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『偉大なるマルグリット』を見てきた

 見たい見たいと思っていた『偉大なるマルグリット』という映画を見てきて、色々と考えさせられました。ちなみに、公式ホームページはこちらです。

 この映画、もちろんフィクションなんだけれど、実話をネタにした映画です。そのネタ元は、知る人ぞ知るソプラノ歌手のフローレンス・フォスター・ジェンキンスの話です。とは言っても、ジェンキンスの生涯とか活躍とかは、映画にはほとんど反映されていません。ただ、ジェンキンスが“音痴なアマチュア歌手”であったという事が物語の発想の原点として、そこから創りだされた新しい物語が『偉大なるマルグリット』ってわけです。

 上映される映画館が極端に少ないマニア向けの映画なので、このブログを読んだからと言って、実際に映画を見に行く事のできない人がほとんどでしょうから、簡単にストーリーの説明をします(ネタばれを含みますので、それを回避したい人は、以下の部分を飛ばして読んでください)。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 マルグリットは、20世紀前半のパリ郊外に住む、音楽の好きな貴族で、有り余る程の金持ちの婦人でした。恵まれない人々のために、自宅のサロンでチャリティーコンサートを主催し、大勢の音楽家たちを出演させ、お金持ちのお友達をたくさん招待して、募金活動を熱心に行う篤心家でもありました。そして自らが主催するコンサートのトリに出演し、歌を披露するのが生き甲斐でした。

 しかし、彼女は筆舌に尽くしがたいほどの音痴でした。でも、誰もその事を彼女に告げる人はいなく、彼女自身も薄々と自分が歌が上手ではないのかも…という思いを持っていたものの、誰も真実を告げるどころか、お世辞やゴマすりばかりで、彼女自身、なんとも煮え切らない気持ちを持っていたわけです。

 ところが、ある時、自宅のサロンコンサートに紛れ込んだ新聞記者(左翼な反国家主義思想を持った若者)であるボーモンが彼女を利用しようと企み、彼女の歌声を紙上で大絶賛します。それを真に受けたマルグリットは、やはり自分の歌は他人を感動させられるんだと勘違いをし、ボーモンの誘いでパリの場末のクラブで歌を披露します。

 当然、演奏会は大失敗となり、そのおかげで彼女はそれまで彼女のサロンコンサートに来てくれていた友人たちと縁切りをされてしまうけれど、大勢の面前で歌う喜びを知ったマルグリットは、そんな事にめげず(おそらく)パリオペラ座でのリサイタルを計画します。彼女のリサイタルの実現のために、声楽教師や演出家が雇われます。各人それぞれの思惑もあって、チームは一丸となってリサイタルの準備に取り組み、ついにリサイタルは実現されます。

 リサイタル本番、調子外れのアリアを歌い始めるマルグリット。あまりの音痴っぷりに笑い出す聴衆たち。しかしやがてマルグリットの歌が徐々にまともになっていき、まるで一流歌手の歌唱のような歌声になったところで、突然、彼女は吐血しリサイタルは中止となり、マルグリットは病院に緊急搬送されます。

 病院で治療の一環として、彼女の歌声が録音され、それを聞くマルグリット。録音された自分の歌声を聞き、始めて自分が音痴である事を知り、卒倒してしまいます。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 以上、ネタばれ終了。

 まあ、私はこの映画を見て、色々と考えてしまったわけです。この映画の主人公であるマルグリットは、確かに極端な例ではあるけれど、現代日本のアマチュア音楽家たちと、あまりに似ていないだろうか…という事です。

 多くのアマチュア音楽家はプロではありません(当たり前)。“多くの”と書いたのは、アマチュア音楽家の中には、音大を卒業した人もいるし、かつてプロとしてデビューをした人もいるわけだし、専門教育を受けた元プロなどの人も、それなりの数いるわけだからですが、私がここで相手にしたいのは、そういう人ではなく、ある意味、純粋なアマチュアの人…マルグリットのように、専門教育を受けるでもなく、しかしあふれるばかりの音楽への思いを持っているアマチュア音楽家たちの事です。

 彼らの心の中には、いつでも不安が伴います。自分はちゃんと演奏できるだろうか、間違った事をしていないだろうか? 観客には喜んでもらえるような演奏ができるだろうか? 思わぬ失敗をしてしまう事はないだろうか?

