわけです。

 実際、ドミンゴがバリトンに転向してから歌っているのは、今回の『ナブッコ』をはじめ、ヴェルディ作品でバリトンを主役にしたオペラばかりです。で、そのバリトンはたいて、父親役であって、老人のドミンゴが演じてもさほど違和感のない役ばかりなのです。

 で、さらに言えば、それらのバリトン役は、父親役であるがためにバリトンに振られた役ですが、同時にオペラの主人公でもあります。主人公ですから、ただ単に低い声なだけではダメであり、低い上に、力強くて華やかな声でなければなりません。リビング・レジェンドであるドミンゴの声が力強くないはずはなく、華やかでないわけがありません。ある意味、ヴェルディのバリトン役は、主人公の声を持った老歌手がやるべき役なのかもしれません。そう考えると、ドミンゴがヴェルディのバリトン役にこだわっているのも分かる気がします。従来は存在しなかった、老テノールの役として、これらのバリトン役を歌っているのではないかと、私は思うのです。

 実際、ドミンゴのナブッコは良かったですよ。声は全然テノールだったのですが、それでも全く違和感ありませんでした。もちろん、他のバリトン歌手の歌声と較べてしまえば軽い声なのですが、それがナブッコという役を演じるのに何か不足があるかと言えば、特に無いと言えるでしょう。それくらい、彼は彼なりにナブッコを自分の役として歌い演じていました。

 ドミンゴはバリトンに転向したのだけれど、それは身も心もバリトンに成り切ったわけではなく、老いたテノールとしてバリトン用に作曲された役を歌っている…というふうに私は感じました。

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コメント

  1. 証拠品A より:

    今晩は。私も見ました!メトの「ナブッコ」。
    主役の女性2人、多分100Kg超えてると思う(^^;)
    開始からしばらくは、ビジュアルが邪魔をしてストーリーに没頭出来ませんでした。なので次の「ロミオとジュリエット」のグリゴーロに期待してます。
    ドミンゴ、77歳なんですか!それは凄い!ただドミンゴの声が軽く、「ナブッコ」の威厳を感じるまで時間がかかりました。
    劇の途中で「行け我が思いよ」が、アンコールされたのに感激。よくあることなんでしょうか。

  2. すとん より:

    証拠品Aさん

    >開始からしばらくは、ビジュアルが邪魔をしてストーリーに没頭出来ませんでした

     ははは、私もそうです。いやあ、なんでオペラに関取が出てるのかな…とマジで思いましたもの(爆)。

    >次の「ロミオとジュリエット」のグリゴーロに期待してます。

     私もです。次は、声だけでなく、目もうっとり出来そうですよね(期待大)。

     ドミンゴの歌唱&演技に関しては、色々思う人もいるでしょうし、それもオペラの楽しみ方の一つですから良いと思いますが、私に言わせれば、今回のナブッコは、威厳は確かに多少欠けるキライがありましたが、ヒーローチックで良かったでしょ。一幕とか四幕とかは、ほんと、カッコ良かったと思うんです。

    >劇の途中で「行け我が思いよ」が、アンコールされたのに感激。よくあることなんでしょうか。

     なんでも、あの合唱曲は、割りと多くの歌劇場でアンコール演奏される曲なんだそうです。これ、豆知識です。

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