…と言うような悩みを、ネットのあっちこっちでよく見かけます。確かに『歌が上手く歌えない』状態を“音痴”と呼称し、その音痴から脱却すべき方法を考え、あちこちに相談した結果「あなたは“音感”がないから“音痴”なのだ。だから、まずは音感を鍛えるべきであり、音感を鍛えれば、音痴は治ります」とアドヴァイスされたり、自分でそのような結論を出し、その結果、音感トレーニングを始めたり、音感の先生(ソルフェージュの先生)について耳を鍛えたりします。
で、結果として、一向に音痴から脱却できずに、人生の貴重な日々を無為に過ごしてしまうのです。ああ、残念無念。
なんで、こんな事を書いているかと言うと、私にも似たような経験があるからです。
ここのブログを愛読している方なら、百も承知でしょうが、私の歌声は、実に音程が甘いんです。そんな自分を“音痴”と呼称してもいいのですが、そうすると、本当の音痴の方に失礼なので、あえて、そうは言いませんが、でもやはり、私は音程がかなり甘い人間である事は認めざるを得ません。
音程が甘い生徒であった私に対して、かつての師匠は「あなたは音感が無いから、音程が甘い」と言い、ソルフェージュの教室を探して、さっそく音感トレーニングを受けてきなさいと厳命したものです。それも、ソルフェージュだけを教えて、歌は教えない教室を探しなさいとも言われました。これは、ソルフェージュを学ぶ過程で、発声を変えられることを、声楽の教師として杞憂したからでしょう。
とにかく、私は、かつての師匠の元、音痴判定をくらい、ソルフェージュの先生を探して、修行してきなさいって言われたわけです。
で、当時の私は、先生の指示には素直な生徒で、たいていの指示には、それがかなり無茶な指示であっても、黙って従ってきたわけですが、この指示に対しては、本能的に「いや、それ、先生、違うから…」と思ったので、ソルフェージュの先生の元に行きませんでした。
ちなみに、私には音楽家の友人がそこそこいますので、ソルフェージュの先生を探すのは、そんなに大変なことではありません。友人の一人に「誰か、いい先生知らない?」って言えば、すぐに紹介してもらえます…って、そういえば、かつての師匠は、私にソルフェージュを習いに行けとは言ったけれど、○○先生のところに行けとは指示しなかったなあ。知り合いに、良いソルフェージュの先生は居なかったのか、それも、別の目的があって、私にそんな事を言ったのか、今となっては、分かりません。
閑話休題。なぜ私は、かつての師匠のアドヴァイスを無視したのか? それは、インプットの問題とアウトプットの問題を分けて考えるべきだと思ったからです。
音感が無い、または、音感が悪いと言うのは、あくまでもインプットの問題です。ある音(仮にミとしておきます)を聞いた時に、その音がミであると分からないのは、その音と、ミという音の脳内の印象を一致させる事ができないだけの話であって、それはあくまでもインプットの問題であり、多くは意識的にインプットした経験が少ない事から、耳にした音と、脳内の音程のイメージが一致させられないだけです。
だから、何度も何度も、インプットを繰り返して、音程の印象をきちんと脳に刻み込み、脳がその音程の印象を覚えてしまう事…これを音感があるという状態なんだと思います。そして、その音程の印象を、なんの手がかりも無しでイメージし同定できる人を『絶対音感の持ち主』と呼び、何らかの手がかりから音程のイメージを同定できる人を『相対音感の持ち主』と呼ぶのだと思います。
音感なんてものは、インプットの精度の問題ですから、いくら音感があっても、音痴は治りません。
と言うのも、音痴はアウトプットの問題であるからです。
音痴とは、自分の脳内にある音程の印象と一致する音程の歌声を発声しようとしているにも関わらず、実際に出てくる歌声が、脳内のある音程の印象とは、違った音程の音で歌ってしまうのが、音痴だからです。
はっきり言っちゃえば、音痴って、歌的に“不器用な人”の事を言います。決して、音感がないわけじゃないんです。
その証拠に、楽器の達人であっても、歌は歌えませんって人がいますが、楽器の達人に音感の悪い人なんているわけないでしょ。ただ、楽器しかやっていない人にとって、音楽的なアウトプットは楽器演奏であって、歌ではないので、いくら音楽的に優れていても、歌わせると音痴だったりするのは、そういうわけです。
だいたい、ピアノが弾けるのに音痴って場合、耳が悪いわけでもなければ、楽譜が読めないわけでもなく、ただ単純に歌った経験の少なさからくる音痴だって事は、私が説明せずとも、イメージできるでしょ?
