私はガッコに勤めております。でも教える事がメインではないので、今年は、高3の「古典」を1クラスと、中2の「音楽」を2クラス担当するに留まっております。
で、中2の「音楽」なんだけれど、この授業はティーム・ティーチングで合奏を指導する授業なんです。で、今年の私は、鍵盤楽器と笛の指導を担当する事になったので、ピアノはもちろんですが、いわゆる木琴・鉄琴の指導もしております。
ピアノとか木琴・鉄琴とか…その楽器を希望する子は、たいていは音楽が得意だったり、ピアノを習っていたりしているので、合奏の指導にはあまり手間がかからないはず…なんですが、実は色々と違うんですね。
で、今回は、その中でもピアノを担当する子たちの話をします。…ってか、最近のピアノを習っているっていう子たちの話…というべきかな?
とにかく、今の子たち。とりわけ、女の子たちは、結構な割合でピアノを習っているんです。ほぼ全員がピアノを習っている…と言っても過言じゃないです。で、そういう子たちは、ピアノも好きだし、音楽も好きなんですね。休み時間などは、グランドピアノ(私が勤めているガッコは、校内の数カ所にグランドピアノが置いてあって、生徒が自由に弾いて良いのです)に群がって、あれこれ色々な曲を弾いて遊んでいます。
ですから、合奏におけるピアノの指導なんて、簡単だと思うでしょ? ところがドッコイなんですよ。と言うのも、ピアノを習っている子たちって、ほんと、ピアノが好きで得意なんだけれど、譜面がほとんど読めない子が大半なんです。なので、合奏の楽譜を渡しても「???」状態なんですね。
で「センセ、弾いてみてよ」とか言い出すわけです。私を誰だと思っているんだい、自慢じゃないが、ピアノなんぞ、弾けるわけないじゃないか!
しかたがないので、ピアノの旋律を歌って聞かせるんですが、そうすると、和音(と言うか重音)を無視して単旋律でピアノ弾くんですね。ある意味、すごぶる耳が良いとも言えますが、それじゃダメなので、最終的には、私が弾けないピアノを汗をかきかき弾くわけです。実に稚拙な演奏ですが、それでも目の前で弾いて見せてやると、どうやら合点するらしく、私が稚拙に弾いたものをヒントにして、なんとか譜面を読めるようになり、やっとこさ演奏する事にこぎつきます。もちろん、すぐにできるはずもなく、練習は必要なんですが…。
あれだけ遊び弾きは達者で、今でも定期的にピアノのレッスンに通っている子が大半なんですが、そんな子でも楽譜がほとんど読めないって、どういう事なんでしょうか?
もちろん、これは一人や二人の特殊な事例の話じゃないんです。
ガッコには合唱コンクールというのがありまして、そういうピアノ好き女子たちは、伴奏者をやりたがるのですが、その伴奏だって、まず初見は無理で、話を聞いたところ、楽譜をもらったら、まずその楽譜を自分のピアノの先生に見せて演奏してもらい、それを見て覚えてから、自分の練習を始めるんだそうです。
やっぱり、耳はいいなあ。でも、楽譜は全然読めないじゃない?
どの子もどの子も十年以上、ピアノの個人レッスンを受けているのに、なぜ楽譜が読めないの? ほんと、その点が実に不思議です。
ウチの息子のように、ピアノを十年以上習ったけれど、練習をほとんどしないので、全然腕前があがらず…と言う子なら、楽譜が読めなくても理解するけれど、練習を良くするピアノが得意な子が、楽譜読めないって…ああ、私には理解できません。
だって、練習なんてほとんどせず、だからピアノもロクに弾けない、ウチの息子も、楽譜は読めるよ。腕が悪いので、楽譜が読めても、きちんとピアノを弾く事はできないけれど、それでも初見で楽譜を読むには読むよ。なぜ読めているのが分かるのかと言えば、すべての声部を初見で歌えるから。だから、楽譜は読めているし、歌えるけれど、技術がないのでピアノでは弾けないわけだ。
だから、あんなに達者にピアノが弾ける子たちが、揃いも揃って楽譜が読めない現状を見ると、私は頭の中が色々と錯綜するわけです。
町のピアノ教室では、何を教えているんだろ? 少なくとも、伝統的なピアノ音楽、つまりクラシック音楽を教えているなら、読譜はまず最初にやるべき事じゃないの? なぜ、そこがすっぽり抜け落ちたままなんだろ? 楽譜が読めず、かと言って、耳コピーだけではとても弾けそうもない曲でも、気軽に遊び弾きするのはなぜ? あれだけピアノが上手なのに、歌わせると、ほぼ歌えないのも、実に不思議。
なぜ? なぜ? なぜ?
