皆さんからたくさんの意見をいただき、笛先生やキング先生からもアドヴァイスをいただき、それらを自分の中に一度入れて、グルグルかき回してみたら、こんなのが出てきました。かなり中途半端なものですが、将来の自分のための覚書として書いてみます。
クラシック音楽とポピュラー音楽。どことどこがどう違うか?
まずは、楽譜の有無でしょう。クラシックは楽譜ありきです、と言うよりも、楽譜命ですね。まずは楽譜通りの演奏が当たり前で、なんであれ、そこから出発します。楽譜への忠実なる下僕である事が要求されます。
対して、ポピュラーでは楽譜はあった方が良いのですが、必須のものではありません。ポピュラー系の作曲家の中には、楽譜が読めない人、書けないなんて人はザラです。演奏をする側とて同様で、楽譜の読めない人はたくさんいます。
じゃあ、楽譜が読めなきゃ、どうやって曲を演奏するのかと言うと、耳コピーだったり、リード譜(メロディとコードだけ書いてある簡単な楽譜)だったり、歌詞カードにコードが振ってあるような紙を見て演奏していたり、まあ、色々です。もちろん、楽譜が読めた方がいいのだけれど、読めなくてもなんとかなるわけです。最近では、パソコンを使って作曲する人もいます。そうなってくると、楽譜よりも、パソコンのファイルの方が大切になってくるかもしれません。
ですから、クラシックでは、楽譜通りに演奏する、言い換えると、楽譜が想像できる演奏が良い演奏なんでしょうね。ならばポピュラーは、楽譜が見えない(見えづらい)演奏が良い演奏となるのでしょうか?
楽譜が見えない演奏というのは、楽譜に書き表すとなると、ちょっと苦労する部分を含んでいる演奏ということでしょう。たとえば、細分化されたリズムや音程を使っている演奏などは、楽譜に書きづらいでしょうね。それに楽譜を見ながら演奏していても、ポピュラーの場合、奏者の側で、簡単に楽譜を無視して、書いてあることをやらなかったり、書いてないことをやったり…もします。
クラシックのリズムは…これは私の私的な感覚なんですが…大きな時間の流れをドンドン細かく割っていって作っているような気がします。一曲を8小節とか16小節という単位に分け、それらをさらに1小節ずつに分け、その小節を2拍子とか3拍子とか4拍子とかに分け、さらに1拍をさらに細分化し…みたいに考えてます。
そこへいくとポピュラーのリズムは、積み重ねかな? リズムの断片をドンドンつなげていくと、結果として一曲になるような? だから、ポピュラーの場合、リズムを譜面に書き表そうとすると、やたらと複雑になるのは、元々、譜面にかけるようなリズムの構成をしていないから、あるいは、譜面に書くことを前提としていないリズムの断面を寄せ集めて来るから…。そんなふうに感じてます。
1小節を基準にリズムを構築していくクラシックに対して、1拍(1ビート)を基準にリズムを構築していくポピュラーというところでしょうか。ま、こんな事、誰も言い出していないから、分かりづらくてしょうがないですね、ごめん。
リズムは、クラシックとポピュラーで大きく違うけれど、ハーモニーの感覚もクラシックとポピュラーではだいぶ違うかな? ポピュラーはリズム同様、ハーモニーも比較的単純なものを、次々とつなげていくように作られていきます。これはコード譜を見ると分かるとおりですし、往々にして、ポピュラー音楽の場合“作曲”というと、紙切れにコードの羅列を書いていく事だったりします。
対してクラシックは、メロディや対旋律とかの音の色彩とか音の揺らぎとか、使用する楽器の演奏効果を考えて作っていくと、結果としてハーモニーが出来上がるような気がします。ハーモニーありきで作曲するわけではなさそうなので、出来上がったハーモニーの複雑でしち面倒くさいこと(笑)。
単純に言っちゃうと、リズムを主体としたポピュラーに対して、ハーモニーや音の色彩感覚を味わいの中心に置いているクラシック、というふうに私の中では分けています。
