声量の話をします。
いわゆる500席前後の中規模の音楽ホール(声楽コンサート等でよく使われるサイズ)で独唱できますか?
無論、技術の問題やらメンタルの問題やらがあるのは当然として、でもそれらはひとまず横に置いて、ホールの隅々まで聞こえる声で歌えますか…という問いです。
これには当人の楽器としての資質が問われます。
ある意味、声量って才能の部分があります。骨格と筋肉が歌手向きに仕上がっているかどうかで、声量って決まってしまうのです。
特に共鳴腔が大きいかどうか…カラダが大きいとか、厚いかとかが問われるわけです。逆に言うと、カラダが小さいとか、薄いとかは、歌手として大きなハンデを背負っていると言えるでしょう。
筋肉は鍛えれば、ある程度はどうにかなります。でも、骨格は人種や年齢や育った環境等で、ある程度決まってしまいます。その決まってしまう部分が、才能であり、ギフトであり、それらが整っていないと、音楽ホールで歌えるだけの声量を獲得するのは難しいと思います。つまり、ここが“楽器としての資質”の問題です。
楽器としての資質が十分な人が、訓練によって呼吸筋等を鍛えることで、音楽ホールの歌唱に必要な声量が得られるわけです。
そういう意味では、日本人に生まれるって事は、大きなハンデだね。だって、日本人の骨格って、薄っぺらがデフォルトだからね。そういう意味では、独唱には向いていないのです。
「私のカラダは薄っぺらだから、音楽には向いていないなあ…」と嘆く声が聞こえてきそうです…。
確かに大きな声量を必要とする独唱は向いていないかもしれないけれど、そんな人でも必要とされるのが、合唱という音楽ジャンルでしょう。合唱は、歌手たちの一人ひとりの声量が少なめでも、多人数が声を合わせて歌うことで、音量を獲得できます。そういう意味では、独唱できないけれど歌いたい人を集めて演奏を始めたのが、そもそもの合唱なのかもしれません(この部分は私の妄想です)。
才能豊かで、何もせずとも独唱できる声を持っている人もいないわけではないけれど、基本的に、才能というのは磨かなければ使えないものだから、ちょっとぐらいカラダが大きいからと言って、それにあぐらをかかずに、きちんと訓練を積み重ねていく必要はあるでしょう。
そして、独唱できだけの声を持っている人は、たとえ今現在、合唱をやっていたとしても、神様から与えられた才能を有効利用するという意味でも、いつかは独唱にチャレンジしてみる事は、才能に対する義務なのかもしれません。
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