ほんと、不思議。不思議でたまりません。
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コメント
変なの。それホンマですか?
スズキメソッドのやり過ぎかな?
おぷーさん
ホンマです。でも、変でしょ? どう考えても変でしょ?
>スズキメソッドのやり過ぎかな?
うむ、確かに近所にはスズキメソッドの教室はたくさんあります。でも、あの子たちのピアノ教室がスズキメソッドかどうかの確認はしてませんが、全員が全員とも、スズキメソッドの子…とは限らないような気がします。だって、ピアノが上手に弾けて、自分たちもピアノを楽しんでいるのに、楽譜が読めない子の数があまりに多いからです。
ピアノが弾ける事と、楽譜を読める事は、別能力だよ…と言われてしまえば、そうなのかもしれませんが、でも私は、この二つは表裏一体の能力のような気がしているので、今回のような事実を見ると、なんか納得できないんですね。
今日は。お久しぶりです。最近のピアノ教室では、子供達に飽きずに楽しくピアノを続けて貰う為に、現代の流行りのポピュラーな曲を取り入れ、レッスンの所が殆どだと思います。弾き方も、一音づつ先生より指導。殆どソルフェージュなんて教えてなくて。な具合です。一番の問題は、若年層のクラシック離れ?が一因しているとも考えられます。
そういえば、ずっと前に、鈴木メソッド育ちのフルート吹きさんと桐朋学園育ちのピアニストさんのデュオを聴きました。演奏はそれはそれはすばらしかったのですが、あとでピアニストさん(私のママ友?のお嬢さん)が、「〇〇ちゃん、笛うまいんだけど楽譜が読めないんだよねえ」と言ってたとのことでした。
バイオリンもピアノもフルートも、スズキメソッドは耳から指へ直結の指導がウリですよね。子供にはそのほうが楽しいですし、楽器を弾くことも体育みたいに直感で動けるんでしょう。
私たちの時代の音楽は楽譜から音を立ち上げていたのでまどろっこしいと言えば言えてるのかも。いまどきの子供さんたちが、まどろっこしいけれど重厚で味の深いクラシック音楽に縁が遠くなって、ウキウキ軽い音楽寄りになっていくのもわかるような気がします。さびしいですね。
子供が楽譜を読めるようになるのは、その子によるのかもしれませんが、
少々骨が折れますよね。
うちの子たちが小さい時、小学低学年ですが、楽譜にドレミをカタカナで振っていて、帰ってきたら先生に「書かないでね」と書かれていました(笑)
スラッと読めるようになる子もいるんでしょうが、学校の勉強が大変になる前に読めるようになっておくと後々楽なんだと思いますけど、(大人になってから)
やはり地味な作業なので小さい子は飽きる>レッスン行きたくない>辞める・・・みたいにならないようにするには「楽譜なんか読めなくても楽しめればいい」みたいになるんでしょうかね?
私の時代からは考えられないですね。
私の頃は、楽譜通りには弾けるけど、即興はぜんぜんというのが、
クラシック系のピアノ教室でいちばんよくあるパターンでした。
私も同じで、楽譜さえあれば初見でもそれなりに弾けますが、
楽譜なしで弾けと言われたら、よく知っている旋律にバイエル
もどきの和声をつけるくらいがせいぜい。
ソルフェージュと聴音は一応やったので、旋律と簡単な和音程度
ならなんとか聴き取れますが(苦笑)
だから、ジャズピアニストがコード譜だけでどんどん自分の音楽を
作っていくのを見るとかっこいいなぁと思います。
私は音大での教育は受けたことがありませんが、今のピアノ科は
昔と違い、クラシック、ジャズ、伴奏、室内楽、即興演奏など色んな
選択肢があるようですね。
すとんさんの生徒さんたちも、将来、音大に進むようなことになれば、
初見や聴音、楽典など、いやというほど詰め込まれることになるの
では?