演奏方法的に考えていくと、クラシックは楽譜通りに演奏する音楽ですから、楽譜に書かれた事はすべてきちんとやらないといけません。つまり、記載された音符はすべて明確に音声化しなければいけません。一方、ポピュラーは口伝というか、耳コピーの世界ですから、その点は、案外アバウトなのかもしれません。音を抜いたり落としたり、リズムを抜いてみたり足してみたり…、大切なのはハートであって、それが伝われば、多少、音楽の形が変わっても、全然OKという感じなのでしょう。
歌に関していうと、クラシックの歌はイタリアの歌が基本です。イタリア語は母音中心の言語です。当然、歌も母音をドンドンつないでいく感じに歌っていきます。当然なめらかな歌が理想となります。
一方、ポピュラーソングは英語が基本です。英語はドイツ語ほどではありませんが、子音が多い言語です。さらに、子音が多いくせに、平気で子音を落としたりします。もちろん、母音も飲み込んだりします。すべての言葉を律儀に音声化するわけではありません。
楽器…ここではフルート…の音色自体も、クラシックとポピュラーではかなり違います。きれいな音色を追求して、日夜音作りに励むクラシック・フルートに対して、表現のためなら平気で音も汚すポピュラー・フルート。クラシックならアウトな事もあえてやっちゃっうなど、フルートの音色に関しては、理想像がかなり違います。
。
多くの場合、指揮者が行って、その統率の元に一糸乱れぬ演奏を繰り広げるクラシックに対して、バンドリーダーはいても、演奏そのものはそれぞれのプレーヤーに任され、全員の音楽的なコンセンサスと、時折行われるコール&レスポンスの中で音楽が進んでいくポピュラー音楽。
演奏者のライフスタイルも違うかも。学校に行って、しっかり勉強をして身につけるのがクラシックなら、学校をサボって、仲間と遊んでいるうちに身につけるのがポピュラー音楽なのかもしれません。優等生の音楽がクラシックなら、不良たちが支持する音楽がポピュラーなのかもしれません。温故知新がクラシックの信条なら、常に変化を求めていくのがポピュラーの生きざまでしょう。
じゃあ、ここまで違うなら「クラシック音楽とポピュラー音楽は、間逆の存在なのか」というと、それもまた違います。例えば、この両者の間に、民族音楽、例えば、日本の長唄などを入れてみると、クラシックとポピュラー音楽がまるで瓜二つの双子のように思えるから不思議。
ああ、ダメだ。たった一回の記事では、何もまとまらない。もっと考えてみないと、結論らしきものは出てこない。似ているようで違っていて、でも、違うようでほぼ同じな、クラシック音楽とポピュラー音楽。どこが違うの、どう違うの。考え出したら、かえって悩みが深まりました。
コメント
分析が鋭いですね。
よく言われるのが、
クラシックは作曲家の音楽、
ポップスは演奏家の音楽って。
細かいことは、別の機会に。
ここでのクラシックは狭義の意でしょうね。
だって、バロックはなかなかすとんさんの分析には当てはまらないところがあります。
ビック・バンドでは、1stアルト、2ndテナー、3rdアルト、4thテナー、とバリトンの5本で奏でるサックスソリが命です。これにたまにフルートが乗っかります。つまりアンサンブル命でげす。これて譜面どうりなんですね~!(自分は4thテナー(持ち替えでfl)なので、ほとんどメロがないですよ。たまに何を吹いているのか分からん時があります。(泣))難しいサックスソリが16章節以上続くとチョー大変です。
たしか、吹奏楽のフルート構成も同じだったような…?でもアンサンブルなんですね~!
持論(笑)ですが、どんなジャンルでもやっぱアンサンブル命です。
クラシックコンサートホールは飲食禁止(むしろ厳禁)
ジャズ、ポップス、ライブハウスは飲み食いOK!(むしろ推奨)
(^o^)v
(お祭りも…)
でも、昔のヨーロッパの貴族がやっていたサロン音楽(このあたりがバロック?)はどうなんでしょ?
