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ネットで嫌われる人 その2

 さて、昨日の続きです。

6)嘘をつく人・ごまかす人

 大っキライです。

 特にキライなのは、保身のために事実をねじまげるタイプの嘘つきです。

 そういう人って、ネットにはたくさんいますね。根拠なく、自分の意見を、あたかも世界の代表意見であるかのように吹聴する人。まあ“言ったモン勝ちの精神”なのかもしれませんし「嘘も百ぺん言い続ければ真実になる」と思っている人なのかもしれません。

 そんな嘘八百を、事の真偽を知らない人たちが真に受ける事で、真実にしてはいけません。私はそう思います。だから私は、嘘をつく人やごまかす人が大っキライです。そういう輩がごまかしてついた嘘は、ひとつひとつ訂正しなければいけないと思ってます。なぜなら、嘘は一人歩きをして、大きな禍根を残すからです。

 大げさではなく、ネット社会において『嘘つきは国をほろぼしかねない存在である』と私は思ってます。

 トラスト・ミー(笑)。

7)ハンドルをコロコロ変える人

 昔からある“なりすまし”の一種ですね。本人的にはバレていないつもりなんでしょうが、見る人が見ると、丸分かりだし、ブログ主さんには当然バレバレなんですけれどね。

 リアルな人格とネット人格を使い分けている人がいます。私は、それはそれでOKだと思います。人は場に応じた行動を取るものです。だから、それはOKです。

 問題は、一人で複数のネット人格を使い分けている(つもりの)人の存在です。

 もちろん、複数のハンドルを使っていても、人格が統一していて「Aさんは、ここでAと名乗っているけれど、別の場所ではBと名乗っている」という事が明白な場合は、この限りではないと思います。問題は、同じ人物なのに、同じ場で、別人格として活動するために、ハンドルをコロコロ変える人です。

 そういう人を見ると、不祥事を起こすたびに、名前(ハンドルとか通称とか)を変える人たちみたいで、不愉快です。どんなにヒドイ事をしても、名前さえ変えれば、今までの所業は無かった事になってしまう…と考えている連中を好きになれる人なんているのかな?

8)嫌われる話題をわざわざ持ち出す人

 心が病んでいる…でしょうね。

 他人のブログにやってきて、わざと嫌われるような話題を出して騒動を起こすなんて…よっぽど私にかまってほしいのでしょうか?

 あるいは、日頃の鬱憤とか不満とかを、他者(この場合はブログ主とか特定の人)を攻撃することで解消しているのかもしれません。老犬ブログは、あなたのサンドバッグじゃないんだけれど…ねえ。

 弱い犬ほどよく吠える…なのかもしれません。

 「自説の披露は、ぜひご自分のメディア(ブログとかツイッターとか)をご利用ください」って言いたいですね。そんな汚いモノを、ここに置いていくなよ~って言いたいです。

 こういう形でしか他人と関われない人って、たとえ心が病んでいたとしても、迷惑千万です。

9)空気の読めない人

 悪気はないんだろうなあ~って思うものの、なんか場違いな発言ばかりをする人っていますよね。コミュニケーションが苦手なんだろうなあって思って、同情はしますが、正直、どう取り扱っていいのか、判断に迷う事があります。だって、痛いんだもの。

 まあ「空気の読めない人」は嫌われるというよりも、取り扱いに困る人って感じかな。取り扱いに困るのでイヤ…って言えるかも。だって、面倒くさいんだもの。

 私、面倒くさいのは苦手です。

10)謝る事のできない人

 『実るほど垂れる頭かな』って私は思います。

 なので、私は若い時から、頻繁に謝るし、頭も下げてきました。もちろん、謝ったくらいじゃダメな時もあるわけだから、謝ると同時に善後策を練って、真摯にリカバーに励むというのもやります。

 私は外見的に、傲慢で他人に頭を下げない人と思われがち(いや実際、見た目どおりなんだけれど:笑)なので、そんな私が謝るのは、それなりの効果効用があるみたいなんです。

 とまあ、私は謝罪って、円滑な人間社会を形成するための、基本的なスキルの一つだと考えています。

 ところが世の中には、リアルやネットを問わず“謝れない人”っていますね。

 私とは関係ない場面では「なんて不器用な生き方なんだろ(カワイソウに…)」って思って冷やかに眺めてます。私の関係する場面で、そういう人が相手側にいたら、その瞬間にその人とその人が属する組織を見限りますね。そして、その相手とは、なるべく早めに手を切れるように動き出します。そういう人物が自分サイドにいたら…ボコボコにして再教育ですね(きっぱり)。

 謝らない人の中には「言葉に出して謝っていなくても、悪いと思っているんだから、許してくれよ」と傲慢な事を言い出す人がいます。つまり、自分の事を大目に見て、特別扱いをしてくれって事なんです。なんてまあ、思考回路がお姫様なんでしょ?

