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フルート音楽の……なところ

 町の電気屋に行くと、乾電池が軒並み売り切れなんですが、なぜかそんな中、単四の乾電池ばかりが売れ残っています。私が使用している懐中電灯は、いずれも単四を使用するタイプのものなので、電池切れの心配がありません。こういう所が、長いものに巻かれない性質の人間が得するところなんでしょうね。良いんだか悪いんだか(苦笑)。

 さて、声楽、とりわけオペラ関係は、作曲家の書いたスコアをそのまま使って歌います。だから私のようなアマチュアテノールでも、パパロッティやドミンゴが使った“リコルディ社”のスコアで「愛の妙薬」を歌ったりします。

 声楽でも歌曲ともなると、声の種類に応じて移調された楽譜を使うこともありますが、それであっても、伴奏のピアノごと、丸々上下に移調されており、調性以外は作曲家が指定したそのままで歌います。だから、声の種類が同じなら、プロもアマも同じ楽譜で歌います。

 オーケストラも作曲家の書いたスコアをそのまま使って演奏しますから、アマオケもウィーンフィルも同じ楽譜で演奏します。

 そこに行くと、フルートアンサンブルは、高名な作曲家がフルートアンサンブル用の曲というのを、ほとんど書いていないので、演奏する際は、どうしてもアレンジものが中心となります。

 同じアンサンブルでも、弦楽合奏とか、合唱とかなら、素人でも知っているようなオリジナル名曲も掃いて捨てるほどあるのに、フルートアンサンブルとなると、オリジナル名曲はほとんどありません。

 いや、フルートアンサンブルだけではありません。フルートソロの曲だって、素人でも知っているようなフルートオリジナルの名曲って、どれだけあるんだい?と、愚痴りたくなります。ドレミの「フルート名曲31選」に載っている様なフルートの代表曲であっても、実はその半分以上は他楽器からの転用、つまりアレンジものです。

 フルートを吹いている以上、フルートのために書かれた曲ばかりを吹いているわけにはいかず、アレンジものに手を出さざるを得ないという現状があるわけです。

 別にアレンジものがイケないと言いたいのではありません。ムソルグスキーの「展覧会の絵」のように、オリジナルのピアノ独奏曲よりも、ラヴェルがアレンジしたオーケストラ版の方が、数倍優れているケースだってあります。ただ、オーケストラ版の「展覧会の絵」はムソルグスキーの作品と言うよりも、ラヴェルの作品と言うべき内容になってしまっています。

 ここが問題なのです。アレンジものは、当然ですが、オリジナルではありません。いわば二次創作です。多くの場合、オリジナルの作曲家は、アレンジには関与しません。

 施されたアレンジも、作曲家の書いたものを、無骨に右から左に写したような『もしも作曲家自身がフルート用にアレンジを施したなら、きっとこうしたに違いない』と言うようなクリソツ系のアレンジもあるけれど、そういう良心的なアレンジばかりではありません。アレンジをするに当たり、その曲を演奏する演奏家たちの特性(?)に合わせて、アレンジするのが普通だし、アレンジャーだって人の子だもの、自分の個性を満載したアレンジをしたがるものです。

 演奏者たちの特性に合わせるというのが、厄介な事で、はっきり言っちゃえば“奏者の腕前に合わせて”細かいリズムを端折り、複雑な和声を単純化し、楽器の使用音域も移動した、いわば“簡単演奏用アレンジ”をでっち上げちゃうわけです。それが必ずしもイケないとは言いませんが、それをやったら、その曲は、オリジナルの作曲家の意図した音楽とは似て非なるものになってしまいます。同様に、アレンジャーの個性をてんこ盛りにした場合も、作曲家の意図した音楽から離れてしまいます。

 私には、心のどこかで「フルート音楽はクラシック音楽だ」と思っているフシがあります。なので、アレンジものに対する“言い難い拒否感”というものがあります。

 私はクラシック音楽とは、作曲家中心の作家性の強い音楽だと思ってます。だから、アレンジしてはいけない種類の音楽だと考えています。個人的には、声楽曲にみられる[声に合わせた]移調と、バロック音楽にみられる[楽譜を書き換えることなく]楽器の転用まではOKだけれど、リズムや和音に手を加えるようなアレンジは、作曲家の作家性を踏みにじる行為であって、断じてそのような音楽をクラシック音楽として認めるわけにはいきません。

 クラシック名曲のメロディだけを生かして、アレンジしたような、いわゆる“ホームクラシック曲”をクラシックに入れたくない…そんな、クラオタ原理主義者な私です。

 ですから、フルート音楽にオリジナル名曲が少なく、アレンジものが多いことを残念に思ってます。

 だってね、ヴァイオリンや声楽曲のオリジナル名曲の多さには、ちょっと嫉妬するよね。ヴァイオリンや歌なら、別の楽器用に作曲されたものをアレンジしてまで演奏する必要はないし、一生、オリジナル名曲だけを演奏していても、演奏しきれるものではありません。なのに、フルートは……ってところです。

 と言うわけで、フルート音楽って……な音楽だなあと思ってます。ああ、なんか残念です。

 実はこの話、明日に続きます(笑)。

コメント

  1. Cecilia より:

    >ドレミの「フルート名曲31選」

    ドレミの「バイオリン名曲31選」もオリジナルのヴァイオリン曲ばかりではないですね。

    声楽だと確かにプロもアマも同じ楽譜を使いますよね。簡単にアレンジするということもないですよね。歌曲で歌いたい曲があっても伴奏者の技術であきらめることが多いです。でも弾きやすくアレンジされた伴奏や和音をいじった伴奏だったとしたら・・・耐えられそうもないです。

