声楽三年生になりました。クラスも個人レッスンに移りました。その最初のレッスンです。
個人になって、さっそく先生から「これからは細かく見ていきます」と宣言。望む所です。
で、まずは癖を取る所から始めることにしました。グループでのレッスンでは、人数的な問題や時間的な配分から、どうしても生徒の一人ひとりの癖を徹底的に矯正して行くという細かい指導まではできませんので、今まで気になっていたものの、なかなか手がつけられずにいた、私の悪い癖を取る所から個人レッスンを始めることにしました。
で、その私の悪い癖は色々とありますし、それらは順番に時間をかけて、一つ一つ直してゆかなければいけないのですが、まずは「咽頭を広げ続けていく」ことから始めることにしました。そのためには「舌根を下げ、口蓋垂を上げ続ける」という、実に基礎的な事に集中してゆきましょうという指導方針が出ました。ポイントは「~続ける」という部分です。
そのためにまず言われたことは「原則的に自宅での練習は禁止」。その理由は、私はオタク(!)なので知識が有り過ぎて、その知識が私自身をがんじがらめに縛っていて、自由に歌うことができなくなっているので、一度すべてを捨てて馬鹿になって、ただ咽頭を広げることだけに集中していくといきましょうという指導方針となりました。
“とにかく咽頭を広げる。そのために一時的に声が出づらくなっても、歌がきちんと歌えなくなっても、今は良し。芸術的なことはひとまず抜きに考える”です。
とにかく、ひとまず練習を休み、体の感覚をリセットすることから始めます。
なので、当面、歌の練習は、レッスンの時に先生の前でやるだけにします。もっとも、当面と言っても、2~3週間程度でしょうとは先生の弁。しかし、3週間も歌わずにいられるだろうか、この私が…。そこが実に厳しい話ですね。
今回のレッスンの内容は、至って簡単でシンプルでした。咽頭を広げたまま、発声をするだけ。実にこれだけ。咽頭がきちんと広がっているかどうかは、鏡で口の中を目視しながらチェックです。その結果、自覚できた事は、中音域では容易に広げたままでいられる咽頭だけれど、音が高くなるにつれ、無自覚に狭くなっていました。狭くなって、最終的には潰れて閉じて、声が出なくなるわけだ。これが私が高音に制限がある理由の一つだったわけだね。だから、高音になっても咽頭が狭まらないように、いつも広げたままで、いられるように努力努力。
それは、最近、家で発声練習していて気になっていた事と奇妙に符合します。それはどんな事かと言うと「高い声を出そうとしても、G#くらいから、物理的な壁のようなものが声の前にたちふさがり、向こう側に行きたいのに行けない」と感じていたことです。ここで感じていた、壁のようなものの正体の一つが「高音になるにつれて狭くなり最後は閉じてしまう咽頭」という無自覚な癖のようです。
と言うわけで、この悪い癖を取り除くために、当面、声楽は全然頑張らないことにしました。歌の練習は先生のOKが出るまで、一切しない。どうしてもやりたくなったら、呼吸の練習をひたすら繰り返す(呼吸の練習はOKをもらってます)。間違った声の出し方を忘れるために、とにかく一人の時は歌声を出さない。これが今回のポイントだね。
では、今まで歌っていた時間は何をするかと言うと「研究してください」と言われました。研究……いやあ、オタク心を刺激するいい言葉だねえ…。自宅で声を出してはいけないけれど、譜読みをしたり、イタリア語の勉強はOKだし、YouTubeで古今の名歌手の歌唱を咽頭の広げ方のみに着目して観察するなどが薦められました…いやあ、やることはたくさんありますねえ。怠けている暇は全くありません。
さあ、頑張らないように頑張ろう。
コメント
声楽の先生もとてもユニークな方のようですね。
レッスンの楽しさが伝わってきます。
一日の中で真剣に取り組みさえすれば、どんなに忙しくても30分は音楽に時間を使えるはずなんです。
それが出来ない私は不真面目なんでしょうね。
単なるマニアですから(笑)
>橘さん
>単なるマニアですから(笑)
