シルバーウィークの最中、錦織健さん(知り合いでも何でもないのですが、やっぱり日本人アーチストを呼び捨てにするのは抵抗があります:笑)のテノール・リサイタルに行ってきました。
ご本人自ら「バロックからロックまで」とおっしゃっていましたが、まさにそのとおりの、とても幅広くて楽しいリサイタルでした。ヘンデルから始まり、日本歌曲、イタリアオペラ、ちょっとポップスっぽい曲まで、たっぷりの二時間でした。トークの最中に話題に出た(今回の演奏リストに入っていなかった)曲を急遽、ピアニストさんが楽屋まで楽譜を取りに戻って、わざわざ歌ってくれたりと、なかなかのサービス精神も発揮してくれてました。プロって、大変だなあ…。
二時間、本当に歌ってトークして、大車輪のリサイタルでした。それを見ていて思った事は、すごく楽な発声をしている人だなあと言うこと。しゃべり方もそうだし、歌い方もそうですが、実にラクラクとこなしていること。無駄な力は一切入らず、なおかつ十分なだけの音量の声で歌える。しゃべる声も実に柔らかい脱力気味の聞いていて心地よい声でしゃべる。できるようで、なかなかできません。あれって才能と努力の賜物なんだろうなあ。
サービス精神と言えば、ドニゼッティやロッシーニのアリアはピアニストさん抜きの、ギター弾き語りで、客中に入ってきて、歌ってくれました。客席をグルグル回遊しながら歌うオペラ歌手って、始めて見ました。芸達者だなあ…。
そうそう、「うわー、すげえー」と思ったのはアンコールの「オー・ソレ・ミオ」を、実にラクラクと歌ったこと。もう2時間のステージを勤めたあとなのに、本当にラクラクと歌ってました。どれくらいラクラクかと言うと、ステップを踏みながら(つまり踊りながら)歌ってくれたのですね。最後の高音を伸ばすところなんて、クルクルクルクルと、まるでバレエダンサーのように回転しながら歌ってたよ。なんなんでしょ…。
つまり、すべては声のエンジンの基本性能の違いなんだろうなあ…と思いました。車で言うなら、アクセルなんかほとんど踏み込まず、ギアもトップに入れずに、それなのに高速道路をビュンビュンかっ飛ばしているような感じなんです。腹八分目ならぬ、声八分目…いや六分目くらいかもしれない。そんな余裕しゃくしゃくな歌い方なんですよ。実際に余裕しゃくしゃくなんだろうけれど。
たぶん、2時間のリサイタルなんて、ちょっと休憩入れれば、すぐにまた繰り返せるくらいの疲労度なんだろうと思う。すごいスタミナと高度な発声テクニックの両方があって可能な事ですね。
そうやって「オー・ソレ・ミオ」をラクラクに歌ったあとに、クイーンの「ウィー・アー・ザ・チャンピン」をこれまたラクラクと歌ってくれたこと。それも、フレディよりもお上手に(笑)。ロック歌手よりもロックの上手なオペラ歌手って何?って感じでした。
すごく感動したので、家に帰って、自宅練習の時に、リサイタルで歌ってくれた「オ・ソ・ミオ」やヘンデルの「私を泣かせてください」をついつい歌っちゃいました。
そうしたら、驚きましたよ。
今まで歌えなかった「オ・ソレ・ミオ」の最後の高音の部分が、ラクラクと歌えちゃいました。「私を泣かせてください」だって、何の苦労もなく、サラっと歌えちゃいました。ええ~、そんな事、ありえなーい! って感じです。
つまり“上手が伝染りました”。そういう事です。よくレッスンの時に、先生の前だとできるけれど、家に帰ると、できなくなるってあるけれど、あれと原理は一緒。上手が伝染したのです。特に声楽の場合は(少なくとも私は)、演奏を聞いているだけで、その歌手と同じ身体の動きを無意識にしてしまうので、良い声の歌手の演奏を聞いていると、その身体の使い方を無意識に真似してしまうので、その直後だと、同じような身体の使い方ができてしまうのでしょうね。
なんか、錦織健さんの声を貸してもらったような感じで、とても気分よく歌えました。うわー、気持ちいー。
もっとも、そんな状態は長くは続かず、一晩寝たら、きれいに忘れちゃいました。ダメじゃん、でも、たった一晩でも、上手が伝染ってくれて、とても良い経験ができました。
しかし、今回の事で、さらに強く感じた事は、上手が伝染るのはうれしいけれど、下手が伝染るのは困るなあと言うこと。実際に、下手な人の歌を聞いた直後って、自分も歌が下手になっている事が結構あります。間違った身体の使い方を、ついついトレースしちゃうんだろうなあ…。ホント、気をつけないと。
コンサートによく行く私ですが、たとえプロ奏者であっても、下手な人っていますからねえ…、気をつけて、そのあたりを吟味し、もしもイマイチの方のコンサートの場合は、きちんと覚悟を決めて行かないと、自分に跳ね返ってくるわけで…、おー怖!