つまり、音痴って奴は、脳内に音程の印象が無いわけではなく、脳内の音程の印象と一致した歌声を出すのに、苦労しているだけの話なので、脳内の音程の印象と一致した歌声が出せるように訓練すれば、音痴は治るんです。
ソルフェージュ、とりわけ音感トレーニングの類のモノは、あくまでも脳内に音程のイメージを刻み込むためのモノであって、インプット関係の学習です。音痴はアウトプットの問題なので、自分の脳内にある音程のイメージ通りに発声できるように、肉体的なトレーニングが必要なんです。
つまり、音痴を直すには、ソルフェージュではなく、肉体的なトレーニングの方がいいんです。
で、その“肉体的トレーニング”とは何かと言うと、ずばり“発声練習”です。つまり、ヴォイトレね。ちゃんしたトレーナーの元で、発声練習をしていれば、音痴なんて、治ってしまうって寸法なわけだ。
だいたい、音痴で悩む人って、元々、音楽好きでしょ? 音楽を聴いて楽しめる人でしょ? 音楽を聞いて楽しめる人なんだから、脳内に音程のイメージを持っている人なんですよ。ただ、その人が持っている音程のイメージ通りに、歌が歌えないだけなんです。で、自分のイメージ通りに歌えなくて悩むから音痴であって、って事は、自分の中のイメージはちゃんとしているわけなんです。ほら、インプットの問題じゃないでしょ?
聞けば、どんな曲でも曲名を当てられるけれど、歌ってしまうと、なかなか曲を他人に伝えることができない…これが音痴の悩みなわけで、つまりインプット系には問題がなくて、単純にアウトプット系に問題を抱えているわけです。
だから、音痴の人が、ソルフェージュとか、音感トレーニングとか学んでも、音痴はちっとも解消されません。私はそう思ったので、私はかつての師匠のアドヴァイスを無視したわけです。
もちろん、この事はそれとなく、師匠には伝えましたが、理解してもらえませんでした。
ただし、かつての師匠の音程関係のアドヴァイスの中で「音叉の音を覚えてしまう」はなかなか有益なアドヴァイスだったと思います。音叉の音(ラ)を覚えてしまえば、その音を基準にして、比較的正しい音程で曲を歌えるようになります。これは私の中に、緩いけれど、相対音感があったからで、相対音感があったからこそ、基準音さえあれば、さほど大きく狂わずに歌えるようになったわけです。
ちなみに、なぜ発声練習をすると、音痴が解消されるのか?
それは、発声が悪いと音痴になるかです。まあ、説明的には堂々巡りになってますが、我慢してください(汗)。
発声が悪い人って、まず、歌うカラダが出来てない人なんです。例えば、腹筋による声の支えが弱いために、歌っている途中で、声を支えきれずに、音程がフラットしたり、揺れたりするわけです。また、無用な場所に力みがあるために、筋肉が過緊張を起こして、声帯やノドなどの、本来伸びるべき部分が伸びずに、そのために、意図した音程よりも低い音程で歌ってしまうなどします。
ですから、正しい発声方法を学べば、自分の中にある音程のイメージ通りの音程で歌えるようになるわけです。
ソルフェージュを学んで、耳を鍛えるなら、その後の話です。音痴を脱出して、ある程度は音程正しく歌えるようになったけれど、合唱などで歌うほどには精密な音程では歌えないと言う人には、ソルフェージュや音感トレーニングは必要な事だと思います。と言うのも、発声に問題がなければ、インプットを鍛えて、脳内の音程イメージの精度をあげるとことで、アウトプットの精度も上げることができるからです。
つまり、歌える人が、より精密で正確に歌うために、ソルフェージュを学ぶなら、とても有意義だけれど、音痴がソルフェージュを習っても、ムダムダムダってことです。
人が技術を習得するためには、必要なテクニックを、必要な時期に、適切な順番で学ぶことが、大切ってことです。これが教育カリキュラムの基本であり、有益で有効なカリキュラムを組める教師が、良い教師ってわけですね。
たとえ方法論が正しくても、その提示順番が間違っていたら、何の意味もないどころか、時には逆効果にもなるのです。これ、教育の基本テクね。
音痴で悩んでいる人は、きちんとヴォイス・トレーニングを受けて、発声方法を見直せば、たちどころに音痴脱出できますよ。頑張ってゆきましょう。