耳だけで弾くとどうしても他人ののコピーになりがちだし、クラシック
では、どんなに面倒でも、結局は楽譜とじかに向き合い、作曲家の
意思を自分自身でくみとり、解釈していくしかないと思うので。
楽譜の知識なしで音楽をやるのは、台本を読まず、人の舞台だけ
見て役作りをするのと変わらない気がします。
スズキメソッド、ヴァイオリンのような(ほぼ)単音楽器にはいいかも
しれませんが、ピアノに適用するのはどうなんでしょうね。
長々と失礼しました。
夜の女王さん、こちらこそお久しぶりです。
>子供達に飽きずに楽しくピアノを続けて貰う為に、現代の流行りのポピュラーな曲を取り入れ
これは良い事だと思います。古い曲ばかりでなく、新しい曲を学ぶ事は大切な事です。でも、だからと言って、昔ながらの曲をなおざりにするのはダメだろうと思います。そういう意味では、バランスの悪い学び方をしている…と言うか、先生がバランス悪い指導をしている…って事なのかもしれません。
子どもなんて、スポンジのようなものだから、指導者次第で、どうにでもなるんだろうと思います。
そうか、ピアノ教室であっても、ソルフェージュが軽んじられているのか…。昨今は、学校の音楽の授業で、楽典を全くと言っていいほどやらなくなったんですよ。学校でやらない、ピアノ教室でもやらない。それじゃ、楽譜を読めるようにならないか…。
書き足しです。
長すぎるコメント(スミマセン!(汗))の後なので詳細は控えますが、小さい子供の場合、語学同様、まず耳から入り、その後、読み書きに入るという考え自体は賛成です。
だりあさん
ポピュラー系のミュージシャンは、たとえプロであっても、楽譜が読めない人などはザラです。なぜなら、楽譜と言うのは、クラシック音楽における標準的な記譜法であって、その他のジャンルの音楽には向かないものだからです。これを逆説的に言うなら、クラシック音楽をやるなら、楽譜の読み書きは必須能力であると言えましょう。
そのスズキメソッド育ちのフルーティストさんも、クラシックに行かなければ、それはそれでいいんだと思いますよ。ただ、クラシック音楽をやるなら、それではダメだと思います。
私が心配しているピアノの子たちも、現代的な流行歌を弾きますが、やはり習っているのはクラシック音楽なんです。それなのに、楽譜が読めないので、ビックリしているわけです。
彼女たちがジャズピアノを弾くのなら、私はなんの心配もしません。
>ウキウキ軽い音楽寄りになっていくのもわかるような気がします
そして、クラシックもポップスも、どちらもちゃんとは弾けないピアニストに育っていくのでしょうか? まあ、プロにならずに、自分の楽しみのためにだけ弾くなら、それもアリですが、まだ子どもなのに、道が閉ざされているのは、可哀相だなあと思います。
YOSHIEさん
私は授業で真っ先に「楽譜にカナを振りなさい」と指導しています。もちろん、このやり方は邪道だとは知ってますが、それをしないと前に進みませんからね。
五線譜を読むのって、難しいようですね。これは男子に多いのですが、ソとシとレがごっちゃになってしまう子が結構多いです。おそらく、五線譜がきちんと見えていないんでしょうね。同様に、ラとドをグチャグチャにする子もいます。
しかし、カナをふって、音程の戸惑いは多少なりとも解消できますが、どうにも難しいのがリズムです。これって、ほんと、分からない子は、何度やって分からないんですよ。さらに和音となると…まずお手上げです。
楽譜を読んで、その通りに演奏するって、そんなに簡単な事ではないんだろうなあって思います。
だから、小さな子どものうちに仕込んでおかなければいけないと思うんですよ。
Yokusiaさん
ピアノって、趣味で終える子は、小学生のうちに辞めるモノです。中学生になってまでレッスンに行っていると言うのは、よほど音楽好きか、将来音楽家になろうという野望の持ち主なんだと、私は勝手に思ってました。でも、あの子たちの現状を見ていると、音楽家になるのは無理だろうなあって思います。となると、やはり“よほどの音楽好き”って事になります。確かに、音楽は好きそうですよ。だから、楽譜が読めなくても、いいのかもしれません。
でも、私は心が狭いせいか、楽譜が読めない人は、ピアノが弾けると言っちゃあいけないような気がします(偏見ですね)。
>小さい子供の場合、語学同様、まず耳から入り、その後、読み書きに入るという考え自体は賛成です。
賛成です。問題は、読み書きの訓練をロクに受けていないって事です。いつまでも離乳食のままでいる事自体が問題なんですよ。
でも、ソルフェージュは楽しくないものね。昔は楽譜しかなかったけれど、今は各種音源が豊富にあるから、楽譜を読まなくても音源を聞いて覚えちゃえば、それなりに弾けるわけで…時代は変わったんだと思います。
むしろ私は、耳コピーで遊べる、彼女たちの耳の良さがうらやましいです。ほら、私は、耳コピーが苦手だからサ。
楽譜でもコード譜でもいいので、身につけないと将来はなさそうな気がしますね~
どちらもわかりません、だと、他人と音楽をするのは難しいのではないでしょうか?