蛇足。錦織さんが「スタン・バイ・ミー」を歌う時に、まず最初に観客に拍手を求めました。観客はそれに合わせて、拍手をしました。ところが、伴奏のピアノが入った途端に多くの人が拍手を止めました。錦織さんは「もっと拍手を続けて!」って感じで拍手を求めていきましたが、ほんの少しのお客さんしか、拍手の輪に戻れませんでした。
私はもちろん拍手しました。なぜ、他のお客さんたちは拍手をしないのだろう…と周りを見回したら、周りのお客さんたちは拍手をしたいのだけれど、うまくできないらしく、なんか手間取っていたり、明らかに違うタイミングで拍手をしたり、人によっては、「あ、しまった!」という感じで、すぐ止めてやり直すけれど、やっぱりダメだったりと苦労している様子がアリアリ…。んん、そんなに難しい事やっているのかな?と思っていたけれど、しばらくして分かりました。この拍手、裏拍なんだよ。リズムの裏で拍手しているので、多くのお客さんたちが、拍手したいのに、裏のリズムが取れなくて、アタフタしているんですよ。
最初のピアノが無い時は、裏も表もないわけだから、みんなで一緒に楽しく拍手ができたけれど、ピアノが入った途端に、裏になって、そこで大半の人が落っこちたわけだし、できる人も、周りが落ちたものだから、止めたわけだ。で、錦織さんが拍手を求めるから、みんなして拍手を始めたけれど、裏拍のリズムを無意識にキープできる人が少なくて、ああいう結果になったわけで…まだまだ日本人には裏拍は難しいってことだね。そして、たかが裏拍だけれど、そういうリズムの感覚が身に付いてないと、拍手すらできないんだね。
最後は、どうでもいい話でした。
コメント
あ〜、錦織さん登場だ〜!今まで詳しく登場したことありましたっけ?顔と名前が一致する、唯一のオペラ歌手です。あと、パッと出るのは故岡村喬さんくらいです(『…お墓の前…』の方の名前が出ない、汗)錦織さん、クィーンナンバー、フレディナンバー好きですよね。首が太いのか顔が小さいのかわからないですが(多分両方)、首が太いというのは歌い手さんにとってすごく有利な気がします。上手が伝染して良かったですね。『骨董品屋さんの小僧さんの修業は、ただただいいものだけを見続けることだそうだ。』(宮脇檀『日曜日の住居学』)……「できない子に照準を合わせるゆとり教育」は何かの陰謀だったのかな?また、話がズレました。
>YOSHIEさん
“お墓の前”の人は、秋川雅史さんですね。ちなみに歌のタイトルは「千の風になって」です。あの頃は、誰も彼もがこの歌を歌ったものですね。私もレッスンでやりました(笑)。たぶん、今でも歌えます(大笑)。
錦織さんは首が太いですが(笑)、基本的にテノールの人は皆さん、首太いですよ。あの太い首の中身はほとんど筋肉なんだそうです。そういう意味では、他の声種の人も首は太めなんだそうですが、とりわけテノールでは首の太さが要求されるそうです…と、あっちの発声の参考書にそう書いてありました(笑)。なんででしょうね?