  2. すとん より:

    >Ceciliaさん

    >ドレミの「バイオリン名曲31選」もオリジナルのヴァイオリン曲ばかりではないですね。

     …???  あ、そうか! 声楽曲からの転用がかなりあるんだ! ううむ、やっぱり“歌”は強いなあ…。それでもヴァイオリンは、オリジナルのヴァイオリン曲と、ヴァイオリン主役のオーケストラ曲(オケ部分はピアノで代用)がゴチャマンとあって、うらやましい事には変わりないです。

    >歌曲で歌いたい曲があっても伴奏者の技術であきらめることが多いです。

     あるあるネタですね。実際、歌曲のピアノパートって、半端なく難しいものがゴロゴロあります。あと、オペラアリアだと譜面は簡単そうに見えても、全然ピアニスティックの伴奏ではないので、見た目以上にピアニストさんは苦労するって聞いたことあります。楽器だと調性って、ダイレクトに演奏の難易度に反映しますが、歌の場合は最初の音取りの時だけの苦労なので、たとえ譜面に臨時記号がいくつあってもあまり気にしないと言えば気にしませんが…やたらと臨時記号の多い調の曲が多いような気がします(それって私限定?)。

  3. めいぷる より:

    私は「フルートが好き」で始めた訳ではなく、こんな曲が演奏したい…と思った時に手持ち札がフルートしかなかったのでフルートを吹いています。だからなのかアレンジに抵抗が少ないです。^^ゞ

    でもフルートだって良い曲がいっぱいあるんだよ…という師匠の教えの元、多くのオリジナルに触れますが、、、、全体に、世間で開国直後偏見弊害…と言われるドイツ音楽で洗脳されている日本人好みの和声進行の曲、起承転結のハッキリした曲、演歌の如く感情込めて歌える曲、などは殆ど無いですね。そんな所からアレンジ物からはいらないととっつきにくい楽器なのかもしれません。 でも、オリジナルで名作も多いですよ。私は一生かかっても制覇できないほど沢山ありますよん♪

  4. すとん より:

    >めいぷるさん

     クラシック系のフルート音楽(当然オリジナル曲)って、それなりの数の曲はあるんだろうなあ…という推測は私もしますが、実際問題として、私、そのほとんどを知りません。勉強不足と言えば勉強不足ですが、これでも鑑賞中心のクラオタ上がりの私です。一般の人の数十倍の音楽を知っているつもりですが…それでもやはり知りません。そういう意味では、フルート音楽って、相当にマイナーな種類の音楽だと思ってます。

     で、そんなマイナーな音楽でも、私は案外、知りたい・聞いてみたいと思ってます。聞いてみたら、好きになれるかもしれないし、愛せるかもしれませんからね。でも、それらの音楽を耳にするチャンスそのものが、なかなかないんですよ。

     フルートのオリジナル曲って、実に演奏される機会が少ないと思います。フルートの演奏会そのものは、決して少なくないのにね。

     つまりこれって、フルートという楽器そのものには魅力があるけれど、フルートが奏でる音楽そのものには、人々が関心を持っていない。つまり「フルートの音が聞きたいから、フルートのコンサートには行くけれど、曲はなんでもいいや。我々が知っているような普通の曲をやってくれれば、それでいいよ」って感じなんだろうと思います。。

     なんて言うのかな…ピアノにおけるリストやショパンのような、ヴァイオリン界におけるパガニーニのような音楽家がフルート界にいなかったのが、ここまでフルート音楽を地味な音楽にしちゃった原因の一つじゃないかなって気がします。たとえどんなに素晴らしい曲があっても、それをセンセーショナルに演奏し、一般大衆の耳にまで届けられるミュージシャンがいなかった事が、フルート音楽をマイナーにしてしまった原因じゃないかな?と改めて思います。

     それって、残念な事だよね。

  5. 河童 より:

    いや~ 難しいテーマを持ち出しましたねえ

    ふと考えると、フルートは上品すぎるのでは?と思います
    バイオリンならジプシー音楽やフィドルの様に荒々しさも出せます。
    サックス・トランペットは音量・迫力
    これらに比べるとフルートはお淑やかになってしまいます。
    ですから前面に出て押しの強さをだすことは控える気質で、引っ張り出されれば頑張って歌うってとこじゃあないでしょうか。

    いろんな意見や思いがあるでしょうね

  6. すとん より:

    >河童さん

     まあ、確かにフルートは音色が上品すぎるキライはありますが、それはクラシック系音楽においては、さほどの欠点ではないと思いますよ。

     確かにヴァイオリンのような音色の幅はないですし、他の管楽器のような迫力もありません。むしろ、繊細でたおやかの音色だと思いますが、そのフルートの持つ長所をうまく引き出すような曲/演奏家に恵まれなかったのが、不運の始まりではなかったかと思いますよ。

     それとよく“楽器奏者別の性格判断”みたいなのがあるじゃないですか? もしかすると、フルート奏者というのが、実は裏方にまわりたがる地味目な人の集まりとか? 楽器そのものは、むしろ華やかで派手な楽器だと思うのですが…。

     テーマ的には難しい話ですよね。今回のこの記事でケリがついたとは私は思いません。また、何か思いついたら、きっと書きます(笑)。

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