私には音感がありません。絶対音感はもちろん、相対音感ですら危ないです。だからと言って、音楽が楽しめないわけではないし、フルートが吹けないわけでも、歌が歌えないわけでもありません。でも、音感はほぼ全くと言って良いほどありません。
ポーンとピアノのキイを叩いて出た音が、何の音なのか分からないし、ポンポーンと二つのキイを叩いて出た音が、どれくらい離れているかも分かりません。
しかし、どれくらい離れているは分からなくても、音が上がったのか下がったのかは、2度以上なら、さすがに分かりますが、1度の違い(って事は実質半音だね)だと(だらし無い話だけれど)だと、たまに間違えます。
でもね、音の違いは分からなくても、ポンと叩かれた音と同じ音を発声する事はできます。でも、同じ音をフルートでは吹けません。だって、何の音なのかが分からないんたもの。だから、知らないメロディーであっても、聞けば歌えますが、何度聞いても聞くだけではフルートは吹けません。フルートは楽譜がないと、お手上げなのです。つまり歌だと耳コピできますが、笛だと耳コピできません。そんな程度の人間なのです。
では、なぜ、私はその程度の人間なのかと考えてみました。
まあ『才能が無いから』とか『幼少時にまともの音楽教育を受けなかったから』とか『人間としての程度が知れてるから』とか『馬鹿だから』とか…そういうのは、ちょっと横に置いてみました。でないと話が進まないからね。
自分の無能力さに関する事柄を抜きにして考えてみました。一体、何が原因となって、私には音感が無いのだろうか? そもそも音感っで何なんだろう?
うーん、うーん、うーんと唸って出た答えは、音感って、実は記憶力じゃないのかな?って思いました。音程に関する記憶力の事を“音感”って言うんじゃないのかな?
そうであるならば、よく「絶対音感は幼少時でなければ身につかない」と言われるのも解せます。幼児の記憶力って、爆発的にすごいんだよね。彼らはなんでもかんでも暗記できちゃうんだもの、あの記憶力があって始めて絶対音感という、音の印象を個別に暗記する事ができるわけです。
記憶力は年を取るに従って衰えていきます。一説には小学校高学年を境に、後はズルズルズルズルと能力が低下していくだけなんだそうですね。記憶力が衰えてくれば、個々の音の印象を覚えることができなくなっても当然です。個々の音についての記憶は無理であっても、音と音の関係性の印象は覚える事ができるようです。これが相対音感って奴でしょう。この相対音感は、一般的には、大人になっても身につけることができるんだそうです。
一般的には…ですね(涙)。
実は私、子どもの頃から、記憶力ってダメなんですよ。特に言語的な記憶力と言うか、分析的な記憶力って奴が壊滅的にダメなんですよ。
私が得意なのは、目で見た風景をまるまる覚える事。いわゆる“フォトメモリ”って奴で、例えば英単語を暗記するなら、普通の人は、英単語をブツブツ言いながら覚えたり(聴覚的に言葉として覚えるわけです)、何度も何度も書きながら覚えたり(運動をしてカラダに覚えさせるわけです)しますが、私は全然違っていて、ただぼーっと単語帳を眺めて、単語帳のページを丸々暗記します。そこに何が書かれているとかは、全く関係ありません。ただただ単語帳のページを風景として暗記します。テストの時などは、頭の中にある単語帳をめくって該当箇所を読んで答えるわけです。全く理解せずに暗記しちゃう人なんですね。
実は今でもそうで、エルステユーブンゲンの暗譜は、音とか指とかでなく、楽譜を丸々暗譜して、頭の中でその楽譜をガン見して吹いているんですよん(笑)。
楽譜は見えるので暗譜できますが、音は…見えません。私、見えないものって、なかなか覚えられないんです。
でも時間をかければ、丸暗記はできますので、曲としての音楽は覚えられるし楽しめるのですが、あくまでも全体を丸暗記ですから「途中から…」とか「部分的に…」とかだと、かなり苦戦します。
まあ、私の事はさておいて、音感って奴は『音に関する印象の記憶力』の事だと思います。それが個々の音に関する情報まで記憶できれば『絶対音感』となり、個々は無理でも、音と音の相互関係に関して記憶できれば『相対音感』になるのだと思います。
となると、私の場合は、絶対音感も相対音感も、身につけるのは、まずは無理だな。私にできるのは丸暗記だけなので、音楽も丸暗記するしかないわけです。で、問題は、私はすでに若くないって事です。昨日食べた食事すら思い出せないほどに、記憶力が低下している現在、音楽を丸暗記するのも、結構苦労しているわけです。