 まあ、謝らない人って、基本的に傲慢な人が多いのです(笑)が“言葉に出していない”という自覚があるなら“言葉に出す”だけなのに、それができないわけで…、

 …なんて、心が弱い人なんだろ…

 …って思います。謝ったら、人格が崩壊しちゃうのかな? 自分を見失ってしまうのかな? パニックになってしまうのかな? まさかまさか、生きていられなくなってしまう、とか?

 んなわけ、ないじゃん(笑)。自分の非を認めるというのも、人間としての強さだと私は思うよ。

 あと、謝る代わりに「もう来ません」って捨てぜりふを吐き捨てて逃げ出す人も、同類なんだろうね。

 別にこちらからは「是非来てください」と一度たりともお願いした事ないんです。勝手にやってきて、居心地が悪くなったから「もう来ません」と宣言されても…ねえ。「先生に言いつけてやる!」と泣いて逃げ帰る子どものような行動だなあと、呆れちゃいながら眺めるしかないです。

 とまあ、こんな感じの方が、老犬ブログでは評判悪いです。まあ、こうやって列記してみると、ネットで嫌われるどころか、リアルな世界でも絶対嫌われるような事ばかり書いてありますね。結局、ネットであれ、リアルであれ『ヤな奴はヤな奴』って事なのかもしれません。

 こういう人って、ひと言で言うと「他人の話を聞かない人」とも言えますね。あるいは「自分の事しか考えられない人」でもありますね。

 私自身がこういう人間にならないように、日々、自分自身を戒めていきたいと思います。

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コメント

  1. だりあ より:

    おはよございます。続きを楽しみにしていました。

    >私(すとんさん)は外見的に、傲慢で他人に頭を下げない人と思われがち・・

    世の中、他人から「みかけ」だけで〇〇な人、と判断されることってよくありますよね。
    私もどちらか言うとみかけと違うタイプらしいです、みかけは石一個投げたら五倍になって返ってくるくらいのこわもてなおばさんらしいですが(自覚はありません)、実はとてもやさしくて、なにかに心が動くとすぐ涙がほろほろっっとうるむタイプです。仲良しの友達がそう言っているので信じてください。でも実は、二倍くらいにはして投げて返すことは、することもあります。

    ネット経由の交流では、みかけというのがまったくわかりません。ある交流場面や判断場面で、何をどうとらえて書き言葉にされているかで、その方のお人柄を判断するしかないのですよね。一面不安満載なゲームのようですが、みかけで判断されない分、書き言葉にはくっきりしたその方の人格があらわれるような気がします。

    これからの教育は書き言葉でどう表現するか、書き言葉をどうとらえるか、文学作品とは違った角度から、従来の作文教育とは違う視点で教えていただくことが重要になってきますね。国語の先生・・・、大変だなあと思います。国語、スキだったけど、自分が今の子どもだったらキライになりそうです。

  2. すとん より:

    だりあさん

     ネットでは書き言葉のみでの交流となりますので、その人の本質的な部分がよく見えると思います。“言霊”と呼ばれるものがありますが、ネットでの交流ってのは、その言霊が見え隠れする交流だと思います。そこが良いところであり、怖いところなんだろうと思ってます。

     外見が見えない分、外見の力がネットでは無効にされます。例えば、イケメン/美女であるとか、オッサンであるとか、屈強そうなガタイとか、セクシーな雰囲気とか、高価な持ち物とか、これらのような外見的要素って、リアルな生活では結構な力を持っていますが、それらが無効化されてしまうので、戸惑う人もチラホラいます。例えば、リアルな生活のノリでネットで発言して大恥かくとか…まあそんな感じです。

     一方、外見の力が無効化される事で得をする人もいます。そう、外見力に乏しい人です。まあ、例をあげるのは止めておきますが(笑)。なにはともあれ、外見力が無効化される事で、ネットではその人の本質的な部分がよく分かると思います。

    >これからの教育は書き言葉でどう表現するか、書き言葉をどうとらえるか、文学作品とは違った角度から、従来の作文教育とは違う視点で教えていただくことが重要になってきますね。