 私は、多くのアマチュア音楽家たちは皆、多かれ少なかれ、マルグリットなんだろうと思うのです。そして、私はこの映画を見て、彼女の中に自分の姿を見つけてしまったのです。

 音楽を趣味とするのは、ある意味、悲しい事なのかもしれません。聞くだけならともかく、実演を志すならば、そこには常に、理想の音と自分の現実の音の乖離を感じ続けなければいけません。それを乗り越えるのが熱情なのですが、その熱情を必ずしも他人が理解してくれるわけではありません。マルグリットのように、笑い飛ばされることだってあるんです。

 私は以前「アマチュアはけなさい」という記事を書きましたが、その気持ちは今でも変わりません。

 さて、少し話題を変えます。架空の世界の架空の人物であるマルグリットですが、なぜ彼女が音痴だったのかという事を、私なりに考察してみたいと思います。

 まず始めに、彼女には指導者がいなかった事があげられます。声楽の場合、歌手自身が楽器なので、自分の歌を客観的に聞くことができません。そのために、声楽の場合、録音とか優れた指導者などが必要となります。しかし、彼女には指導者がいなく、録音もまだまだ一般的ではなかったので、入院するまで、彼女は自分の歌声を聞くことができず、自分の歌が調子っぱずれであるという自覚が持てなかったのです。

 第二に、彼女は類まれなる恵まれた声を持っていたのだろうと思います。もし彼女の声が平凡であったなら、ロクな指導を受けずに、まだP.A.システムすらない時代、サロンコンサートで歌う事は出来なかったと思います。指導者がいなくて、発声方法すら知らないのに、ひとまずサロンコンサートやら場末のクラブやらで歌えたのは、彼女が天性の声を持っていた事の証明であります。そして、なまじ良い声を持っていたために、そのコントロールが難しくて、結果として音痴になっていたのだと思います。

 第三に、彼女はコロラトゥーラソプラノ系の歌を歌いたがりますが、劇中で彼女の指導をしていたテノール歌手のペッジーニが、ある時切れて「誰も言わない真実を言う。あなたはコロラトゥーラではない。あなたはメゾだ」と言い放つシーンがあります。おそらく、そうなんでしょう。自分の声に合わない曲を無理して歌おうとするから、音痴になるんです。自分の声に合った曲を無理なく歌えば、そんなにひどい事にはならないはずなんですから。でも、彼女はそこにこだわった。ペッジーニ以前にも何人もの声楽教師が彼女に付いてはは離れてしまったわけだけれど、その事を彼女自身が「私と先生では音楽の目指す方向が違っていた」と言っているわけで、おそらくは今までの音楽教師もそのあたりの事を指摘していたのだろうけれど、マルグリット自身がそれを受け入れなかったわけです。彼女の頑固さが彼女の音痴の原因の一つだったわけです。今回だって、ペッジーニの指摘にも関わらず、マルグリットはリサイタルの最初で、オペラアリア中、難曲中の難曲である歌劇「ノルマ」の「清らかな女神よ/Casta Diva」なんていう、声にも合わなければ、テクニック的にも無理無理なアリアを歌うんですから、相当に頑固なオバサンなんだと思います。

 つまり、色々と考えて見るに、マルグリットはアウトプット系の音痴だったと言えます。と言うのも、彼女は音楽を楽しむ感性を持っていたわけですから、インプット系の障害はなく、音楽心だって豊かに持っていたはずなんです。問題は、彼女が聞いて、心の中でイメージした音楽を、彼女が声として表現するための訓練が決定的に不足していたため、音痴になってしまったという事です。

