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感謝の言葉を言える人でありたい[2014年2月の落ち穂拾い]

 この年になって言うのもアレだけれど、私は“感謝の言葉を言える人間”であり続けたいと願っています。

 感謝の言葉と言っても、そんなにおおげさな事ではありません。他人の親切や好意には、たとえ小さなモノであっても「ありがとう」と言えるような人でありたいと願っています。いや、口癖が「ありがとう」になっているくらいが、私の理想です。

 特に職業的に今のポジションになってから、自分が動く事よりも、若い人たちに指示を出して動いてもらう事が増えてきました。私の命令(時に無理難題もあるわけです)に素直に従って働いてくれても、それは職務命令なんだから当然と言えば当然なんだけれど、そこを当然とは思わずに、必ず感謝の言葉や労りの言葉をかけてあげる…という事に気をつけています。

 と言うのも、自分が若い時に、仕事で大変な思いをした時に、上司から「ありがとう」とか「よく頑張ったな」って言ってもらえると、何の実益もなくても「上司は自分の仕事をきちんと見ていてくれたんだ」と思えて、それだけでうれしくなったものです。ですから、今は私が若い人たちに、忘れずに感謝の言葉をかけてあげられるように、気を使ってます。

 ですから、逆に、他人に感謝をしない人を見ると、ムカッときます。まあ、これも私の人間が小さいせいでしょうが、たとえ相手が私でなくても、他人に施されて当然、他人が自分に仕えるのが当たり前、そんな態度の人を見ると、許せなくなります。

 もちろん、自分の部下なら、呼び出して説教です(笑)。これは部下が憎いからではなく、部下の行く末を心配しての教育的配慮って奴ですが…これがなかなか難しくて、ほんと、今どきの若者…と言うよりも、今どきの中年オヤジって、跳ねっ返りも多くて、説教も難しいですね。

 でもまあ、自分の部下なら自分の管理下にいるわけですから、愛ある説教(?)もできますが、問題は、いい年した他人様ですね。具体的に言いませんが、他人が自分の仕事を代行してくれるのが当たり前だと勘違いしている、いわゆる“先生”業の方を見かけると、その人の底の浅さを感じて、こっちまで憂鬱な気分になります。

 「先生、先生と呼ばれて、いい気になっている奴ほど、見苦しい人間はいない」

 これは私がいわゆる先生業に着く時に、当時の先輩から教えてもらったひと言です。私は、このひと言で、人生を過たずに済んだような気がします。だから、今度は私が若い人たちに、見苦しい人になって欲しくないので、色々と説教するわけです。

怒らない事は難しい?

 私は若い時に「他人に怒りの感情を持つ事をやめよう。常にその人をありのままに受け入れるようにしよう」と心に決心しました。十代の時の話です。

 それ以来、なるべく自分の怒りの感情をコントロールしてきました。それでも、世の中ってのは理不尽ですから、そんな私でも、時に怒りを感じざるを得ない事だってあったわけだけれど、それでもその怒りを自分の心から切り離して、怒りに自分の心を捕らわれないようにしてきました。

 だって、怒り狂っている人って、見ていて、カッコ悪いでしょ? それに怒ったからと言って、物事が好転することってマレで、大抵の場合、怒りにかまけた行動をしていると、ドツボにはまったり、その一時は良くても、長い目で見ると、大きな損をしていたり、他人からの信頼を失っていたり…まあ、怒りは人間の持つ感情の中でも、自分と他人を滅ぼす悪い感情だと思ってます。

 ネットでも、時折、怒りで我を忘れて、ブログを炎上させたり、糞コメントをつけたり、ストーカーまがいの事をしている人がいますが、ほんと、怒りって人の心を喰ってしまう鬼のようなものだなって思います。

 まあ、そんな事を書いている私ですが、時折は怒りの感情をうまく切り離せずに、後悔せざるをえない事がなかったわけではありません。それでもめげずに、なんとか怒りの感情に自分を支配されないように気をつけてはいます。

 でもね、私があまり怒らない人間であると周囲が知ると、私の事を軽く見る人間が出てくるんだよね。それが困った事なんです。だって、怒らない人って怖くないものね。簡単に言うと“なめられている”?