     これはどうかな? 確かに重要だと思うものの、日本の国語教育は今後ますます書き言葉軽視の話し言葉重視の方向になっていくと思います。これっていわゆる“グローバル化”の流れの影響です。

     日本は本来、書き言葉を重視した教育をやっていた国です。なにしろ、戦争に負けるまで、なんだかんだ言っても、話し言葉と書き言葉は一致していなかった国ですから、書き言葉の勉強をたくさんしていたわけです(その分、話し言葉は軽視されていたと言えるかもしれません)。ま、書き言葉重視ってのは、日本に限らず、中国文化圏の国に共通する傾向だろうと思います。

     日本は戦後の時間をかけて、中国文化圏からアメリカ文化圏へシフトしているのだと思います。そのために、書き言葉軽視話し言葉重視の教育へ変わってきたのだろうと思います。

     それに国語の先生と言っても、今の若い先生たちは、受験力が高くて試験の点の取り方には熟知していても、作文指導の方はカラッキシって人、多いですよ。せいぜい書けても、類型化された小論文程度。なので、書き言葉を学ぶのに、学校に期待するのは間違っていると思います。じゃあどこで学ぶのかと言うと…一体どこなんでしょうね。

  3. tetsu より:

    こんばんは。

    横レスでお邪魔します。

    > ネットでは書き言葉のみでの交流となりますので、その人の本質的な部分がよく見えると思います。

    こちらこそ、いつも失礼な書き方と場違いな話をしてしまい、失礼しました。

    > 日本は本来、書き言葉を重視した教育をやっていた国です。なにしろ、戦争に負けるまで、なんだかんだ言っても、話し言葉と書き言葉は一致していなかった国ですから、

    樋口一葉は読もうとしても読めません。国語とか国語教育(日本語教育ではなくて)がどのように成立したのか、はそれだけでも十分面白い話題ではあります。
    書き言葉と話し言葉ですが、最近この年になって英語のnative speakerとの打合せとかブレーンストーミングとかあって、衝撃的な日々が続いています。あれだけ時間をかけた英文解釈が、まったく役に立ちません。会話では当然ですが関係代名詞はでてきません。あれはいったいなんだったんだ、というところです。

    > なので、書き言葉を学ぶのに、学校に期待するのは間違っていると思います。じゃあどこで

    理系なので、詳しくはわかりません。本を読めば、といっても絞りきれません。明治期の文語とか漢文読み下しあたりでしょうか。

  4. すとん より:

    tetsuさん

     tetsuさんは私の中では、礼儀正しい常識を持った方であると認識していますので、別に謝ることなど、一つもないですよ。

     樋口一葉は、確かに難しいですね。当時的には、実に美しい書き言葉で書かれた文章であるだけに、今の私たちには敷居が高すぎるきらいがあります。ほんの百年前の我々のご先祖さま(世代的にはほんの4~5世代前です)は、ああいう文章を普通に読み書きしていたわけで、日本語も、そして国語教育も、ずいぶんと様変わりしてしまったのだと思います。

    >あれはいったいなんだったんだ、というところです。

     今のオトナたちが習った英語は、一昔前の英語であり、それも文章語であったそうです。それは、まだまだ時代的に、英語を話す事よりも、文献を読みこなせる事の方が重要視されていた時代の教育の名残…だったそうです。なので、英会話力に不足があっても不思議ではないそうです。

     でも、今の若い人たちが習っている英語は、そこからはだいぶ違っていますよ。無論、受験英語では黴臭い英語が使えないといけないので、塾などでは、そっちの勉強もやっていますが、学校教育では、だいぶ前から話せる英語へと教育内容がシフトしています。英語などは、読めて、書けて、話せて、聞いて理解できて…それが当たり前になる時代がやってくるのかもしれません。まあ、日本語の力が衰えるわけでなければ、それはそれで良いのかなって思ってます。

    >本を読めば、といっても絞りきれません。明治期の文語とか漢文読み下しあたりでしょうか。

     そのあたりを勉強すると、一昔前までの、日本語の古い書き言葉は学べるでしょうが、現在の書き言葉が学べるわけではありません。

     日本語の問題の一つは、現在の言葉と、少し前の日本語の間に、大きな断裂がある事なのかもしれません。樋口一葉を例に出すまでもなく、たぶん今の若い子たちは、自分のジジババたちが愛読した戦前戦中の少年小説などは読めないと思いますよ。それくらい、大きく日本の書き言葉って変化したと思います。