 もしも…の話ですが、彼女がもっと若い時から専門家の指導をきちんと受けることができたなら、ここまでの音痴にはならなかったでしょう。あるいは、彼女が自分の現在の声質やテクニックにふさわしい曲を歌っていたならば、やはり音痴ではなかったと思いますし、なによりも準備不足のままリサイタル当日を迎えてしまったのが、一番の悲劇だったと思います。

 ほんと『偉大なるマルグリット』という映画を見て、色々と考えさせられてしまった私でした。

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コメント

  1. とも より:

    マルグリットが上手かったなら、募金は集まらなかっただろうし、
    プロの歌手が賛同してサロンに出演することはなかった気がします。

    win-winだったのに、
    そのバランスを壊した記者は問題かもしれませんが、
    歌う楽しさを違う側面から気づいた彼女、
    よかったのではないかとも思いますが…

    立ち直って、新たな道を歩む気がしてなりません。

    きっとそうだと信じたいです。

  2. アデーレ より:

    わー知ってます!ジェンキンスさん!YouTubeで聞けますよねー。夜の女王、凄いですよ、ある意味で(笑)映画、絶対見に行きます!情報ありがとうございます!

  3. wasabin より:

    面白いです。

    「好きこそ物の上手なれ」に当てはまらない人の様です。
    どうして?FF ジェンキンスは耳が悪かった?
    聞いて卒倒したとあるから、そうでもない訳。

    2曲しか聞いてないから確かには言えませんが、メゾには細すぎる気がしますが・・・?

    彼女の情熱に敬服; 
    ある意味、反面教師として受け取りたいところです。

    私? 大事な最後の高音上がりきらないなんてショッチュウ ~~;
    でも、堂々と知らん顔して舞台を去りますよ (苦笑)

  4. すとん より:

    ともさん

    >プロの歌手が賛同してサロンに出演することはなかった気がします。

     いえいえ、プロの音楽家たちは皆、マルグリットが破格のギャラで雇っているのです。音楽も料理もすべてマルグリットのポケットマネーから出して、お友達をおもてなしをしているんですよ。で、友達は、そのおもなしが気に入ったら、チャリティーに寄付をする…という、ヨーロッパではごく普通に行われている、セレブのコンサートなのです。一応、マルグリットは、使い切れないほどのお金持ちのセレブなんですよ。

    >立ち直って、新たな道を歩む気がしてなりません。

     私もそうであって欲しいのですが…どうでしょうね。オペラ的には、最後は“ヒロインの死”でなければならないので、マルグリットが音楽的に死んでしまったに、3カノッサです。

  5. すとん より:

    アデーレさん

     そうそう、あのジェンキンスさんが元ネタなんですね。ちなみに、私が見に行った映画館の売店では、ジェンキンスさんのCDが二種類も売ってましたよ。私の音感が狂ってしまうかもしれないので、購入は控えましたが(笑)。

     ほんとのほんとに、アマチュア歌手の皆さんには、お薦めの映画なんですよ。

  6. すとん より:

    wasabinさん

     「好きこそ物の上手なれ」ではなく「下手の横好き」なんですよ、マルグリットは。

     一応、ジェンキンスは元ネタであって、映画の主人公はジェンキンスとは全く異なった人物造形がされています。ちなみに、マルグリットはミミは悪く無いですよ。むしろ、あれだけ音楽を楽しめる人ですから、音楽的な耳を持っていたんだと思います。

     ただ、声の立派な人って、歌うと、自分の声が頭の中で反響してしまうので、自分の声も含めて外部の音が聞こえなくなってしまうので、客観的な判断ができないのです。これはリアルにそうだし、プロでもアマでもそうなのです。だから、声楽教師という存在が必要なんですね。

    >メゾには細すぎる気がしますが・・・?

     ま、映画ですからね。でも、コロラトゥーラではないでしょ?

     おっしゃるとおり、アマチュア歌手には歌の技術も必要ですが、毛の生えた心臓も必要だと思うし、マルグリットにはある意味、それが欠けていたから卒倒しちゃったんでしょうね。

     ある意味、裸の王様の声楽版の映画なんですよ。

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