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コメント
昔、ドイツ人のBFがおりまして、このヒト、ピアニストでしたが、音痴でした。
脳みその中には、ちゃんと音程があるのに、頭にある音がきちんとでない。
ソルフェージュを訓練してましたが、一向に良くならなかったです。
ある日、ヤケを起こした彼は、旋律を口笛で吹きました。
そしたら、音痴じゃなかった。
で、一旦、口笛で吹いてから、歌わせると、ちゃんと歌う事が出来たのです。
口笛を吹くと、顎が落ちますよね。それで、喉が開いたんじゃないかと思います。
面白い事がキッカケで治ったりしますので、試してみて下さい。
私の場合、音感はあるのですが、バイオリンで弾くと音痴でした。そりゃもう、他楽器の経験はあって音の高さのイメージは持っているけれど、初心者の悲しさで指がソコに当たらず、イメージに合う音が出せないわけですからアウトプットの問題ですね。
ところが、だんだんバイオリン経験が長くなり、音がイメージと合ってくると、今度は、自分の音感が悪いと思うようになりました。つまり、ピアノで弾かれた音が何なのかとかだったら完璧にわかるのですが、その場合、要するに半音となりの音と区別ついてりゃ差し支えなくって、どうせ半端な音は出ませんから、細かいことを考える習慣がないという感じ?
きれいに響くのがどこかとか、そういう感覚がニブいと思うようになりました。
そういう状態でしばらく過ぎて、今度はだんだん音のイメージが細かくなってきますと、やっぱり自分のバイオリンは音痴だと(^^;; つまり、イメージに合う音の高さのところにずばっと指がいかないわけですね。(←いまココ)
なんだか問題が解決していかない…いや少しはマシになっているのか…
不思議なんですが、いわゆる「音痴」な人でも、お耳は客観的に正しい音程を捉えることができるようで、他人の歌の音痴か音痴でないかは正確に判定されるんですよ。
人のことはよくわかるんですね。すとんさんのおっしゃるアウトプットの問題があるのかな。私の知り合いにおひとり、とってもオンチさんがいます。その方はピッチを合わせる声帯の伸び縮みを制御する神経系統のどこかに、聴覚でとらえた音と連携するところ??に、うまくいかないひっかかるところがあるのかなあ、と思っています。聴くことにはとっても正確なんです。
どうもです。
ここまで個人的な練習を公開されているすとんさんには、マジで敬意を表します。私はフルートのレッスンで歌えと言われると、恥ずかしくて歌えないくらいでした。ソルフェージュの意味合いもなんとなくわかりますが、どこかに恥ずかしさが残っていて、「精神的ストリップ」はホント大変です。
アマオケで笛を吹いていますがそこでの個人的な経験からすると、ぶっちゃけ、音程については低めはどうやってもバレバレですが、ほんの少し高めにとるとゴマカシが効きます(隣のOb.が高いせい?)。昔のコンミスはチューニングのあとに少し高めにしていました。彼女は今はなくなってしまった440Hzの時報が低すぎて気持ち悪い、という程度の音感は持っていたので、かなり意識的です。ピアノの調律でも複数弦のそれぞれ音程を若干ずらしたほうが音が伸びる、のと同じことでしょうか。低めからうわずるのは最悪です。高いところから物を置くように音を置く、イメージのほうがよさげです。
失礼しました。
さきほどの無名のコメントはtetsuです。失礼しました。
声に関していえば、音程がへんちくりんな原因はほとんど発声にあると思っています。
合唱でよくありますよね「音が低い!」と怒られる場面(おもにソプラノ、テノール)。
怒るんじゃなくて、発声の方向性を修正してくれれば・・・・なんて思うこともありました。
すごく厳密な音程の問題になってくると、ソルフェージュとかの話になりそうですが、
まあいきなりそこにいかなくてもいいかなーと。
私もアウトプットが苦手なんですが、小さい声だとブレずに歌えてると思います(多分)
それで歌手なのに音痴の大御所とゆうたら…私の大好きなユーミン大魔人でしょう、やはり(なんてことを!)