将来というと大げさですが、教室を離れたときにどうやってピアノを続けていくのか、ビジョンが思い浮かばないように思います。教室を離れる=ピアノやめる じゃさみしいですしね。
その生徒さんたちの先生と、生徒さん達自身が、どこに向かおうとしているのか気になります。
椎茸さん
寂しいですが、やっぱり、ピアノ教室を辞めたら、ピアノそのものを辞めるんじゃないでしょうか?
と言うのも、子ども時代って、例えば、部活に入って一生懸命にフルートを吹いていても、部活を辞めたら、あれだけ熱心に練習していたフルートも辞めちゃう…なんて、普通にあります。かく言う私も、高校時代は柔道柔道柔道でしたが、高校卒業した後、胴着に腕を通したのは、ほんの2,3回ですよ。
子どもって、基本的に飽き易いんですよ。だから、きちんと技術を身につけさせるには、オトナのサポートが必要なんだと思います。
結局、子ども時代の習い事のままで終わってしまって良しとしている部分が、指導者にあるんだろうと思います。でも、それを責める事は、私にはできないなあ…。
でも、子ども時代を費やして学んだ事が、オトナになった時に、きちんと身についていれば良いのですが、そうでないなら、貴重な子ども時代がモッタイナイ事になると思います。子どもって、子ども自身は氣づいていませんが、誰もが未来と可能性を持っているわけです。だから、オトナは、子どもたちが持っている、未来を照らし、可能性を伸ばしてやらなければいけないと思います。
やっぱり、いくら指導が難しくても、楽譜が読めるように指導すべきじゃないかな? それとも、これはキレイゴトでしかないのかな?
はじめまして。
とても面白い記事です。
耳コピして、完全楽器のピアノを弾けるってうらやましいですね。
私は楽器をやりつつソルフェージュも習っていますが、
たしかにリズムは難しいです。
付点がつく音符は初見で視唱は間違うことがよくあります。
また、ト音記号とへ音記号と同時に弾く場合には頭の中で、音の高さを間違ってしまうことがあります。
オケでチェロをやっているので、ハ音記号もでてきますが、やはり、
こっそりカタカナで「ラ」とか音名を書きます。
オケの場合、自分の音を音源で拾うのは、低い音なので、なかなか
面倒で、やはり楽譜をよく読み込むしかありません。
その上で、音源を聞きます。
時には全く音源を聞く暇なく、強弱記号もすべて、指揮者の指示通り
弾くこともままあります。
なので、楽譜読めないというのは、クラシック音楽をやる場合、私には考えられません。
yumiさん、いらっしゃいませ。
>なので、楽譜読めないというのは、クラシック音楽をやる場合、私には考えられません。
…と言うか、クラシックって“まず楽譜ありき”の音楽だと思います。楽譜に書かれた音楽があって、それをどうやって音にしていくかは演奏家の腕次第だけれど、それでもやっぱり、最初にあるのは“紙にかかれた音楽=楽譜”なんだと思います。
逆に言えば、クラシック音楽以外のジャンルの場合は、いわゆる五線譜にこだわる事はなく、耳コピーでも口伝でもいいし、そのジャンル特有の楽譜に類するものでいいんです。とにかく、クラシック音楽は五線譜に書かれた楽譜が必要…なんだと思います。
そしてピアノを習うと言うのは、クラシック音楽としてのピアノ音楽を学んでいるはずなので、楽譜の読み書きは必須…だと私は思っていたのですが、現実はどうやらそうでないモノもあるので、ビックリしているというわけです。