 まあ、他人になめられても、表面的には平気にふるまいますが、私だって血の通った人間ですからね、他人に軽く扱われるのはうれしくないです。「なんかなあ~」って思う事だってあります。

 「そんなイヤな思いまでして、怒りを封印しているなんて、変じゃない? 気に入らない事があるなら、我慢なんかしないで、そいつを怒鳴りつけて、どっちが上か、はっきりさせればいいじゃないか!」と言われますが、なんかねえ、そんな脅しで他人を服従させても、うれしくないので、今日も今日とて、他人にナメられっぱなしな日々を過ごしてます。

 腰抜け…なつもりはないんだけれど、そう見られているのかな?

夏目漱石

 この年になって、なんか納得する事って、今でもあります。

 最近、私が知ってビックリした事が、一つあります。

 夏目漱石の書いたジュブナイル小説の一つに「坊っちゃん」がありますが、あそこに出てくる清という下女の裏設定(?)です。清は、周囲からうとまれ嫌われて育つ主人公に対して、盲目的な愛を注ぐ人で、いつ読んでも、なんか清という人物に納得のいかない不思議なものを感じていたのですが、ある日(それも最近)、清が実は単なる下女ではなく、坊っちゃんの生みの母で、わけあって親子の名乗りをあげられず、下女として坊っちゃんに仕えていた…という設定があるんですよという話を小耳にはさみました。

 その瞬間、あの小説を読んで、今まで不思議に思っていた事のすべてに納得がいったんです。ああ、なるほど、それならば、清の不思議なやさしさや言動のすべてに納得がいく…と思ったのです。もちろん、これはあくまでも、漱石自身が書き残したものではなく、一部マニアが推察した“裏設定”もどきの話なんで、信じるも信じないもアリなんですが…。

 夏目漱石と言えば「こころ」という有名な小説がありますが、私はこれを始めて読んだ時「これ、ホモ小説じゃん」と思いました。「自覚のないホモって、本人も大変だし、巻き込まれた周囲もたまったもんじゃネーナー」という感想は今でも変わりないのですが、そんな話を他の人にすると、たいていが「えっ!」と驚きます。

 ま「こころ」と言えば、国語の教科書にも載っている名作だもんな。まさかホモ小説が教科書に載っているとは、誰も思わないんだな…。

今年のラ・フォル・ジュルネ

 うーむ、ちょっぴり残念。本来なら今年は『アメリカ音楽』の年だったはずなのに、東京では10周年記念というわけでテーマ変更。今までの復習と言うか、テーマ無しと言うか、まあ何でもありの年になりました。

 私はバーンスタインをたっぷり聞きたかったんだよなあ…。テーマ変更が残念でなりません。

 有料プログラムもすでに発表されていますが…聞きたいと思えるプログラムが無いんだよねえ…。ラ・フォル・ジュルネも年々(私にとって)魅力がなくなってきてます。最初の頃は、あれほど見たいプログラム聞きたいプログラムだらけで、どれを選択するべきか、大いに迷ったものですが、昨今は見たい聞きたいと思えるプログラムがドンドン無くなってきています。

 オケとピアノばっかり…。お目当てのアーチストも来日しないし…。

 昨年もそうだったけれど、ラ・フォル・ジュルネ本体ではなく、周辺プログラムの方が楽しみなくらいですが…周辺プログラムは喧騒の中で立ち見がほとんどで、客寄せにはなっているけれど、音楽が聞ける状態ではないんだよねえ…。今年のように怪我人と一緒だと、色々と厳しいよなあ…。

 そろそろ、ラ・フォル・ジュルネにも見切りをつけた方がいいかしら…とか悩みながらも、結局は、今年もゴールデンウィークは丸の内に出かけるんだろうなあ…。

今月のお気に入り「ヴンダーリヒ:不滅の声~オペラ・アリア集」

 ウンダーリヒと言えば、ドイツが生んだ名テノールです。すでに故人ですが、彼のファンも未だに多く、彼の録音は手を変え品を変えて、今でも再発されているくらいに、人気ものです。

 ただ、ドイツ系のテノールなので、イタリア系の音楽が好きな私には、それほど重要な位置づけの歌手ってわけではありませんでした。でも、興味がないわけではなく、彼が録音した「美しい水車小屋の娘」を始めとするシューベルト作品は聞かないわけではありませんが…イタリア音楽ほどに熱心には聞きませんでしたので、つい最近までウンダーリヒに親しみを感じることはありませんでした。