>ひょっとこさん
>クラシックは作曲家の音楽、ポップスは演奏家の音楽って。
あ! それ、正解。そうそう、私の中でモヤモヤしていた部分って、それかも。
私は根っこがクラオタなので、ポップスもクラシック同様に作曲家や編曲家の仕事っぷりを見ちゃう私ですが、ポップスって演奏家の音楽だよって言われると、なんか納得です。
で、そんな事を書きながら、ふと思ったこと。自分のiPODやiTUNESのこと。たくさん曲が入ってますが、それらの分類を、クラシックは作曲家別に、ポップスは演奏家別にしてました。なんだ、無意識にやっているじゃん、自分(笑)。
>extajijiさん
>ここでのクラシックは狭義の意でしょうね。
狭義というか、一般用語と言うか、俗語です(笑)。ごく普通の人が「クラシック音楽」と思って思い浮かべるものだと思ってください。学校の授業で習った奴とか、テレビのCMで使われているような有名曲の総体のようなものです。つまり19世紀のドイツロマン派とその周辺音楽って奴です。
バロックは…ここでのクラシック音楽には、たぶん入ってないです。バロックとかロココとかルネサンスとか、私の守備範囲の外です。もちろん、20世紀以降の現代音楽って奴も守備範囲外です。
それと私の守備範囲内だけれど、オペラも入らないかな。クラシックの歌って、歌曲(ドイツリートを思い浮かべてます)は、ザ・クラシックって感じがしますが、オペラ(イタリア・オペラを思い浮かべてます)は、あきらかに演奏家の音楽、娯楽の音楽だもの。楽譜よりも演奏上の慣習が優先される世界。
ま、今日の記事は、まとまった記事というよりも、走り書きみたいなものです。あっちこっちに、論の不備があると思いますが、それはそれで良しって感じです。
>はっチャンさん
ビッグ・バンドって、ジャズの歴史の最初の頃に現れた白人音楽ですよね。ベニー・グッドマンとかグレン・ミラーのサウンドが思い浮かびます。あれって「黒人音楽(デキシーランド・ジャズ)に憧れた白人たちが、自分たちがよく知っている音楽的な手法(つまりクラシック音楽)を使って、黒人音楽に憧れる白人たちに向かって、黒人音楽のようなもの(スウィング・ジャズ)を演奏したもの」と私は思ってます。偏見は持っていないつもりですが、誤りや誤解している部分はあるでしょうか?
で、このビッグバンドと軍楽隊の二つの形態が、日本国内でキメラ状態になって、学校現場に降臨したのが、現在の日本の吹奏楽だと思ってますが…これも偏見かな? または無知の産物?
だから、ビッグ・バンドとか吹奏楽って、たとえポップスを演奏していても、手法的にはクラシック系音楽だと思ってます。なので、今回の私の二分法では、ポピュラーではなくクラシックに入ると思ってます。
「吹奏楽は、ポピュラー音楽かクラシック音楽か」というテーマを以前から温めてますが、なかなか記事が書けません。思うところはあるのですが、吹奏楽は私の手に余るんですよ(笑)。
>持論(笑)ですが、どんなジャンルでもやっぱアンサンブル命です
激しく、同意。
>YOSHIEさん
そうそう片や飲食厳禁で、片や飲食奨励タバコもアルコールもお好み次第、というわけです。あ、後者はポピュラーでもジャズ系ですね。これがロック系だと、縦ノリ奨励雄叫び歓迎コスプレ可能だし、アイドル系だと、歌に合わせたダンス奨励グッズ購入もち奨励写真撮影ご遠慮ねがいます、でしょ。
音楽ジャンルが変わると、マナーも変わるわけです。ジャズを聞き始めた頃は、これに慣れなくてね(笑)。未だに飲食には抵抗があるし、タバコは嫌いだし、酒臭いのは苦手だし(笑)。
>でも、昔のヨーロッパの貴族がやっていたサロン音楽(このあたりがバロック?)はどうなんでしょ?
単なるBGMでしょ。真面目に鑑賞するほどの価値のないもの…というのが、当時の一般的な感覚だったと思いますよ。とにかく、心地よい音が流れていれば良かったのだと思います。なにしろ、当時は、音楽家は料理家と同じような扱いだったわけだし、音楽作品と料理も同じ扱い、つまり“消えもの”。会話の邪魔をするような自己主張の強い音楽は不可だし、もちろん心を奪われるような魅力的な音楽もまたBGMとしては不可でしょう。
ただ、当時の音楽は宮廷音楽だけでなく、教会音楽もあったわけで、こっちは基本的に「神様への捧げ物」ですから、演奏する方も聞く方も、相当マジだったと思いますし、良いものは残され、何度も演奏され、後世に伝えられていったのだと思います。
クラシックは飲み食い駄目、ジャズやポップスはむしろ奨励って言うのは、演奏会の場所の関係でしょ。
ジャズやポップスでも、ホールでは、飲み食い厳禁ですよ。
>chikoさん
>ジャズやポップスでも、ホールでは、飲み食い厳禁ですよ。
そう言われてみれば、確かにそうかも。
でも、それ以前に、その手の音楽って、ホールでやらないからなあ…。おそらく、集客の問題だと思うけれど、一般的に言って、ホールってデカいからねえ。そのデカいホールに何百人とお客を集めるのって大変だもの。ポップスはともかく、ジャズだとそこまでの集客力ってないでしょう。ライブハウスやステージ付きの飲食店なら、せいぜい何十人単位のお客でいいんだから、そこはかなり違う。そんな事情もありそうですね。
当然、ポップス系は集客力ありますから、ホールでの演奏はありで、その場合は飲食厳禁ですね。
あと、逆にクラシックの演奏会を、ライブハウスとか飲食店でやった場合、飲食はやはり厳禁で、飲食は決して奨励されません。飲み食いは演奏の前に終えておく感じになるでしょう。クラシックの場合、飲食の是非は、場所の問題でなく、演奏文化の問題になりそうです。
あっ・・・!!
