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ネットで嫌われる人 その1

 今回の記事、と言うか、エッセイは、書き始めたら、すごく長くなってしまいました。仕方がないので、二分割してアップいたしますので、よろしくお願いいたします。

 まず今回は『その1』って事で、次回は…いくら“エッセイは週に1回の掲載だから”と言って「また来週~」ってわけには…いかないでしょうね。なので、今回は特別に、続きを明日アップしますので、よろしくお願いします。

 と言うわけで、今回は体重報告の方はパスします(一応、計測しましたが、自慢できる数字じゃなかった事は、正直に報告いたします:涙)ので、よろしくね。

 さて、今週のエッセイです。

 ネットを見ていると、一つの定番テーマとして「こんな人がネットでは嫌われる」というのがあります。面白そうなので、私もちょっと書いてみました。まあ、私の場合、活躍(って程じゃないけど)の場がブログだし、ブログは個人の趣味の発露と思っているので、他人様のブログに関して、どーこー言うつもりは全くありません。

 老犬ブログにコメントしてくださる方は大勢いらっしゃいますが、その中には好感のもてる方もいらっしゃれば、その人が発言すると、私自身がゲンナリしたり、抗議のメールがやってくる(つまり評判が悪いコメント者って事ですね)人もいます。

 このブログもそこそこ長くなってきたので、今まで現れた、その手の悪評高い方々のパターンを書いてまとめてみたいと思いました。題して、すとん版「ネットで嫌われる人」でございます。

 項目は全部で10あります。ヒア・ウィー・ゴー(笑)。

1)意見が上から目線の人

 たまにいるでしょ? 上から目線な人。それでもまだ『モノを教えて差し上げましょう』という方は、私的にはOKなんです(それでもネットの評判悪いんですがね:汗)。私がヤだなって思うのは、ダメ出しから入る人です。

 コメントが、いきなりダメ出しから入る人を見ると「あなたは一体何様のおつもり?」って思うわけなんです。よほど、ご自分を偉そうに見せたい人なのかなって思います。

 ダメを出すって事は、本当はとても責任重大な作業であって、出したダメに対して、どんな原因が背景にあって、それを解決するために、どう指導し、どう改善させるのか、そこまで考えた上でダメを出すものでしょう。それが指導者って奴だし、そこが指導者の腕ってモンだと思います。

 他人をクサすだけなら、誰でもできます。とてもたやすい事です。

 指導する気もなく、ただの無責任で、言いっぱなしの“ダメ出し”は、単なる難癖と一緒です。たとえ、それが事実に基づいたダメ出しであっても、その人にダメを出す事で、自分(の中での自分)の地位を向上させて、溜飲を下げるだけの、自慰的な行為だと思います。

 だから、多くの読者の方々が“意見が上から目線の人”を極端に嫌うわけなんです。

 親切な人は、アドヴァイスを下さるにしても、こちらに気を使いながらしてくださるものです。「こんな私に無用な気遣いを…」と感謝してしまいます。

 文章って、その人の根底にある感情が、言葉の端々に表れるモノなんですよね。

2)マイルールな人

 『私の常識が世界の常識』って考えている人です。『私がルールブック』であり『私がダメだと思ったものは、間違っている』と思い込んでいる人です。結構、ネットには多いタイプの人ですね。

 基本的にはコミュ障の一種なんだと思います。世界は多様な意見で成り立っていて、人が違えば意見が異なり、意見が異なれば、正義も変わってくる、って事が分からないのです。

 一元的で薄っぺらな世界の中でしか生きてこなかった人なんだろうなあって思います。年配者だと“元会社人間”、若い人だと“ヒッキー”とか…ね。

 世界は広く、自分の正義が他者から見れば“トンデモ意見”かもしれないって事を、ほんのちょっとでもいいから、考えてみれば、とてもマイルールを他人に押しつけるなんて、失礼な事はできないと思うんだけれどね。結局、マイルールな人って、想像力に欠けているんだと思います。

 例えば「ステージ活動とは、常に観客のためにある」と考えている人。興行としてのステージ活動は、まさにその通りなんだけれど、世の中には興行とは縁のないステージ活動だってたくさんあるのに、そういうモノに対しても、マイルール(笑)で「ステージ活動とは、常に観客のためにある」という自分の価値観を他人に押しつけてくるわけです。それで一刀両断にしたつもりだから、始末におえないです。

 別にステージ活動って、観客のためだけにやっているわけじゃないし(真の意味での)観客不在のステージだってあるわけです。『客席にいるのは、出演者の家族と知人だけ』なんてステージは、日本中で何百何千と行われているだろうにね。いやいや『観客はいない。客席にいるのは、その日の出演者だけ』というステージだって、数えきれないほどたくさん行われています。そういうステージって、第一義的に出演者のために行われているわけで、そんなステージなのに「観客の事を考えろ」と言われても、ドッチラケでしょ? マイルールにしても、ちょっとひどすぎるでしょ?