正隆氏の「うちの嫁さん歌下手だし」とのお墨付きだし。
ユーミンもフォルテでロングトーンで張る時にブレブレになっちゃうんですよね。声帯が持たないのかも…。トレーニングはしたって言ってました(今もしてるでしょう)
彼女はオペラの方ではないですが。
細川たかしさんも張る(この表現でいいのか)ところで割りとブレます(五木ひろしさんもかも)
そうそう、片耳を押さえると音程が結構とれますよね(舞台ではできないですね)
と思ったら、耳栓して…とかありました>http://www.ntv.co.jp/megaten/library/date/12/12/1208.html
変なコメントで失礼しました。
おぷーさん
面白い話ですね。ほんと、音痴は何がきっかけで治るか分かったものじゃないです。
そうか、ノドか。確かにノドが絞まっていると、声って低くなるよね。正しい音程で歌うには、まずノドを開放する事が必要です。
散々、ノドを締めつけて、ノドを鳴らす練習していた頃の私にとって『“先生がOKする声”=“ぶら下がった音程”』だったし、音程がマシに聞こえる発声をすると、それじゃダメって言われていた、あの頃を思い出しました。
口笛を吹くとノドが落ちる…ああ、今ほど口笛が吹けない我が身を恨みます。
ちなみに、フルートが吹ける人は口笛が吹けないという都志伝説を聞いた事があります。ほんとかしら?
アンダンテさん
確かに問題は解決していないように思えますが、たぶん、螺旋階段を昇っているようなもので、同じようなところを堂々巡りしているような気がしつつも、きちんと少しずつ高みに昇っていると思います。ある程度昇ると、頂上にたどり着くと思いますよ。
自分で音程を作っていく楽器は、音程に凝り出すと再現がなくなると思います。そのうち、やれ平均律だ、やり純正律だ、やれピタゴラスがどうのこうの…とか言い出すかもしれませんね。実際に、耳と腕が良くなれば、いくらでもこだわりたくなるのが、音程って奴だろうと思うからです。
歌も自分で音程を作っていく楽器ですから、私も下手なりのレベルで、色々と考えちゃうわけなんです。
だりあさん
きちんと言うと、音痴さんには、二種類の人がいると思います。インプットはOKだけどアウトプットがダメだから音痴さんやっている人と、インプットがダメなので音痴さんやっている人です。
私が記事に書いたのは、前者のパターンの人です。だって、インプットが本当にダメだったら、音楽なんて聞いていても楽しくないし、だいたい自分が音痴だという自覚も持てないので、悩まないもの。「ああ、なんて私は音痴なんだ」と悩む人は、だりあさんのご友人のように「他人の事も自分のこともよく分かるのだけれど、自分じゃ何もできない」って人です。
>その方はピッチを合わせる声帯の伸び縮みを制御する神経系統のどこかに、聴覚でとらえた音と連携するところ??に、うまくいかないひっかかるところがあるのかなあ、
たぶんね。でもそれって、医学的な異常ではなく、トレーニング不足で不器用になっているだけだと思います。
だりあさんは、耳たぶをヒクヒク動かせますか? 動かせないとしたら、それは単純にヒクヒク動かす事の経験不足から動かせなくなっているだけです。どこの筋肉をどうやって動かすと耳たぶが動くのかが分からないから動かせないんです。耳たぶなんて、訓練すれば、誰も動かせます。
歌も同じですよ。どこをどんな感覚で動かすと、うまく声帯の伸び縮みを制御できるか、分からないんだと思います。ま、私も、あまり人の事は言えませんけど。
tetsuさん、どうもです。
最初は無名のコメントを見て、ゲッソリしました。最近、無名のコメントには閉口させられる事がありましたので…。
>ここまで個人的な練習を公開されているすとんさんには、マジで敬意を表します。
いえいえ、我が身をさらす事で得られるものがたくさんあるから、さらしているだけです。別に誉められるような事してませんよ(笑)。
実際、最近アップした歌の記事には、たくさんの愛ある有益なコメントをいただき、私は何枚ものウロコを目から落としまくりました。
ストリッパーは報酬が得られるから脱ぐンです。無料じゃ脱ぎません。私も同じようなモノかもしれません(笑)。
>低めからうわずるのは最悪です。高いところから物を置くように音を置く、イメージのほうがよさげです。
ですね、でもいつも「低めからうわず」って叱られているのが私です。分かっちゃいるけれど、どうしてもやっちゃうんですね。ダメですわ、全く。
椎茸さん
おっしゃる通り、怒られても音程治りませんよね。「音が低い!」と言われて、すぐに音程直せるなら、指導者なんていらないのに(と、ぶっちゃけてみる:笑)。
合唱に関しては、きちんとした発声の仕方そのものを知らないままに歌っているケースもありますから、それこそ音程がへんちくりな原因は発声にあると断言してもいいと思います。音程がダメな人、和声感覚がない人が、合唱を好きになるはずないものね。合唱が好きなのに、歌えない人は、アウトプットに問題があるんですよ。
問題は、多くの合唱団には、そのアウトプットの問題の解決を手助けしてくれるような仕組みがないって事がな? まあ、そこは仕方ないのかもしれませんが。
>まあいきなりそこにいかなくてもいいかなーと。
私もそう思います。むしろ、音痴なのにソルフェージュをやっちゃうと、余計に自分の音痴が身にしみるようになりますから、返って不幸になるだけなんじゃないかって思いますよ。だから、ソルフェージュは、ある程度ちゃんと歌えるようになってからの話ですね。
YOSHIEさん
言っちゃいましたか! 日本中が知っていても、なかなか言えなかった事を!