まあ、出来ない事を恨んでも仕方ないし、衰えてしまった事は受け入れるしかありません。ただ、今できる事を全力で行う…それだけです。
でもね、やっぱり、音感を持っている人って、羨ましいです。
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コメント
「絶対音感( 最相 葉月 著)」という、なかなかの本があって、
色々と問題もある本なのですが、、、
うろ覚えで恐縮ですが、
「あなたは絶対音感をお持ちですか?」という問いに対して、
「ある」「ない」という単純明快な回答を寄せる方が
もちろん多かったのですが、一方で、
「楽器があれば」みたいな回答をする方もいて、
私としては、「わかる、わかる」という感じ。
私(昔はともかく、今は)、曲を聴いても、
それを五線譜に書き写すことはできないのですが、
カラオケに行って、例えば「新宝島」をかけたとして、
フルートを持っていれば、何の苦もなく、吹けるのです、
最初の1音から。
これって、頭、というよりは、指が曲に反応しちゃう、
みたいな。
もちろん、厳密に、脳科学的に言えば、
脳が反応して、指を動かして、ということでしょうが。
パソコンのキーボードで、何も考えずに、指が動くのと同様に、
音楽を聴いて、何も考えずに、指がフルートを演奏する、
っていうのは、一種の音感かな、と。
そんなことを思った、本日のすとん様エッセイでした。
おしまい
基本的な相対音感は幼少時から聴いてきた全ての音楽の記憶で培われているのではないかと思いますがいかがでしょうか?ドミソは明るい感じがするとか、ラドミは暗い、ドミソシ♭は不安定など、そういうのを感じとれる感覚ですね。
新曲をさらう時も各音に付けられている伴奏の和音からそういう感覚を意識すれば、音程もハメやすい思いますよ。
おでんツンツンの件、
検察は不起訴の理由を説明していないようですが、
被疑者(っていうか、犯人?)とお店との間で、
示談が成立した、という報道もあるようでして、
(私は法律に全く詳しくないのですが)
逮捕後、裁判前、というタイミングで
示談が成立した場合も「不起訴」になるのかしら?
もし、そうだとして、私としては、
お店に対して、
「示談なんかで済ませないで、
ちゃんと裁判にかけて、
厳しく責任を取らせるべきじゃないの!?」
と言いたい気分であります。
おしまい
私のフルートの先生は、絶対音感をお持ちの方でした。でも和音はダメなんだそうです。
和音がなると、一つの音の塊と聞くので解らなくなるのだそうです。音感って色々複雑のようです。私はⅠの和音・Ⅱの和音・Ⅲの和音・Ⅴの和音?は子供の時は聞き分けができました。たぶんどの小学生でも普通にみんな出来ると思うレベルです。でも先生は小学生のころから音大生になっても和音の聞き取りには苦労したそうです。どの鍵盤叩かれても、音の名称が言えるのに!効いた音をピアノやフルートで演奏できるのに。
絶対音感は奥が深いようです。
相対音感は、コーラスがあっているかどうか、聴くこと出来ればで身につくと言われていました。心地よいかどうかさえ分かれば相対音感はあると・・・。
すとんさんも相対音感をお持ちですよ!ピアノと合して、あんなに歌ってらっしるのだし!私はもう和音は聞き分けられないかな?怖くて試せません!絶対音痴かも!
operazanokaijinnokaijinさん
>「絶対音感( 最相 葉月 著)」という、なかなかの本があって、
この本、私も持ってますし読みましたが…今は家のどこに埋もれてしまったのか分からないので、読み返せません。書斎の壁は全部書棚なのですが、すでに本は入りきれず、床に何百冊と積んであるし、他の部屋や廊下や階段にもあります。家中、本だらけなので、こういう時、困ります。
>カラオケに行って、例えば「新宝島」をかけたとして、フルートを持っていれば、何の苦もなく、吹けるのです、最初の1音から。
すごい、すごい。でも、これって暗譜をしているから…とか、昔練習した事かあるから…とか、とは違うのですか? 別に暗譜はしていないし、練習もした事ないけれど、曲は知っていて、カラオケに合わせて、いきなり演奏できるというのなら、私、尊敬します。それは自分の中にイメージとして持っているものを、フルートで表現できるってわけですからね。
音感的なモノよりも、自由自在にフルートを演奏できる点で尊敬しますよ。私には、決定的に不足している能力だよなあ…。
オデさん、いらっしゃいませ。
>基本的な相対音感は幼少時から聴いてきた全ての音楽の記憶で培われているのではないかと思いますがいかがでしょうか?
