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要するに、支えが足りないんだな

 声楽のレッスンの続きです

 曲は、トスティ作曲「Non t’amo piu!/君なんかもう」に代わりました。

 先生からは、しきりに声を支えなさいと言われ続けました。いくら楽な音域だからと言って、声の支えは不可欠。支えのない声では面白くない。特に音程が動く時には、実際の声の前に、支えがグっと入る声が必要との事。

 音程が動く時に、声が動く前に、支えがグっと入るのが声に現れて聞いていて分かるのが、支えで歌った声で、ノド声だと、音程の移動と支えの移動が同時になるので、聞いていて、ノドで歌っているのか、支えで歌っているのか、すぐに分かるのだそうです。

 レッスンの後に、色々な音源を聞いてみたのですが、今まで気にしていなかったのですが、確かに先生がおっしゃる通り、大半のプロの方の歌では、音程が動く前に、支えがグイッグイッと入っているのが声に現れていました。ううむ、気づかなかったなあ…。

 このグイッと支えが入るのは、音程が変わった先の音ではなく、音程が変わる前の音で支えが切り替わるから、グイッと入るのが分かるのだそうです。つまりこれが“準備”と呼ばれる現象なんですね。

 これが顕著に分かるのが、冒頭の“Ricordi ancora”の部分。“Ricordi”の“-di”と“ancora”の“an-”が同じ音符の中に収まって、次の“-co-”に向かって音程がド-ミと上がるのですが、同じドである“-di an-”の“-di”の部分は楽に歌っても“an-”を発声する時に、グイッと支えを入れてから“-cora”と歌うわけですし、楽譜の上でも、それをトスティは要求しているわけです。実に音楽的にも歌唱的にもイタリア語的にも、自然に書かれているのです。…トスティって、やっぱ、天才なんだな。

 とにかく、支えはそこだけではなく、常に入れっぱなしにして歌うのです。常に入れっぱなしにして、要所要所でグイッグイッと更に入れて歌うのです。

 先生曰く「私も若い時は、加減が分からずに、一曲歌うたびにお腹が攣ったものです。やがてカラダが加減を覚えてくるので、攣る事は無くなりましたが、それまではお腹が攣るくらいで、ちょうどよいのです」なんだそうです。まあ、私の場合、加齢と訓練不足で一曲歌いきれるほどに、支えを入れっぱなしに出来ないのが悲しいです。

 「支えが無くなると、ノドで歌い始めるので、途端に音程が悪くなります。音程良く歌うためにも、ノドで歌わずに、支えで歌ってください」なんだそうです。とにかく、支えですよ、大切なのは!

 しかし、レッスンの録音を聞いていると見事に、支えで歌っている時と、ノドで歌っている時と、声がまるで違っていて、自分の事ながら面白かったです。それくらい、支えの声と、ノド声って違うんですね。

 「支えで歌うのは難しいですね。特に支えと声をつなげて歌うのが難しいです」と言ったところ「すとんさんは、速く歌いすぎるんですよ」と言われました。もっとゆっくり歌った方が良いとの事です。これはテンポをゆっくりにしなさいと言うのではなく、メトロノーム的な等間隔のテンポではなく、必要に応じて、時間をかけるべきところでは、うんと時間をかけて歌った方が良いというのです。つまり、機械的に正確なリズムを目指すよりも、多少テンポが揺れてもレガートに歌う事を目指すべきだとおっしゃるわけです。

 さらに、大きな声で歌うのも止めた方が良いと言われました。どうしても大音量を目指すとノド声にならざるを得ないのだそうです。そうすると、支えと声のつながりが悪くなります。なので、声は中音量で良いので、その分、響きを豊かにした方が良いでしょうとの事です。支えと声がつながってくれば、声の響きも豊かになり、声の響きが豊かになれば、それほど大音量でなくても、ホールでは声が隅々まで届くようになります。だから、そっちの方向で歌えるようになりましょうって事です。
 
