なぜこんな疑問が浮かぶのかと言うと、たまにテレビで合唱の番組を見ていると、指導者たちが合唱団員たちに向かって「ここの歌詞はどんな意味なのか、何を表しているのかを考えながら歌いなさい」と指導している場面を見て「???」と思ってしまうからです。
合唱団員は、滑舌良く、正しい発音で歌詞を歌う必要はあるけれど、意味まで考えて歌う必要なんて、全然無いんじゃないの? 歌をどう表現するかは、合唱団員ではなく、指揮者の仕事なわけで、むしろ合唱団員一人ひとりが勝手に気持ちを込めて表現して歌ってはダメでしょう。それは絶対に避けるべき事だよね。
あくまでも合唱団員の歌はニュートラルであるべきで、そこに指揮者が統一した一つの感情を乗せて表現を完成させていくものであって、あくまでも合唱団員個人の歌は、その材料に過ぎないのだから、その材料が勝手なことをしてはダメなんだと、私は考えるわけです。
だから、合唱において、合唱団員一人ひとりが、歌う歌詞の内容について考えて、独自の解釈で感情を込めて表現を加えて歌う事を求めている指導を見ていると「???」となるのです。
それをするのは越権行為だし、むしろ指揮者をバカにし、無能扱いする歌い方だと思うわけです。あくまでも合唱なんて、指揮者にとって扱いやすい楽器であるべきなのです。
だから合唱において、合唱団員が歌詞の内容を理解している必要なんて、全然無いと思うし、日本語歌詞なんて、歌詞の内容を理解できちゃうのだけれど、そこに引きづられないようにしながら、ニュートラルに歌わないとダメって思うわけです。
例えば、悲しい歌を、涙声で歌われたら、聞いている方は引いちゃうでしょ? どこまで歌に感情を入れるべきかは、指揮者が考えることであって、歌っている合唱団員が考えちゃダメなんだと、私は思うわけです。
もちろん、歌詞の内容の理解が不要なのは、合唱団員の歌であって、独唱者は別です。独唱者は、自分の表現で歌わないといけないので、歌詞の内容は理解している必要はあるし、独自の解釈で感情を歌に乗せて表現しないと“棒歌い”になってしまうわけなので、むしろきちんと歌詞を理解した上で歌わないとダメですね。
そこは、合唱と独唱の歌に対する姿勢の違いってやつなんだろうと思います。
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