…と最近は、つくづくそう思います。別に「過去の名演奏がダメ」と言いたいのではありません。ただ、どんなに名演奏であろうと、過去のものは過去のものであって、その過去を乗り越えて現在があるわけだから、いたずらに過去を美化するのは、いかがなものであろうかと思うわけなのです。
例えば、終戦直後に録音されたベートーヴェンの第九の演奏が素晴らしかったとします。おそらく、同時代にその録音を聞いた人は、魂が震えるばかりに感動した事は容易に推測できます。その人が年を重ねてジジイになった時、若い世代に向かって、その録音を絶賛する気持ちも分かります。青春の思い出だもの。そりゃあ、今聞いてもキラキラしているでしょう。
でもね、戦後も80年近く経ったわけです。当時のノイズだらけのモノラル録音なんて、そのまま聞くのは、21世紀に生きる我々の耳には厳しいですよ。いくらAI技術でノイズを取り除いたとしても、音色までは改善できませんし、音の分離の悪いモノラル録音はモノラルのままなのです。いくら聞きやすくしても、結局、古い録音は古い録音なんです。たとえどんなに素晴らしい演奏であったとしても、古い録音なんです。当時を知っている老人には、哀愁とともに受け入れられても、今を生きる人には、素晴らしい演奏の中身を味わう前に、古い録音に拒否反応が出てしまうのです。
そうでしょ? そんな古い録音の名演奏よりも、現在の普通に録音された普通の演奏の方が全然良いし、受け入れられやすいし、感動だってしちゃうんです。
ただ、ノスタルジーは否定しません。そんな古い録音が好きという人たちの気持ちは理解できます。ただ「自分が好きなものは、何年経っても、やっぱり好きである」と認めても「自分の好きなものは、絶対的な価値があり、誰にとっても素晴らしいものだ」と錯覚されるのは、ちょっと迷惑だなって思います。
好き嫌いと良し悪しは別物だし、それらの物差しだって人それぞれに別にあるって事だよね。
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