しかし、錦織さんはクイーンソング好きですよね。なので、実は「ウィー・アー・ザ・チャンピオン」はアンコールで歌ってくださったのですが、私は絶対にアンコールでクイーンを歌ってくれると信じていましたもの。もっとも、曲は「ボヘミアン・ラプソディー」じゃないかと、予想してましたが、そっちの予想は外れました。
ゆとり教育は、確実に日本という国の国力を削いだ、間違った施策だったと思います。軍備を否定されている現在、教育だけが、技術力だけが、日本の武器なのに、それさえ、もがれてしまっては、日本なんてただの“金持ちのボンボン”だよね。あっと言う間に、近所の悪ガキどもに、脅されて、タカラれて、盗まれて、殺されるだけなのに…。陰謀とまでは言わないけれど、行政に携わる人が、目先の事しか見えなかったんだろうなあと思います。
アイドル扱いされることが多いかもしれませんが錦織さんはうまいです。ほんとうにいいテノールです。
伊達に国立のトップクラスの成績もらったんじゃないなと毎回思うのです。
いい演奏の後は自分の声も伸びますから本当に声って不思議な楽器ですよね。
Queenのフレディーはオペラ歌手と同じ声量と技量があったといいます。
その人が歌った曲はオペラ歌手も歌いやすいんでしょうね。
素敵なコンサートだったようでなによりです。
>みるてさん
アイドル扱いをされる事が多いと言うよりも、完全にアイドルでした。ご本人はどう思ってらっしゃるかは知りませんが、いわゆる親衛隊の皆々様はご健在でした。まあ、韓流スターのファンの方々ほど、なりふり構わずって感じではなかったけれど、まあ、華やかでしたよ(笑)。
みるてさんのおっしゃるとおり、実に良いテノールですね。また、チャンスがあったら、ぜひ見に行きたいです。いい演奏は、とても良い勉強になりますしね。
上手は伝染するんですね~。
ピアノをやっていた時、先生ができるだけ演奏会などに行ってよい演奏に触れてくださいとおっしゃっていました。
もちろん家に帰っても同じように弾けるわけじゃないですけど、それでも感動でいっぱいだし、曲に対するイメージや雰囲気、演奏されてた方の身体の使い方、音色、色彩・・・素晴らしい演奏を聴くと得るものがたくさんありました。
フルートにしても自分がこんな音で吹きたいと思う音や演奏をいつも聴いていれば、だんだん自分の音が理想の音に近づいてくると聞いたことがあります。
そうなるといいな^^
>sakuraさん
どんな分野やどんな楽器であっても、上手は伝染しますよ~。もちろん、そのためには、ノンベンダラリと聞いていてはダメです。真剣に魂込めて聞かないとネ。真剣に聞いていると、演奏者の身体の使い方を、聞いているこっちが無意識にトレースするんですよ。それで、上手が伝染するのね。
だから、できるだけ、たくさん、いい演奏会に行くことは大切だし、録音であっても、浴びるほど良い演奏を聞くことが大切なんだと思う。
学ぶは「真似ぶ」からです。真似るためには、本家本元をじっくり知っていないとね(笑)。
手拍子の話は、なかなか面白いです。そう、日本人は裏打ちが苦手ですね。弱起の曲でも頭から手拍子を打ちそうになったり。
あと、3拍子系も苦手です。フォルクローレは6/8拍子が多いのですが、途中で手拍子がついてこられなくなってしまうことは、ままあります。もともと日本のリズムに3拍子系列はなかったみたいですからね。
>inti-solさん
そうそう、裏拍だけじゃなく、三拍子も確かに苦手ですね。それに、6/8も確かに苦手な人が多いかも。
本来、6/8って二拍子系なんだし、そう感じられると難しくないのだけれど、うっかり三拍子系に感じてしまうと、なかなかやっかいでしょうね。で、苦手に人に限って、たぶん、三拍子系に感じちゃうんだと思います。
人間って、苦手な方、苦手な方に、シフトしていっちゃう生き物だからね。
日本人って3拍子が苦手だよねって話は、どこから?確かに、「芸者ワルツ」で手拍子するのには、抵抗がありますけどね。
3拍子は、ヨーロッパの踊りのリズムですものね。
そう、日本は、手拍子の世界なんですね。
ああ、レ・フレールのコンサートでは、裏打ちが苦手なおばちゃん達も、裏打ちに吸収されていきます。
>chikoさん
三拍子って乗馬のリズムなんですよ。馬がギャロップをすると、三拍子になるんですね。で、そのリズムが舞踏に応用されて、音楽に拡張されて…という話らしいです。
対して、日本人は確かに手拍子の世界の住民かもしれない。あっちの人は、拍手をしても、手拍子ってしないみたいだし…。だいたい、三拍子って、手拍子できないし(笑)。
>ああ、レ・フレールのコンサートでは、裏打ちが苦手なおばちゃん達も、裏打ちに吸収されていきます。
それはすごい。ある意味、レ・フレールへの愛がさせるワザだね。