ちなみに、ちょっと前の演歌系の歌手さんは、ビブラートをアゴでかけますので、ロングトーンで張ると、どうしても音程がユラユラするんですね。で、あの、ユラユラした感じが味となるので、ファンにはたまらないようですよ。
>小さい声だとブレずに歌えてると思います(多分)
たいてい、皆さん、そうですよ。ある程度以上の音量で歌おうとすると、色々と支障が起こるようです。おそらくは、声の音量を上げてサイズを大きくすると、自分の声をコントロールしきれなくなるんですよ。
>そうそう、片耳を押さえると音程が結構とれますよね(舞台ではできないですね)
アマチュアの声楽発表会だと、時々、耳を押さえながら歌っている人を見ますよ。ほとんどがオジイチャンですが…。でも、耳を押さえれば、ちゃんと歌えるなら、アマチュアはドンドン耳を押さえて歌ってもいいかも…って思います。耳栓するのも、確かに効果的かもしれません。
私も耳栓して歌ってみようかな? でも、耳栓を手放せなくなったら…それはそれで怖いなあ…。
音程が外れているよりも困るのは、いわゆるリズム音痴かなと思います。
リズムとかテンポがへんちくりんだと、音楽が進まないです。これらは、リズム練習とかでなんとかしていくことになるんでしょうね~
椎茸さん
リズム音痴ですか…強敵ですね。いわゆる音程音痴は、アウトプットの問題って事は、つまり、筋肉の問題ですが、リズム音痴も、実は筋肉の問題であり、アウトプットの問題だったりします。
心は等間隔のリズムを叩こうとしていても、不器用な上に、カラダがすぐに疲れて、等間隔でリズムが叩けないってのが、リズム音痴だと思います。なので、リズム音痴も、丁寧にリズム練習をして、筋肉を鍛えていくことで、細かいリズムでも乱れなく演奏できるようになるはずです。
音程音痴も、リズム音痴も、その修正には時間が…かかりますねえ。
音痴…なんとかしたいですがなかなか難しいですね…。
ずれてるのだけ認識できて、正しい音の出し方がわからないといった感じなので、正に肉体的なトレーニング(というかボイトレなのかな?)って思ってますが…なかなか…。
(ずれてるのだけ認識できるので歌ってて辛いのがなんともです^^;
Luciferさん
>(ずれてるのだけ認識できるので歌ってて辛いのがなんともです^^;
そうなんですよね。ここが辛い所です。自分の音程がズレているのが分からなければ、ジャイアンじゃないけれど、どんなに音痴でも苦にはならないのです。なまじ、音感があって、自分の音程が違うことが分かるから、音程のズレを恥ずかしく思うわけです。
これの克服は、ヴォイトレしかないんですよ。間違っても、ソルフェージュなんて、やっちゃダメですよ。
ソルフェージュは幼少期に楽器(というかピアノ)練習の一環でやってたので、発声に使えないのはわかってます・・・w
(だから譜面から脳内イメージだけは構築できて楽器演奏はできるんですよねぇ…時折感情込めすぎて音飾が崩れたり指が遅れてそれをさらに補正しようとしてリズムがえらいことになりますが^^;
昔から楽器好き、歌そうでもない、だったから喉の筋肉がそもそも発達してないんでしょうね。
なんでもいいからうまいつもりで歌える人をうらやましく感じることも多々あります…
Luciferさん
>なんでもいいからうまいつもりで歌える人をうらやましく感じることも多々あります…
でしょ? 最初はヘタクソでも、自分を鼓舞して歌っていると、やがて少しずつ上手になってくるモンなんですよ。だから“うまいつもり”で歌うのは、とても大切な事だと私は思ってます。
今は良い時代で、カラオケもお一人様が増えてきたそうです。誰もいないところで、一人っきりでカラオケ歌っていると…端でみていると寂しげですが…少しずつですが、歌、絶対にうまくなります。ほんと、良い時代になったと思います。