>すとんさん、chikoさん
トピずれ、というか軽率な勘違い書き込み、申しわけ訳ありませんでした。
>YOSHIEさん
ズレて…ないでしょ? 少なくとも、私の中ではつながっている話題です。ご安心ください。本当にトピずれな話題は、私のところで対応させてもらうつもりですから…。
会場の話は、コンサートを主催する側にまわると、これはこれでやっかいでシビアな話になります。そういう話題もいづれ記事に取り上げましょう。
私はフォルクローレというごくマイナーなジャンルの音楽をやっていますけれど、すとんさんの分析がかなり当てはまります。つまり、フォルクローレは立派にポピュラー音楽の一部、というわけです。
>inti-solさん
ああ、そうか。なるほど、サンキューです。
私は音楽を「クラシック対ポピュラー」で考えてみたけれど、長唄を入れることで、その距離感が変わったように、フォルクローレを入れると、また、それぞれの音楽の立ち位置が変わりますね。つまり、こういう作業をくり返していくと、世界の民俗音楽の関連性が分かってくるかもしれません。もちろん、クラシック音楽だって、民俗音楽の一つですからね。
ああ、これは研究テーマとしては面白いかもしれない…ううむ、ああ、研究心がうずくうずく…。でも、自分では研究する時間がない。ああ、残念。
民族音楽、あるいは民俗音楽というと、どうも日本の琴三味線尺八の世界(伝統芸能)、または下界から隔絶された山奥の村で連綿と受け継がれてきたような原初的な音楽を連想してしまいがちですが、実際には、その地域では立派にポピュラー音楽になってしまっている例が、かなり多いと思います。
フォルクローレが典型的にそうですが、要するに、アンデスという地域限定で流行しているポピュラー音楽なのです。他の民俗音楽も、多かれ少なかれ同様の傾向があると思います。
そう考えると、むしろ音楽の大部分はポピュラー音楽(的)なもので、クラシックの方がかなり異端、という見方も出来ます。
でも、世界中の音楽で、クラシックの影響をまったく受けていない音楽なんてない、とも思うのです。(クラシックと言い切っては語弊があるかも知れません、要するに「西洋音楽」という意味です)
だって、5線譜に書く楽譜というもの自体、クラシック音楽の産物ですからね。
私は楽譜が苦手なので、楽譜の悪口をいろいろ言うのですが、しかし実際には、演奏すればそのまま消え去ってしまう音楽を、紙に保存するという、驚くべき大発明だと思います。
それに、どんなに民族音楽起源の伝統的な楽器に見えても、商業的なベースに乗っているものは、その発展過程のどこかで、西洋楽器の技術を取り入れています。
例えば、ケーナは、商業音楽の楽器として確立する過程で、明らかにフルートの影響を相当強く受けています。何しろ、100年前には指穴が4つか5つしかなくて、まともに調律なんかされていなかったんですから。それが、表に6個裏に1個の7つの指穴が開けられた、ということは、5音音階のアンデスの伝統的音楽の楽器から7音音階の西洋音楽の楽器へと改良されたということです。演奏上の技法や装飾音にも、フルートから取り入れられたものが数多く存在します。ビブラートはおそらくそうですし、3オクターブの音を出すこともそうではないかと私は思います。1970年代に活躍したペルー出身の有名なケーナ奏者で、少なくとも観客を前にした演奏では3オクターブは出さなかった人がいますから。当時は、ケーナにとって3オクターブ出すことは必須の技術ではなかったのです。
そういう意味では、クラシックは偉大な音楽だと思います。
>inti-solさん
民俗音楽とはローカルなポピュラー音楽である…これも私には無かった視点です。そう考えると、もっと色々な事が分かるような気がします。ううむ、そうだよねえ~。
クラシック音楽って、元をただせば、18~19世紀におけるヨーロッパの民俗音楽なんですよね。それが今や音楽そのものを支配しているというか、すべての音楽をその影響下に置いているわけで…inti-solさんのおっしゃる通り、クラシック音楽って偉大な音楽ですね。あんまり偉大すぎて、クラシック音楽を「ザ・音楽」として考えがちな私ですが(だいだいクラオタですから)、もっと広い視野で音楽を眺めていた方が楽しみが増えそうです。