 それがつい先日、このアルバムを見つけたわけです。あのウンダーリヒがイタリア系のオペラアリアを歌っているんですよ! これは聞くしかないじゃないですか。

 で、聞きました。聞いてびっくりしました。だって、ぜんぶ、ドイツ語歌唱なんだもの。ドイツオペラがドイツ語歌唱なのは当たり前だけれど、イタリアオペラもドイツ語歌唱なんです。唯一のイタリア語歌唱(つまり原語歌唱)は「オ・ソレ・ミオ」だけでした。

 今の時代、オペラ歌手の国籍がどこであれ、オペラアリアって、原則的に原語歌唱でしょ? もちろん、実際の公演では、オペラを現地語で上演する事もあるでしょう。例えば、我が国日本では、オペラ公演は原語歌唱で行われる場合が多いですが、それでも字幕設備がない場所などでは、日本語で歌われる事も少なからずあります。しかし、オペラアリアの録音を、原語ではなく現地語でしちゃうって、少なくとも一流歌手にはありえないじゃない。そのありえない事をウンダーリヒがやっているので、すっごく、びっくりくりくりです。

 まあ、彼が活躍した1950~60年代という時代背景を無視してはいけないでしょう。おそらく、当時はこれはこれでアリだったんだと思います。なにしろ、カール・リヒターだって、ヘンデルの「メサイア」をドイツ語歌唱で録音した時代だものね。リヒターは70年代になると、原語である英語で録音しなおしてます。

 ウンダーリヒも長生きをしていれば、後年、これらのオペラアリアを原語歌唱で録音しなおしたかもしれないけれど、これはこれでアリって事にしておきましょう。

 現代人の耳で聞くと、ちょっとゲテモノっぽい雰囲気もしますが、歌唱そのものは実に立派で味わいがあって、私結構好きな音源です。

今月の金魚

2014年2月14日(土) ナゴンが星になる。
2014年2月15日(日) アズニャンが我が家にやってくる。

 今月は「ナゴン、バイバイ」「アズニャン、ラッシャイ」の月でした。

今月のひとこと

 走るためには、まずモモを高く持ち上げて、足で地面を力強く蹴り進むことが必要で、その動作を間断なく繰り返さなければいけないわけだし、そのための補助動作として左右の腕を前後に大きく振らないといけないわけだ。そんな事なんて、若い時は何も考えずに自動的に連動して行っていたのに、今や、それらの動作の一つ一つを意識して行わなきゃいけないし、ましてや連動させるために、細心の注意が必要なわけです。たかが走る事ですが、オッサン的には心身ともに、かなりのハードな動作だと判明しました。大丈夫か、私?(2014年1月29日~2月3日)

 自分が疲れているのか、眠いのか、判断がつかない…。(2014年2月3~7日)

 今日は、コビトさんが私のアタマに乗っかって、しがな一日中、カナヅチで私のアタマを叩いていたよ、痛くて痛くて、こりゃたまらんぞぉ~。(2014年2月7~8日)

 雪降ってます。湘南地方には珍しいくらいの大雪です。とりあえず、雪かきしました。だって、このまま雪が積もるのに任せていて、夜になってこれらの雪が固まってしまったら、ほんとヤバイでしょ。まだ雪が降りたてて、やわらかくて軽いうちに除雪しておかねば…と人生の経験から、そう思いました。(2014年2月8~9日)

 ふと気づいたら、いつのまにかブログの累積アクセス数が200万を越えてるじゃん。一体、いつ200万を越えたんだ! 全然、気づかなかったよ。全く、ダメだな(涙)。(2014年2月9~14日)

 またも大雪。玄関が雪で埋もれて外出不能なので、雪が降っている中、玄関の雪かきを決行。今心配なのはエアコンの室外機。とりあえず今は大丈夫だけれど、雪で埋もれたら…故障する事になるよなあ。とりあえず、室外機周りもせっせと雪かきしました。でも、町の風景が、全然湘南っぽくない(大笑)。実になんともなバレンタインデーだこと(笑)(2014年2月14~17日)

