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そばと邦楽とテナー

 昔々、私が子どもだった頃、父から「昼飯を作ってやるから、そばを買ってこい」と言われて、おつかいに行った事がありました。

 「そばを買ってこい」と言われたので、普通にそば粉でうった日本そばを購入して帰ったら、嫌になるほど殴られました。父が買ってこいと私に言いつけたのは“そば”は“そば”でも“日本そば”ではなく“中華そば”だったのです。私に言わせれば「だったら“そば”なんて言わずに“ラーメン”と言ってくれれば、殴られずに済んだのに…」って事です。私にとって“そば”とは日本そばの事であって、中華そばは“そば”ではなく“ラーメン”であり、百歩譲っても“中華そば”でしかないのですが、父にとっては“日本そば”も“中華そば”も“そば”であって、そのあたりの違いは空気を読んで察しろって事なんです。ひどい話ですね。

 世の中には、言葉は同じでも、使う人によって指し示す意味が異なってる事があり、それがディスコミュニケーションの原因になり、ひどい時は、私のように、理不尽な暴力を振るわれる事だってあるわけです。

 音楽業界にも、似たような話がありますね。

 例えば、邦楽。邦楽と聞いて、皆さんはどんな音楽を思い浮かべますか?

 私は“邦楽”と聞けば、三味線とか尺八などが活躍する、日本古来の伝統音楽で、まあ、だいたいは江戸時代の小唄、長唄、清元、義太夫、都々逸などの流行歌をイメージします。そしてそれに、地方地方で歌われてきた民謡も加えてもいいかもしれません。

 しかし、ある人たちはそうではなく“邦楽”と聞くと、J-POPとか歌謡曲とかアイドルソングとかジャパニーズロックなど、今の日本の流行歌をイメージするようです。まあ、“洋楽”に対しての“邦楽”というわけです。音楽ジャンルの対立概念からすれば、全くの言葉の誤用とは言えないと思いますが、私的には違和感があります。

 ですから“邦楽”という言葉を使って会話をしていても、両者の頭の中で思い浮かべる音楽が、全然違っていて、話がまったく咬み合わないなんて事もあります。

 もう一つあります。それは“テナー”という言葉です。

 皆さんはテナーと聞くと、何を思い浮かべますか? “テナー”とは“テノール”の事です。ここまでは全世界が一致すると思うのです。問題は“テナー”とか“テノール”とかが、何を指しているかという事なんです。

 私の場合“テナー”とは、私自身の事もあって、当然、男声高音歌手の事を指します。それ以外のモノではありえません。

 しかし、人によって、大型のサクソフォーンを指して“テナー”と呼びます。正式には『テナーサックス』と呼ばれる楽器であって、その略称として“テナー”と呼ぶわけです。

 確かに同属楽器の違いを、その音域によって、ソプラノ、アルト、テノール、バスなどど人声のように分ける事は、普通に行われています。フルートだって、普通のフルートの他に、アルトフルートという楽器があって、笛吹きの間では“アルト”と略して呼ぶわけで、そういう事は、様々な楽器プレイヤーの間では普通に行われている事です。

 でもテナーがテナーサックスを指す事は、ちょっと事情が違います。と言うもの、この略称が、案外、知名度が高いと言いますか、一般用語として広く流布されているからです。その証拠に“テナー”とググると、高確率で、歌手ではなく、サックスの方がヒットするくらいです。おいおい…って感じです。

 テナーサックスというのは「テノールの音域を持ったサクソフォーン」という意味であって、本家本元の“テナー”は歌手の“テナー”の方だろう…と思うのだけれど、現実の使用例としては、歌手よりもサクソフォーンを指し示す方が、多いかもしれません。

 テナー歌手としては、色々とジレンマと言うか、歯がゆい気持ちになります。本家本元の歌手よりも、器楽用語として転用された方が有名になっているなんて…日本って、よっぽど声楽人気がなく、サックス人気が高いってわけなんです。

 しかし、サックスなんて、ジャズか吹奏楽でしか使われない、本来ニッチでマイナーな楽器のはずだし、ジャズがそんなに人気高い音楽ジャンルとは思えないわけで…さすれば、それだけ吹奏楽の人気が高い…って事の裏返しになるわけです。

 こんな感じで、同じ言葉でも世界が違うと、指し示すモノや意味が変わるのです。言葉って面白いね…とも言えますが、不要な行き違いやらも生じるので、なんともかんともです。

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コメント

  1. operazanokaijinnokaijin より:

    >>>嫌になるほど殴られました
    親による、しつけという名の暴力、
    教師による、体罰という名の暴力、が、
    どうにもこうにも、我慢ならず、許せず。

    暴力大好きの、父親と小学校時代の教師を、
    私は心の底から憎んでいます。

    という怒りを書いてしまいました。
    お許しください。

    さて、テナーの話。
    私、「テナー」と聞くと、即、サックスを思い浮かべ、
    「テノール」と聞くと、即、声楽を思い浮かべ、
    あ、今、この瞬間、カルーソーの顔が!
    古過ぎますね。

    カルーソーは、ウィキによれば、1921年に亡くなっていますが、
    1970年代に至っても、音楽事典などに、
    テノールならカルーソー、
    バスならシャリアピンの写真が掲載されていたものです。

    おしまい

  2. アデーレ より:

    テナーときくと、今ならテノールと思うけど、一般的にはテナーは馴染みがないかもね。ソプラノを検索するとソプラノリコーダとか出てくるし(笑)リコーダかぁー懐かしいわ。リコーダは大丈夫だけど、声楽やってるのに風船膨らませられない私は肺活量に問題ありかしら??(笑)

  3. すとん より:

    operazanokaijinnokaijinさん

     別に殴られたからと言って、痛いだけだし、怪我もするけれど、別にそれだけの話です。殴られ慣れてくると、案外、痛みに耐性ができるし、怪我なんて、ほおっておけば治りますから、そんなに気にする事はないです。

    >親による、しつけという名の暴力、

     いやいや、そんなに立派なモンじゃないですよ。単純に気に入らないから、ぶん殴っただけの話です、単純明快でしょ。ある種の人間たちは、そんな行動しか取れないんですよ。

     さて…

    >テノールならカルーソー、バスならシャリアピンの写真が掲載されていたものです。

     長いこと、改訂作業をさぼっていた辞典ですなあ(笑)。でも、私はカルーソーが好きだし、今でも勉強のために結構聞きます。オールドスタイルなんでしょうが、表現者としては、色々とヒントをもらってます。

  4. すとん より:

    アデーレさん

     確かに、最近、テノールの事を「テナー」と呼ぶ人、減りましたものね。馴染みがないのも当然かもしれません。以前は、藤原義江さんや田谷力三さんの事を“テナー”と呼んだものです(って、いつの時代の話だよ:笑)。

     ソプラノは、やっぱり声楽のソプラノですよ。ソプラノリコーダーは“リコーダー”だもの。リコーダーはフルートと同じ楽器(縦と横の違いぐらいしかない)ですから、私、得意ですよん。

    >声楽やってるのに風船膨らませられない私は肺活量に問題ありかしら??(笑)

     別に問題ないでしょう。肺活量と言うのは多ければ良いわけでもないし、息だって強ければ良いわけでもありません。肺活量よりも、吸い込んだ息をどれだけ上手に使えるかが大切なポイントだし、息だって、むやみに強ければノドを痛めます。世の中、何事にも適量というのがあるわけで、自分にとっての適量ならば、それでいいのです。

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