それを言い出したら、私だって『単なる趣味のオッチャンですから』ね。
声楽の場合は、フルートと違って色々と大変なんです。何が大変かと言うと、今まで自己流で散々歌っていたので、とにかく現在マイナスな場所にいるんですよ。まだスタート地点にたどり着いていないという状況。
とにかくキング先生に師事するまでは、若い時にほんの一年間だけメゾソプラノの先生に教えてもらっただけで、あとは合唱団のボイトレと自己流の練習だけですから、もう、悪い癖のオンパレード状態なんです。独学のツケが貯まっている状態で、そりゃあ大変なんです。
その点、フルートは本当に何も知らない真っ白な状態で先生についたので、余計な事を考えずに、素直にスタートから出発しています。そこが大きい差です。
そんなわけで、私が音楽の独学をあまり薦めないのは、そういう理由。結局、独学って、かなりうまくやらないと、進歩とか向上とか発展ではなく、後退に自己流に袋小路になって、とてもじゃないけれど、使えない状態になりがち(私がそう)だからです。
キング先生は、ユニークかもしれないけれど、とても教え上手な、良い声楽教師ですよ。
1年くらい前にラジオで誰だったか忘れましたがアメリカへ声楽の勉強に行かれた女性の話を聞きました。やっぱり最初の先生の言葉は「家で練習するな。」ということだったそうです。レッスンの時だけ発声したそうです。もちろんこの方も日本で声楽家?または歌手として活躍しておられたそうです。
ギターでもちょっと自己流で練習しておられたとか、または別の先生に習われたという人を教えるのは難しいですね。真っ白になって信用してくださらないと上達しませんから。
また昨年の声楽発表会で知り合った女性は合唱もしておられるとのことでしたが、合唱の先生と個人レッスンの先生とが言われることが違うのでどうしたらいいかわからないとおっしゃってました。私は言われる言葉が違っても目標は同じなはずって言いましたが、その方はどうもわからないようでした。
私は同時に二人の先生につくのはよくないという考えです。一つをかなり自分のものにしてから次のことに取りかかった時には真理は一つだと納得できやすいのですが、どちらも迷いつつやっていると混乱するだけだと思います。教える側にしても、「あちらの先生は…」などという言葉を聞くと、私のところへは来ないでって思いますね。やはり習い事は信じることに通じると思います。
先日仏門に入られた方のお話を聞いていましたが、教える・教わるということと全く同じでした。信じるというのは先生の言われることが理解できなくても、きっといい方向へ導いてくださるのだと信じてその通りにがんばるということです。
私の生徒のおじさんは最初ちょっと困難でしたが、1年経って、最近ずいぶん私の思う方向へ努力されるようになり、音がよくなってきました。説得に手こずりましたが、私のことを信用してくださったのかもしれません。
すとんさんも、(先生を信用して)「がんばらずにがんばる」と書いておられますので、きっとよい方向へ向かわれると思います。
>ticoさん
結局、師弟の関係あれ、先生生徒の関係であれ、結局は信頼関係が根底になければ成り立たないもので、そこには理屈を超えたものがあるのだと思います。それはもしかすると、家族関係や恋人の関係にも似たモノがあるのかもしれません。
つまりは、血縁や愛情とは違った、芸事でつながった人間関係なのだと思います。まあ、私のような趣味レベル人間は、その道のプロたちの師弟関係と比べるべくもない、薄い薄い関係でしょうが、例え薄くても、本質的な違いはないと思ってます。
例え薄かろうが濃かろうが、そういう人間関係を昔の人は“縁”と呼んだのだと思います。縁あって、師弟の関係になったのですが、全幅の信頼を置くべきだし、それが無理なら、そのような関係そのものをやめるしかないでしょうね。
自分の先生を信頼できない生徒は不幸だと思いますし、今の日本の教育がダメになったと言われて久しいのも、子どもたちが自分たちの先生を信頼しなくなった体と思います…って、横道に逸れすぎですね。