 雪がどけてある道路をチェーンをまいた車が走ると、真っ赤な火花が散ります。あっちでもこっちでも、まるで花火のようできれいです。でも道路が痛むだろうなあ…その道路の修繕費は税金なんだぜ、参ったなあ…、もう少し気を使って走ってほしいなあ。(2014年2月17~22日)

 とっても眠いのに頑張って起き続けていると、さすがに気持ち悪くなって、吐き気がするんだな。それって、もう、若くないって事なんだろうなあ…。(2014年2月22~26日)

 ああ、眠い眠い。朝も昼も夜も眠い。起きていても、寝ていても、眠い眠い眠い。こんなに眠いのは…春のせいかしら? ならいいのにねえ(笑)(2014年2月26~27日)

 今月は以上です。よろしくお願いします。

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コメント

  1. operazanokaijinnokaijin より:

    一部マニアが推察した“裏設定”もどきの話、
    どころか、かの、丸谷才一さんのご意見だそうですね。
    (ウィキペディアによれば。)

    私が坊っちゃんで思うのは、
    坊っちゃんの兄のこと。

    坊っちゃんとはそりがあわず、
    また、清には嫌われていた兄ですが、
    兄のほうでは、坊っちゃんと清との深い愛情をわかってくれているという説あり。

    「清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めて下さい。
    お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っております。」
    という清の願いをかなえるにあたり、

    坊っちゃんだけできることではなく、
    兄の同意も得られているのであろう、という説。

    「こころ」若い頃、私の愛読書でした。
    毎年夏には「こころ」を読む、という習慣が
    10年以上続きました。
    今、漱石に限らず、小説を封印している私ですが、
    将来のある日、漱石を解禁して、
    全てを読み直すのを楽しみに待っております。

    おしまい

  2. すとん より:

    operazanokaijinnokaijinさん

    >かの、丸谷才一さんのご意見だそうですね。

     あら、私はてっきり都市伝説の一つぐらいに思ってました。そうです、丸谷さんですか…。ウィキぐらいチェックしておけよ>自分(笑)。

     私、初期のウィキを知っているせいか、今一つ、ウィキを信じていないんですね。最近のウィキはだいぶ良くなったと聞きますが、未だになんか信じられないんですね。ウィキの情報って、裏が取れる情報ばかりじゃないですからね、そういうところが信憑性に欠けるわけで、それで敬遠しているのですが、ううむ、やっぱりウィキぐらいチェックしてからネットに書くべきだな(反省)。

    >坊っちゃんの兄のこと。

     あ、なるほど。私、そこまでアタマがまわっていませんでした。

     坊っちゃんの話には、モデルがいるそうですが、そのモデルの方の人生がこんな感じだったのかしら…と思いを巡らしちゃう私です。

    >将来のある日、漱石を解禁して、全てを読み直すのを楽しみに待っております。

     漱石はすでに著作権フリーですから、わざわざ本屋に行かなくても、その作品を読むことができます。なんて、良い時代になったのでしょうか!

  3. YOSHIE より:

    「こころ」って変な小説でよくわからない・・・っていう感想をずーーーっと持っていたのですが、わからないはずですよね。
    なんかねぇ、お嬢さんがあまりにもほったらかしにされてるじゃないですか?
    ・・・女性に興味がないのか~~そんなの子供が読んでもわからないし、
    実は少し前にも読んだのですが「やっぱわかんないわ、つまんないし」と嫌になってました。
    すとんさんのエントリー読んでやっと謎が解けたというか。
    もう、なんだか文芸作品は本当にダメですわ。

  4. すとん より:

    YOSHIEさん

     自覚のないホモですからね、先生は。お嬢さんの事なんて、これっぽっちも好きでもなんでもないのに、そうあらねばならぬ…とかなんとか、形式的に思ってしまっただけで、先生の本当の気持ちは、最初から最後までKに向かっているわけです。いわば、Kへの当てこすりでお嬢さんにモーションをかけていただけ(いかにも、乙女チックな行動です)ですからね。

    >もう、なんだか文芸作品は本当にダメですわ。

     ってか、漱石って、かなり毒のある作家さんだと私は思います。その毒の部分も押えていかないと、おもしろくないんだろうなあって思います。

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