     ちなみに私が文章修行をしたのは、大学時代かな? 文系でしたから、読書量だって半端なかったわけですが、何よりもキいたのは、毎日のように膨大な量のレポートというのを書かされ続けてきた事かな? それが文章を書く体力づくりのようなものとなりました。そんな生活を何年もしていたので、それなりに文章を書ける様になったと思います。

     そして、それをブラッシュアップしたのは、パソコン通信時代の電子会議室かな? とにかく、短くて適切な文を書かないと、あっと言う間に叩かれて火ダルマにされましたから(笑)。あれは良い修行の場でした。ああいう経験を重ねて、今の私があるんだと思います。

  5. だりあ より:

    >日本の国語教育は今後ますます書き言葉軽視の話し言葉重視の方向になっていくと思います。これっていわゆる“グローバル化”の流れの影響です。

    やはりそうなんですか?。
    これまでの日本の国語教育では、相手と議論して勝つための話す力=ディベート力≒主張力?が足りない、ということなんでしょうか。日本語って、デスとかデハアリマセン、とか、結論が最後の文節にくるんですよね、こういう思考ってけっこう国際的にはまどろっこしくて不利なんでしょうか。英語とかだと、アイドント、とか、アイホープ、とか、先にさっさと結論を言って伝えちゃう。そういう意味では英語は意志の決定が早くて強い言葉ですよね。そういう英語教育が書く教育から話す教育にシフトするのはわかりますが。

    日本語って、奥ゆかしい配列の言葉なんだと思います。
    日本人同士でも、肝心のところはぼかした言い方で、お互いに真意を忖度するのが思いやりであったりすること、私は若いころはそういう言葉のやりとりの方法がわからず、新しい親族や職場でいろいろと失敗をしてきました。

    話す教育重視で、相手を思いやる言葉遣い、相手を傷つけない伝え方、尊重と敬意をふくませたものの言い方、とかを学ぶのならうれしいのですが、自分の主張をうまく通すためのテクニック的な話術を学ばせる方向なら、ちょっとうれしくないです、そういう国語教育に向かっているのならかなしいなあと思う・・・・・国語と音楽が大好きだったおばさんですから。

  6. すとん より:

    だりあさん、いらっしゃませ。

      さて、私は文科省の役人ではないので、本当のところは分かりかねますので、以下、推測で話を進めますので、間違っていたら勘弁してください。

    >これまでの日本の国語教育では、相手と議論して勝つための話す力=ディベート力≒主張力?が足りない、ということなんでしょうか。

     はい、おそらく、そうだと思います。

    >自分の主張をうまく通すためのテクニック的な話術を学ばせる方向なら、

     だりあさんが危惧する、そっちの方向だと思われます。

     教育と言うのは、とりわけ公教育と言うのは、個人の幸せのために行うモノではなく、国家の戦略に必要な人材を養成するためのモノであるというのが、大前提にあります。

     21世紀の世界で、第一義的な国家の力というのは、武力や軍事力でなく、経済力である事は論を待ちませんし、軍事力などロクに持たない日本にとって、経済力をますます強化するのは国是以外のナニモノでもありません。

     現在の経済的な覇者はアメリカです。一時は中国がそれに取って代わるかも…という事も考えられたので、日本もだいぶ中国にすり寄った時期もありますが、今は中国の経済力も見る影もなく凋落し、それに伴って、日本も中国から距離を起き始めた事が原因で、中国における反日感情が激化した部分はありますし、経済力が衰えた中国が、その失った力の分だけ、武力で回復しようとしているのが、昨今の東アジアにおける状況だと思います。

     とにかく武力を持たない日本は、アメリカにすり寄っていかないと、国が保てないという部分があるし、アメリカにとっても、自分たちの商売のために、日本のさらなる市場開放を願っているわけです。それらが、TPP交渉であったり、日本におけるグローバル教育であったりするわけです。

     日本のさらなる市場開放のためには、それを阻害しているものを取り除かないといけません。日本人的なメンタリティというのは、実は日本市場開放のための、大きな阻害条件の一つでもあります。日本人が日本人的であればあるほど、アメリカ資本が日本に食い込んでいくのは難しいわけですからね。ですから、日本人のアメリカ人化が必要とされるわけです。

     一方、日本の側からしても、アメリカに食い込んでもらえば、アメリカが市場としているアメリカ本国やその他の市場に、逆に食い込んでいけるわけですから、実はこれって、タヌキとキツネの化かし合いみたいな面もあります。