そうかもしれませんね。まあ、となると、私は障害者って事になるんだろうなあ。幼少時から、マトモの教育は受けてこなかったけれど、浴びるように音楽を聞いてきた私です。それにも関わらず、音感ゼロなんだもの。記憶力が劣ると言うよりも、欠落しているんだろなあ(涙)。
>ドミソは明るい感じがするとか、ラドミは暗い、ドミソシ♭は不安定など、そういうのを感じとれる感覚ですね。
うーん、そうか。世間の人は、そう感じているか? 私はそんな事、全く考えた事もなければ、感じたこともないです。だからダメなんだな、私は。
私にとって和音って、うねりとか波動なんだよね。美しくうねうねしているのか、うねうねの具合が気持ち悪いのか…どうも、世間一般とは感覚がズレているような…。
operazanokaijinnokaijinさん
>逮捕後、裁判前、というタイミングで、示談が成立した場合も「不起訴」になるのかしら?
あー、なるかも。その事を失念していました。私もダメだな。
しかし私も、どれくらいの金額が動いたのかは分かりませんが、operazanokaijinnokaijinさんのように、示談ではなく、厳しく責任を取らせるべきだと思いますよ。最近世間に湧き出ているバカッターやバカユーチューバーたちに対する(ちょっぴり申し訳ないけれど)社会的な見せしめとなってほしかったなあと思いますが、それは余計なお世話って奴でしょうね。
サークルKに、ちょっぴりガッカリした私です。
うさぎさん
和音の聞き分けは、絶対音感の有無とは、また別の話みたいですよ。
>私はⅠの和音・Ⅱの和音・Ⅲの和音・Ⅴの和音?は子供の時は聞き分けができました。たぶんどの小学生でも普通にみんな出来ると思うレベルです。
ははは、私は小学生の時に出来なかったし、オトナになった今でも出来ません。ヘ長調のⅠの和音と、ハ長調のⅣの和音が同じにしか聞こえない、全く和音の持つ機能って奴を感じる事のできない、ヘタレ野郎な私です。
>相対音感は、コーラスがあっているかどうか、聴くこと出来ればで身につくと言われていました。心地よいかどうかさえ分かれば相対音感はあると・・・。
コーラスが合っているかどうかは、理屈じゃなく分かります。結構微妙な違いも分かりますし、その心地よさも分かるんだけれど、でもそれは相対音感とは違うような。たぶん、それは和声感なんだと思います。和声感と相対音感は違うと思うよ。
私は、音感はないけれど、リズム感と和声感は人並みにある人…なんですよん。
>ピアノと合して、あんなに歌ってらっしるのだし!
和音に乗っけて歌うのは得意です。見知らぬメロディにハーモニーを適当に付けるのも得意だよ(ポピュラー系の人は、普通にやるけど、クラシック系の人は苦手なんだよね、これ)。私の場合は、相対音感ではなく、和音感があるので、和音の上に自分の声を載せて歌っているだけなんですよ。相対的音の感覚は、実は分かっていないので、楽譜よりも3度高く歌っちゃうとかザラだったりします(汗)。3度高くてもハモるもんなあ…。
あれれ?ドミソ(長調)から受ける印象は「陽」「明」「喜」、ラドミ(短調)は「陰」「暗」「悲」というのは全世界共通だと勝手に思っていたのですが、もしかしたら私一人の勝手なイメージだったのかもしれません(汗)。他の人には確認したことが無いです。
オデさん
>ドミソ(長調)から受ける印象は「陽」「明」「喜」、ラドミ(短調)は「陰」「暗」「悲」というのは全世界共通だと勝手に思っていたので
全世界共通かどうかは分かりませんが、日本の学校教育ではそう教えます。だから多くの日本人はそう思っていると思いますよ。
でも、私はそんな風に感じた事ないです。ドミソはドミソでCだし、ラドミはラドミでAmです。私にとってはそんだけです。まあ、それもこれも音感が無いからかもしれませんが(笑)。
余談かもしれませんが、私は物心ついた時から小学校いっぱいまでアメリカに住んでいました。アメリカの小学校では音楽の授業がありませんでした笑。学校とは別にピアノを習っていましたが、和音のイメージを教わった記憶はありません。
ドラマや映画などでは明るい場面では長調ベースの音楽、暗い場面では短調の音楽が当てられることが多いので、その影響かもしれませんね。
こんにちは。
ちょっとお聞きしたいのですが。
私がポップスでも声楽曲でも耳コピで
BGM流しながら歌っている時
あまりにも自分の声が大きくなって
BGMが聴こえない状態になったあと
声量を落としてあらためて音楽が聞こえてくると
自分の歌っている音程が2度か3度上を行っている事があります。
これって絶対音感とか相対音感がないせいでしょうか?
それとも楽譜でなく耳コピで歌ってるせいでしょうか?
ちなみにこんな感じになる人は
アカペラで歌うとかも難しくなるんでしょうかね?