 で、たいがい、マイルールを押しつけてくる人は、負けず嫌いだったり、自分が負かされる事を想定していない(そりゃあマイルールの中では、自分は無敵でしょうからね)ので、粘着にからんできたりするんです。と言うわけで、次の項目に続きます(笑)。

 

3)粘着にからんでくる人

 楽しく意見交換をしてスレが伸びてしまうのは、うれしい事です。でもね、世の中には、すぐにコブシを振り上げて、そのくせ、そのコブシを下ろす事ができないために、延々とブログ主にからんでくるって人がいます。そういう人って、本当に、面倒くさいです。

 おそらく、その人の口癖は「でもね」とか「だって」とかの逆接の接続詞だろうし、その人の人生は、常にゴネてゴネてゴネまくって「あいつ、本当に面倒くさい。面倒くさいから、あいつの言うとおりにしてやれ(そうすれば静かになるだろ)」という扱いを受けてきた人なんだと思います。

 まるで日本に対する某国みたい(笑)。

 私は“理の人”なので、そういう“ゴネ得な生き方”って認めたくないです。また、多くの人は、そういう粘着な人のコメントって見たくないので嫌がりますね。だって、そのコメントは、ゴネるためのコメントであって、内容なんてカラッキシなんだもの。

 また、そういう人って、暇人なんでしょうね。ほんと、マメでしつこいんです。まさに「小人閑居して不善をなす」を、見える形で教えてくださる方々です。

 まあ、そういう人の活動エネルギーって、多くの場合“恨”なんだと思います。ブログの発言の中に、自分の劣等感を刺激させるモノがあったので、ついつい我を忘れるほどに興奮して、からんでくるんだよね。そういう意味では、恨みのパワーって馬鹿にしちゃいけないのだけれど、どこでそういう人にからまれるかは、全く分からないので、予防のしようもありゃしない…っのが本音です。

 ある意味、粘着な人にからまれるのは、交通事故にあうようなモノなのかもしれないです。

4)自慢話ばかりする人

 “身辺雑事の報告”は微笑ましくて好感が持てます。でもね、それも度を越すと、嫌われます。

 「私、この前のコンクールで優勝したんです~」と言う発言は、その記事の文脈に沿っているならOKですし、多少文脈からズレていたとしても、単発で短いものなら、誰も目くじらたてません。ところが、他人のブログのコメント欄で、連載を始めてしまうと…、コメント主さんのところに抗議メールが殺到するんです(涙)。

 私個人は自慢話はキライじゃないですし、それもネットでの大切なテーマの一つだと思います。ただ、ちょっと発言する場所が違うかなって思います。

 自慢話がしたければ、自分のブログを立ち上げるとか、ツイッターでつぶやくとか、そういう手段を取るべきだ思います。

 自宅の浴場なら全裸でも当たり前だけれど、他人の家の客間で全裸になったら……単なる変質者でしょ? 他の人に嫌われちゃうでしょ? そういう事です。

 そういう人には「能ある鷹は爪を隠す」という言葉を送りたいと思います。

5)差別的な発言をする人

 まあ、さすがに意図的に差別発言をする人はいないですね。もしいたら、それはとっても心の強い、信念の人だと思いますし、その人の主義主張にもよりますが、私はその人に傾倒してしまうかもしれません。

 私がヤだなって思うのは、無意識に差別的な発言をする人です。

 結局、人って、自分の中にあるモノしか表現できないんですよ。差別的な発言をする人は、心のうちで差別をしている人なんです。無意識に差別的な発言をしてしまう人は、無意識に差別をしている人です。

 だから、無意識に差別発言をする人のコメントって、たいがい黒いんですよ。心の中の汚いモノを隠せない人だから、言葉の端々が汚くて黒いんです。

 たいていの人は、汚いものはキライなんです、もちろ私もキライです。だから、ヤだなって思います。

 きっと、そういう人って、リアルな世界でも、失言が多いんだろうなあって、余計な心配をします。私なんかも、結構、心の中はどす黒いのですが、そういうどす黒い気持ちは、自宅の居間に置きっぱなしにしているので、仕事中とか、ネットでは、基本的に穏やかでしょ(爆)。まあ、たまに黒い感情を置き忘れてしまう事もありますが…そういう時は、薄目で見ないフリして勘弁してやってください(笑)。

 と言うわけで、続きはまた明日。

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コメント

  1. だりあ より:

    情報革命、とかコミュニケーション革命とか言われてますが、なんとも不思議な時代がはじまったものですね・・・。
    インターネットは、見えないけど火のようなものかなあと思う時があります。ネットで心にひどいやけどしちゃう人もいらっしゃるようですし。でも使いようによっては、極上の人の心の温かさも感じられますし。扱いが簡単なだけにムズカシイですね。

    私もこうしてすとんさんのお話に感想などのべさせていただいていますが、自分からの発信はぜったいにできない性格だと思います。ボール投げるより、キャッチャーミットを構えている人のほうがラクちんそうですもん。

  2. すとん より:

    だりあさん

     私はネットって、本質的に便利だけれど危険な道具だと思ってます。それは、ある意味、自動車と同じだと思ってます。

     自動車に免許が必要なように、ネットにも免許が必要…とまでは言わないけれど、免許を取得するために自動車学校で色々と学ぶように、ネット社会に生きるための色々なノウハウを学ばないとネットに参加できないようなシステムを作る必要があると思います。

     ま、子どもたちには学校教育を通じて教え込み、大人たちにはテレビの情報バラエティ番組を通じて、自然と学べるようにするべきだろうと思ってますが…世の中、全然、そういう方向には動いていないですね(笑)。私は知らないよ、どうなっても(爆)。

     ネットで発言をし続けていくために、かなり心がタフでないとやれません(笑)。私は自分では、決して“心がタフ”な人間だとは思ってませんが、それでもこうしてブログが継続している事から“心がタフ”なのだとしたら、それは若い時に武道を通じて精神力を養ったからだと思います。ま、武道と言っても、私の場合は柔道ですが。武道って、礼儀正しさと、是非の心と、理不尽と、暴力の怖さとその制御と、痛みに耐える事を、学びます。そのあたりが単なるスポーツとは違うと思うし、そこらへんが心の強さにつながってくる…のかなあ?なんて思ってます。

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