     と言うわけで、アメリカの要求に答えるためと、日本の経済的な安定のために、グローバル教育が行われ、アメリカナイズされた思考方法と、巧みな英語会話術を持った日本人を養成していくのが、現在の文科省の教育方針ではないかと、邪推する私でございます。

  7. だりあ より:

    つい先日の新聞記事で読みましたが、小学校の高学年から正式に英語を教科とするんだそうですね。インターネットでは英語ができなくては世界に意見が発信できないでしょうから、時代としては自然な流れとは思うですけど、なんだかなあ。
    日本語のほうは大丈夫なのかなあと心配になってきます。
    言葉のテーマをずいぶん引っ張ってしまってごめんなさいね。とりあえずこれでオシマイにさせてください。とても勉強になりました、ありがとうございました。

  8. すとん より:

    だりあさん

     小学生から英語を正式に教えるのは、私は個人的には疑問です。もちろん、その方が良い子もいるでしょうが、それをやってしまうと、英語はもちろん、混乱して日本語までおかしくなってしまう子が続出すると思います。

     母国語がきちんとできない子には、思考力も判断力も身につきませんし、知識を定着させる事だって困難です。つまり、幼い頃に二カ国語を強制する事は、その子の言語能力のみならず、精神活動の発達そのものを阻害することにもなりかねません。

     まあ「一部のエリートを作るためには、それなりの犠牲は必要だ」と文科省が考えているなら、仕方のない事ですが…。

  9. 楽徒 より:

    すとんさん、今回はだいぶやられているようですね。
    >イタリア歌曲と酒場のカラオケ論争
    >音程はずしと音痴論争
    喧々囂々盛り上がってますが、私は敢てそれには触れません。
    というのも問題の本質はすとんさん自身が一番よく分かっているからだと思うからです。

    今日あえて投稿させていただいたのは
    あなたがネット人格に関する記事を連日書いていたからです。
    >ネット・マナーの欠如している人、
    >影でこそこそネットでうさを晴らす人、
    これらはすとんさんこそその第一人者ですね。
    あなたは4年前から、ある吹奏楽関連ブログを荒らし続けたこと、
    それも無関係な人まで決めつけて荒らしたことをもうお忘れでしょうか。
    あなたが否定されてもここの古い読者はみんな知ってますよ。

    そして去年から合唱愛好者・経験者の真摯な投稿を曲解して
    それらを侮辱したり、削除非公開にしたことも事実ですね。
    確か最初は音響装置の議論がきっかけだったと思いますが
    あまりにあなたの荒らし投稿が続くので、
    たとえの冗談であなたのフルートが小学生並みで鼓笛隊といわれたことに切れて
    それがエスカレートし、ついには無辜のブログまで疑って誹謗中傷したこと、
    また吹奏楽だけでなく、市民コーラス・グループもいやみな記事で中傷したこと、
    あなたこそネチケット違反に欠けるブロガーではないでしょうか。
    それも結局は自分の責任で2度も3度も合唱グループを辞めさせられるように
    なったことと関係しているのですね。因果応報・自業自得という言葉、ありますよね。

    つまりあなたはネット上の性格も音楽的な性格も問題ありとは思われないでしょうか。
    あのときのブログ荒らしや自分の誤りについてこれまで謝罪も弁明もなく、
    ネット上の人格もないでしょう。
    できれば釈明、反論、そして謝罪を楽しみにしていますが
    この投稿を消されるのも自由です。
    最後に勤務時間中に職場のpc機器からの投稿はやめておいた方がよいと思いますよ。
    これが大変なことになる可能性だってありますから老婆心ながら。
    今日の私は公務時間外です。

  10. すとん より:

    今度は“楽徒”ですか? 本当にハンドルをコロコロ変える人ですね。

     以前にも何度もご注意申し上げましたが、ブログの左欄「コメントについて」でも書いてありますように

    >また、コメントをくださる場合のハンドルネームは、お一人様一つで統一してくださいますようにお願いします。

     とお願いしてるのですが、私の日本語は、あなたには難しいのでしょうか? 一体、何十個目のハンドルなんでしょうかね? ほんと、通称をお使いになるのに、躊躇がありませんね。

     で、うれしいですか? スッキリしましたか? あなたは以前から、私生活でイヤな事があると、決まって老犬ブログをアラシに来ましたが、今回も何かイヤな目にでもあわれたのでしょうか? あ、報告しなくて結構ですよ、興味ないですから。