歌なんて、歌わなきゃ上手くならないんです。だから、たとえ下手でも、恥をしのんで歌う事が大切なんです。
…だから、歌う人間って、面の皮が厚い奴が多いんでしょうね(笑)。
こんばんは。
うちの娘達に以前某音感教室のメソッドで絶対音感をつけようとしていたことがあるのですが、そこの教室で絶対音感がついた子でもいわゆる音痴の子はいると主宰者先生がおっしゃっていました。音感教室でも音痴を治すには音感訓練ではなく肉体的なトレーニングが必要と言っていました。
ちなみにうちの次女は幼い頃音痴っぽい歌い方でした。歌を歌う立場からすると少し心配でしたが子供に歌を教えるにはどうしたらよいか分からず、そのまま放置していました。特にアドヴァイスはしていません。でも歌が好きでよく歌っていたのが良かったのか今ではかなり上手になったと思います。やはり歌が好きでよく歌うことが大事なんだと思います。
Ceciliaさん
絶対音感を持っていても、音痴さんっているんですね。そうなると、やっぱり、音痴は音感の問題ではないって事です。
>でも歌が好きでよく歌っていたのが良かったのか今ではかなり上手になったと思います。
…ですよね。うらやましいです。私が子どもの時から歌が大好きで、よく口ずさんでいましたが、私の両親は歌が大嫌いで、私が歌うたびに「うるさい!」と怒鳴りつけられて、殴られたものです。ま、私もバカですから、殴られても殴られて、歌っていましたが、それはあまりに幼くて“歌うと殴られる”という事が分からなかったからです。もう少し成長して知恵が付くと“歌うと殴られる”事が分かり、それ以来、歌はつねに心の中だけで歌い、絶対に声に出すことをしなくなりました。で、オトナになって、親から離れて、外の世界で歌い始めた時は、すでに私の歌はかなりダメになっていました。
あれから、数十年かけて、今、自分の歌を取り戻している最中です。ですから、のびのびと歌う子どもを見ると、ああ、なんてうらやましいんだと思う私なんですよ。
そうなんですよ!
私も楽器は音程合わせられるけど、歌は苦手です。
子供時代は学校の合唱で高い声が出ないこともあり憂鬱でした。
親もそうなので遺伝だと思ってましたが、大きい声で歌えば出ることもあり・・・
でも結局コツがつかめずよく分からないまま大人になって、歌うこともなくなってしまい今に至ります。
声楽の経験はないのですが、ヴォイトレ受けてみたくなりました。
さくら餅さん
そうなんですよ、楽器だったら、決まったポジションとか運指などがあるので、誰でも正しい音程で奏でる事が出来ますが、歌の場合は、その類のものがないので、音程正しく歌うのって、難しいですよ。
これって、やはり、コツがあるんですよ。コツと言うか、訓練が必要と言うか。まあ、人によって、習わずとも自然と出来ちゃう人もいますが、そうでなく、全然コツに気づかない人だっています。私はコツに気づかなかったタイプの人間です。前の声楽の先生のところでは、音程を合わせるコツを教えてもらえなかったので、音程はダメなままでしたが、今の先生になって、音程を合わせるコツと言うか、要領をようやく教えてもらいました。…ってか、正しい発声で歌うと、音程ってイヤでも正しくなるものなんです(笑)。
私の場合は、まだまだ、音程合わせの精度は低いですが、それでも以前よりはだいぶ正しい音程に近づけて歌えているんじゃないかなって思います。
>声楽の経験はないのですが、ヴォイトレ受けてみたくなりました。
良いと思います。歌えると、人生がとても明るく楽しくなりますよ(これ、ほんとです)。ちょっとした鼻唄でも、自信をもって出来ると、それだけで人生ハッピーですって。チャンスがあったら、ぜひヴォイトレ、受けてみてください。