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合唱声とはどんな声か? 改めて考えてみた

 合唱声…ネットでよく見かける用語ですし、私も使う言葉ですが、なんとなくのイメージで使うことも多く、具体的にどんな声の事を言うのか、きちんと考えた事もなかったので、いい機会なので、合唱声について考えてみました。

 まずネットでは“合唱声”とは、侮蔑語や罵倒語の一種として使われている事が多いように思われます。曰く「その他大勢のどうでもよい歌声」とか「ソロが歌えない未熟で魅力に乏しい声」とか、そういう感じです。

 ちょっとひどい使い方ですね。合唱愛好者をディスる目的がでもあるのでしょうか。でも、確かにこれらの表現には、合唱声の一つの側面…無個性な声…を表してはいます。

 私が感じる合唱声には、この“無個性な声”があります。無個性が悪ければ“とりたてて特徴の無い声”であり、カッコよく言えば“ニュートラルな声”とも言えます。取りようによっては“お上品な声”と言えなくもないです。どのような表現であれ、あまり褒めている表現ではないですね(ごめんなさい)。

 おそらく、これらの言い回しの根底には“表現力の不足”があるんだろうと思われます。彼らが単体で歌う歌や声に表現力が感じられないために、ディスられてしまうのだろうと思いますが…これって、合唱をやっていれば、当然の話とも言えます。だって合唱で表現をするのは、指揮者であって、歌手たちではないからです。歌手たちは、指揮者の指示通りに歌うだけの話であって、彼ら個々人が勝手に表現をして良いわけはありません。合唱団員は、合唱という音楽に関しては、楽器であり、素材なのです。それらの楽器や素材を使って、音楽を作るのは指揮者なのです。だから、合唱団員の歌は指揮者の楽器なのであって、それ以上でもそれ以下でもないわけです。そもそも、楽器に表現力なんて無くて当然で、その楽器を使って指揮者が表現をすればいいだけなのです。

 なので、当然、合唱歌手たちの声には表現力が不足し、それがひいては“合唱声”と言われる歌声になっているのだろうと思われます。

 むしろ合唱声が楽器であるなら、そこに求められるのは、表現力ではなく、正しい音程(ピッチ)です。音程の不正確な楽器なんて、使い物になりませんからね。

 だから合唱声と言われたら「正しい音程で歌っている」と褒められている…って思えばいいんじゃないかな? と言うのも、ソロで歌っている人の音程って、間違ってはいないけれど、そこまできちんきちんとした音程で歌っているわけじゃないからね。特にお客を煽るために、わざと高めに音程を取ったり、不安な気持ちにさせるために、少し音程を外したりとか、印象づけるために音程をしゃくったり…する人いるからねえ。いわば、音程の取り方も表現の一つってわけです。

 結論。合唱声とは、楽器として、歌っている時の声です。ですから、表現者として歌うならば、そこに表現を加えて歌う必要があります。

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