     それにしても、いつもながら、他人のブログに書き残すような内容のコメントじゃないですね。書いていて、恥ずかしくないのですか? 私なら、そんな内容のコメントなんて、自分の評判を下げるだけですから、恥ずかしくてアップできませんよ。

     最初に軽く言い訳をしておきましょう。

     あなたが気にしていらっしゃる、ネット人格の記事ですが、あれ、あなたがモデルではないですからね。あなたの事は、きれいに失念していましが、今読み返してみると、確かにあなたの事を書いているようにも見えます。まあ、信じないでしょうが、あれ、あなたの事じゃないですよ。私、あなたのこと、そんなに興味ないし、気にもしていなかったのですから、あなたをモデルに書いたわけじゃなかったです。

     でも、あなたがモデルのようにも読めますね。それで、今回、あなたがキレちゃったんでしょうね。でもね、信じなくて結構ですが、あれはあなたの事ではありません。いつもの事ながら、全く、自意識過剰ですよ。

    >あなたは4年前から、ある吹奏楽関連ブログを荒らし続けたこと、

     それ“なりすまし”でしょ? その人物が私じゃない事は、あなた自身がよくご存じのはずでは? 

    >それも無関係な人まで決めつけて荒らしたことをもうお忘れでしょうか。

     だから、それも私じゃない事は、あなたご自身がよくご存じでしょ?

    >あなたが否定されてもここの古い読者はみんな知ってますよ。

     古い読者さんほど、あなたがこのブログで何をしたかご存じだし、もちろんあなたの正体についても知ってますし、私が一方的な被害者であった事もご存じです。

     私は日本人ですからね。人は恨みませんし、恥を知っていますし、嘘はつきません。

     あなたが私のブログをアラシに来れば、やむをえず応じますが、別に私はあなたを含めて、他人のブログをアラシに行った事など、一度もありませんよ。それも、あなたがよくご存じはずです。

     でも、私があなたのブログをアラシていないとマズいと思ったんでしょ? すぐに被害者ズラをして、攻撃の矛先を変えようするのは、あなたの得意技でしたね。分かりやすい人です。そういうあなたの行動を私は許しませんが、いかにもあなたらしい行動だなあと、納得はします。

    >あなたはネット上の性格も音楽的な性格も問題ありとは思われないでしょうか。

     はあ? 私は聖人君子じゃないですよ。そりゃあ、生きた人間だもの、色々問題くらい山積みですが、それが何か?

     ただ、私は嘘はつきませんし、なりすましはしませんし、他人のブログをアラしません。ましてや、発言のたびに、ハンドルをコロコロ変えたりしないし、リアルな世界でイヤな事があっても、他人のブログを荒らして、ウサを晴らすような、恥知らずな行いはしません。

     ちなみに、私は吹奏楽が嫌いなんですが、それって、ネットで出会った最初の吹奏楽関係者があなただったからですよ。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」ではありませんが、あなたのような人が関わる吹奏楽だから、私は嫌いになりました。きっと、あなたに出会わなければ、今よりは、多少なりとも、吹奏楽の事が好きでいられたと思いますよ。

     フルートは好きだけれど、吹奏楽は嫌いという方の中には、あなたのせいで吹奏楽が嫌いになられた方って、少なからずいらっしゃいますよ。

     とにかく、リアルな世界でイヤな事があったとしても、それはリアルな世界で解決してください。それが原因で、私のブログを荒らされるのは迷惑です。あなたは、私の友人でもなんでもない、赤の他人なんですから、そこのところは理解してください。

     私が好きでたまらない事は分かってます。もしも私と友人になりたいのなら、やりかたを考えてください。これではまるで『好きな女の子のスカートをめくる小学生男子』や『フランスにまで行って、日本の悪口を吹聴してくる某国大統領』みたいなモンです。そんな回りくどいやり方は、しないでください。

  11. ひょっとこ より:

    人からとか、ネットから得た情報を、
    あたかも最初っから
    自分が知ってたかのように権威ぶるのとか、
    前言がいつの間にか違うものになるとか、
    ってのも嫌われるよね、
    しかもその前言はご丁寧に消してたり。
    まあ、間違いを正すとか、
    合理的な方に変えてゆくのは必要ではあるけど。
    今度は楽徒出陣か。

  12. すとん より:

    ひょっとこさん、おひさ。

     いつも、グッドなタイミングでの登場、感謝してます。

    >今度は楽徒出陣か

     …ですね(微笑)。

  13. ×××× より:

    >ひょっとこさん、お久さ

    てかひょっとこ爺さん氏ねよ

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