 
 さて、プッチーニ作曲「トスカ」より「E lucevan le stelle/星は光りぬ」の後半部のレッスンです。

 まずは、脱力して歌い始める練習をしました。私の歌声は“最初から最後までクライマックス!”という歌い方なので、そういう歌い方をしていると、どうしても曲の途中で力尽きて失速せざるをないので、最初はそろりそろりと歌いだして、途中もフワ~ッと歌って、決めるべき箇所だけ、ググっと気合をいれて歌いましょう、それも軽い軽い声で! と言われました。

 さて、問題は、高いAです。この曲では、この高いAが2回出てきます。現在の私にとって、チェンジ後の音は、Gがとにかく完璧ではないけれど、なんとか使える音になりつつありますが、Gisはまだまだ博打で、上手くいったりいかなかったり、Aになると、たまに上手く行くこともあるけれど、まずは上手くいかない音なんですね。Bはまだまだ論外って感じです。で、まず上手くいかないAを上手く出さないといけないのです。

 そのためには、絶対にノドで歌わない事。支えで歌う事。例えば“E non ho amato”はラミファソラという音形なので、ミファの部分でしっかり支えて、ソラの部分はそこで支えたまま、流れで歌う事。特に、ファには“ho amato”の“ho a-”が入っているので“ a-”の部分で、しっかりと支えを入れ直す事が大切なんです。さらに、ミファソラはどれも高い音なので、すべての音で支えつづけるという意識が大切なんです。

 つまり、高音は楽に歌えるはずがないので、覚悟して歌うこと。そのために、そこに至るまでの部分では体力温存で歌わないとダメだよってことなんです。

 先生がおっしゃるには、私の声は、とても軽いので、これくらいのフレーズなら、発声がきちんとすれば、むしろ楽で歌いやすいくらいに感じるはず、なんだそうです。なのに、そうはいかないのは、ノド声であること、支えが足りないことの二点が原因なんだそうです。
 
 
 最後はヴェルディ作曲「椿姫」より「Libiamo,  ne’lieti calici/友よ、さあ飲みあかそう(乾杯の歌)」のレッスンです。

 この曲は、全体的にメロディーが高値安定なんですが、時折、低くメロディーが落ちます。この低い部分をどう歌うかが問題で、ここをしっかり歌ってしまうとポジションまで落ちてしまうので、ここを捨てて歌うという歌い方があります。私も今まではそういう歌い方で歌ってみましたが、今回はむしろ逆で、この低くなった箇所をしっかり歌い、そこからポンと高く上がって歌うという歌い方でやってみました。準備さえしっかり出来ていれば、低いところをきちんと歌った方が結果オーライのようです。

 準備が間に合わないなら、低いところは捨てた方がよいけれど、準備が間に合うなら、低いところはしっかり歌った方が結果が良いのです。どちらが正解なのかと言えば、そりゃあ、低いところをしっかり歌う方が正解です。だって、ヴェルディはそうやって書いているんだもの。

 中間部の“E il mio~”のところは、事前にノドを開けておいて“E”を歌いだす方が良いとのことです。せっかく、子音がないのだから、息を送るだけの状態にして歌った方が良いでしょうとのことです。

 さて、今回のレッスンは諸般の事情で、実は一人で90分近く歌い続けたのですが、なんとかレッスンを終えました。なるべく支えメインで歌おうとしましたが、どうしても悪い癖があるので、部分的にノドで歌ってしまいました。なので、レッスンが終わって、先生に「さすがに今回のレッスンは長かったので、ノドが少々、枯れました」と言ったら、先生が「普通は、あんな歌い方をしていたら、ノドが枯れるぐらいでは済まないです。すとんさんは、本当にノドが強い…言うか、前の先生のところで、ノドを鍛えられたんですね」と誉められました(誉められたんだよね?)

 でも、そのノドの中途半端な強さが、私の上達を阻んでいるんだよなあ…。

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