オデさん
>明るい場面では長調ベースの音楽、暗い場面では短調の音楽が当てられることが多いので、その影響かもしれませんね。
卵と鶏の話ですね。明るい場面にふさわしい音楽を選んだら長調ベースの音楽となったのか、長調ベースの音楽だから明るい場面に使ったのか…まあ、どちらでもいいのですが(笑)。おそらく「長調=明るい、短調=暗い」という感覚は、割りとポピュラーな感覚なのかもしれませんね。
>アメリカの小学校では音楽の授業がありませんでした
そうらしいですね。アメリカに限らず、体育とか芸術とかのいわゆる実技科目って、学校で教えない国や地域って、たくさんあります。いやむしろ、それらも教えちゃう日本の学校が変わっているのかもしれません。もちろん、部活動も日本独自のモノなんですよね。
日本の学校って、子どもの教育に関する事、なんでもかんでもやらされているんだと思います。ある意味、子どもの教育の総合デパートみたいなモンだよね。そこに携わっているセンセたちって、ある意味、スーパーマンだと思うよ。滅私奉公しすぎていると思います。それだけあれこれやっているのに、世間の風は冷たいんだよね。
センセたちをいじめると、良い人材が教育界に行かなくなって、回りまわって子どもたちの教育のレベルが下がる事になるんだけれど…そういうこと、みんな、分かっているのかな?
名無さん
名無さんは、私と同じタイプの人間だと思いますよ。
>自分の歌っている音程が2度か3度上を行っている事があります。
あるある(笑)。こういう現象は、絶対音感を持っている人だと、やりたくても出来ない所業のようです。相対音感の方は、疲れてくると音が下ってくる傾向がありますが、音が上がっていく事はまずありません。つまり、これが出来ちゃう我々は“音感がない”わけです。
>アカペラで歌うとかも難しくなるんでしょうかね?
止めておいた方が良いでしょう。何も自ら火中の栗を拾いに行く必要はありませんよ。
でも、名無さんに和声感があるなら、常に伴奏を聞くように心がけていれば、大丈夫です。伴奏が聞けないのは…声が“側鳴り”だという事も影響あるかもしれません。側鳴りの人は、自分の周りがうるさくなって、自分の声で周囲の物音を遮断してしまうんですよ。側鳴りはクラシックではアウトですが、マイクで歌うなら必ずしもアウトってわけじゃないんです。ですから、カラオケなどでは、モニターの音を大きめに設定してもらうと良いかもしれませんね。
こんばんは。
お返事ありがとうございます。
絶対音感なし。
相対音感なし。
歌う声は側鳴り。
ショーーック。_| ̄|○
でも、おっしゃる通り伴奏が聞こえていれば
フィードバックで全然平気です。
ちなみに伴奏聞こえないと
テンポも先を進みますけどね。(^^;)
名無さん
>テンポも先を進みますけどね。(^^;)
おひおひ、それはテンポ感が無いって事じゃないっすか? まあ、歌は伴奏無しで歌うことって、まずないので、それは特に大きな問題じゃあないですけれどね。
写真のように、記憶できるすとん様の、能力が、うらやまで、ございます。
めちゃくちゃ苦労しましたので。。
歌えるけどフルートが吹けない。
という事態は、多々経験しております。
口笛は、吹けるけど、フルート吹けないとか。
歌というのは、それほど自由なのですよねー。
うむ、うむ。
因みにワタクシ、楽譜読むのは、大変苦手です。メロディーや、リズムを聞いた方が楽チンだったりして。
みかんさん
いやいや、画像丸暗記能力は、物事を理解せずに暗記するので、そんなに便利じゃないですよ。それに若い時とともかく、年を取ってしまった今では、目が老眼になってしまったように、記憶も老眼になっていて、細かいところがぼやけたままで暗記しちゃいますので、実は「覚えたはずだけれど読めない」という状態になりがちです。残念でしょ?
>因みにワタクシ、楽譜読むのは、大変苦手です。
私も苦手です、大変苦手です。
楽譜を読むのって、外国語の文章を読むのと同じで、要は学習と慣れで読めるようになるみたいです。私は今、フルートのH先生のレッスンで、読譜(譜面を読む事ね)を訓練しています。慣れてくると、だんだん楽譜を読めるようになっているのを実感しています。簡単な曲だと、初見が効くようになってきました。
確かにメロディーやリズムは聞いた方が楽ちんは楽ちんなんですが、耳がそんなに優秀ではないせいもあって、楽譜で読み取った方が、より正確に理解できるという事実もあります。のだめのような、研ぎ澄まされた耳を持っていれば、楽譜なんて不要なんでしょうが…ねえ。