楽譜通りに歌うのは、本当に難しいと思ってます。
まず、音程正しく歌う事、実はこれが難しいです。機械的に正しい音程で歌う事と、聞いていて心地良い音程で歌う事は違うわけです。それに正しさの精度も問題ですよね。アバウトに正しい音程と、厳密に正しい音程は違うわけだし“楽譜通り”というなら、やはり厳密に正しい音程で歌うべきだろうと思うのだけれど、それってかなり難しいでしょ? 人間だもの、歌えば自分が心地良い音程で歌っちゃうわけだけれど、それが機械的に正しい音程かどうかなんて、まったく保証されないわけです…ってか、たぶん機械で測定すれば、微妙にズレているような気がします。
全く以て精密に正しい音程で歌うのは、難しいと思います。
それに瞬間的に音程正しく歌えても、曲の最初から最後まで、正しい音程で歌うなんて、そりゃあなかなかに難しいです。だって人間だもの、疲れちゃうでしょ? 歌い始めは正しい音程で歌えても、曲の後半になれば荒れてくるのは当然だし、音符だって、伸ばしているうちに音程が下がってくるのが人間の常。でも、それはダメでしょ? 楽譜通りは難しいのよ。
次にリズム…と言うか、音符の長さやタイミングを正しく歌う事も難しいです。
決められた音価よりも長くてもダメだし、短くてもダメです。特に難しいのは、ブレスのタイミングでしょう。休符があれば、そこでブレスが取れるけれど、休符のない楽譜も結構あります。それをそのまま歌ったなら、多くの人は酸欠で倒れるので、どこかで妥協してブレスをしているわけですが、その時点ですでに楽譜とは違っているわけです。だから自分で作曲した時は、必ずブレスの場所に短くても休符を入れてます(でないと、なんかヤなのね)。
前ノリとか後ノリとかの言葉がある通り、リズム的に正確に歌うのも難しいです。かと言って、機械的な正しいタイミンクのリズムと、ノリの良いリズムはまた別だし、心地良い音楽ってのは揺れるものだけれど、その揺れが楽譜に書いてあるとも限らないしね…ってか、揺れのない音楽は音楽的ではないけれど、揺れてしまう音楽は楽譜通りではないわけで…なんか難しいよね。
詰まる所、楽譜通りに歌うのが難しい理由は、技術的に難しいだけではなく、楽譜通りに歌ってしまうと、居心地の悪い音楽になりがちで、人はそれを無意識に避けようとするからこそ、楽譜通りに歌うのが難しいわけです。
単純に楽譜通りの演奏が欲しければ、パソコンで演奏すれば、かなり正確な音楽が得られるけれど、そんな演奏はクソでしょ? 全然、良くないのです。
おそらく、音楽の記録媒体としての楽譜って、かなりスキがあって不完全なものなのでしょう。だから、楽譜通りに歌うのは難しいし、美しくないし、意味ないわけです。
でも、クラシック音楽ってのは楽譜通りに演奏するという暗黙の前提があるわけで、そこにクラシック音楽の矛盾があるのかもしれません。
まあ、体力とか技術とかの制限や限界で、楽譜通りに歌えない…という未熟な部分は克服できるようになりたいと思ってます。
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コメント
大昔、ローゼンストックさんが(現)N響を率いていた頃、
我らが吉田雅夫先生が、
ストラビンスキーのフルートソロパートを吹いていたら、
ローゼンストックさん「楽譜通りに吹け!」(仮称A)
楽譜通りに吹くと、
どうしても「音楽的に」満足できなくって、
ちっと変えて吹いたら(仮称V)、
ローゼンストックさんに怒られちったそうで。
ところが、後日(ならぬ後年)、
ストラビンスキーが来日し、
最新版の楽譜を提示したら、
吉田雅夫さんが変えた通りの「修正版」(仮称V)だったそうで、
吉田さん曰く「やっぱり、僕の方が正しかったのかな~。」
ヽ( ̄▽ ̄)ノ ヽ( ̄▽ ̄)ノ ヽ( ̄▽ ̄)ノ
(-A-) (-A-) (-A-) ← ざっくぅ
おしまい
オペラ座の怪人の怪人さん
私の書いた「楽譜通り」とは方向性が違いますが、たぶん“作曲あるある”ネタなんだろうなあって思います。
声楽の世界では、今現在、歌手たちが歌っているメロディが、元々作曲家が作ったメロディとは少々違う…ってのは、ありがちです(特にイタリア系)。なので、元々の作曲家の書いたメロディはどんなのだろう?…と思って調べてみると、これが案外、つまんないんだ(笑)。
でもねでもね、素晴らしいモノをより素晴らしく改変する能力ってすごいけれど、やっぱりゼロからモノを作る才能は、もっとすごい才能だと思うわけです…ってか、そもそもゼロからモノを作る人がいなければ、それをより素晴らしくする事なんてできないのだから、ゼロからモノを作る人は尊敬したいなあと個人的に思ってます。