スポンサーリンク

GWに水戸に行ってきた その5 言葉が通じるって…安心できるね

 発表会等があって、長らく中断していましたゴールデンウィークの小旅行、水戸旅行の連載の続きを始めます。よろしくね。忘れちゃった方は、過去ログをご覧ください。
 さてさて、スーツケースをコインロッカーに入れる事ができて身軽になったので、水戸駅から弘道館に向かうことにしました。もちろん、徒歩です。
 まずは弘道館です。ここは幕末に作られた水戸の藩校で、水戸藩が教育に力を入れていたことがよく分かる場所です。その伝統が今も水戸に残るのでしょうか、水戸駅周辺の看板には、学習塾や専門学校の看板が目立つんだよなあ…。とにかく、弘道館で分かった事は、大河ドラマにもよく登場する、幕末期の水戸藩主、水戸斉昭がすごい人であったって事です。
 弘道館に限らず、水戸のあっちこっちの施設で“大日本史”の現物が展示されていました。これは水戸光圀が編集を命じ、まだ未完ながらも水戸斉昭の時代に印刷され、それが当時の多くの藩校で教科書として採用され、それで学んだ武士たちが、尊王攘夷の考えになっていったという、日本の国の歴史を、ある意味で動かした奇跡の書で、水戸の誇りなんでしょうね(ちなみに完成したのは、斉昭の子で慶喜の弟、昭武の時代でした。もう明治になってたんだよ)。
 弘道館の後は、お庭を拝見して、鹿島神社(鹿島神宮じゃないよ)をお参りして、近年再建された、大手門と二の丸角櫓を見学しました。往時の水戸城の大きさを感じました。いやあ、本当に水戸城って、立派だったんだろうなあ…。
 それから坂を下って、水戸東照宮にもお参りして、当時作られた戦車(なんと動力は牛!)も見ました。いやあ、実用性はともかく、水戸のお殿様の考え方は、先進的だったんだなあ。
 とにかく分かった事は、水戸では、水戸黄門こと水戸光圀と、幕末の藩主であった水戸斉昭が2大ヒーローだという事です。水戸黄門は義公、水戸斉昭は烈公と呼ばれていて、地元じゃヒーロー扱いです。で、2人のすぐ次くらいに徳川慶喜(15代将軍:水戸出身)が来て、この3人が水戸ではトリオで有名って事です。確かに、地元の有名人としては、大物すぎるくらい大物だよね、この3人は。
 東照宮の後は、駅前の郷土料理店で夕食を食べました。本当はメニューにあった“あんこうのフルコース”を食べてみたかったのだけれど、お値段があまりに立派すぎたので、納豆御膳とあんこうの唐揚げで我慢しました。納豆御膳は、普通に納豆を食べるだけでなく、納豆オムレツとか納豆の包み揚げとか、納豆尽くしの膳でした。味は…想像通り、普通に美味しかったです。あんこうの唐揚げは…普通に白身魚の唐揚げでした(ま、そりゃそうだよね)。
 この店はお酒も出る店で、たまたま私の隣の席の集団がめっちゃうるさくて…どうして人間って酒が入ると騒ぐんだろうねえ? うるさいのには閉口したけど、店の雰囲気を見れば、それもまた仕方ないかな?って思いました。静かな環境で食事をしたければ、もっと高価な店に行けばいいだけだからね。つまり、自業自得ってわけです。
 お料理は美味しかったけれど、満腹には程遠かったので、ホテルへの帰り道に駅ビルで牛おこわ弁当を買いました。後でホテルに戻って食べたけれど、静かに食べるっていいね。料理や調理人への感謝の心すら湧いてきます。感染対策で黙食なんて変なモンが流行っているけれど、でもでも黙食もいいかも…って思いました。心豊かになります。
 水戸にも外国人労働者ってたくさんいるんだね。別に彼らへの偏見の気持ちはないけれど、日本語が不自由だと接客業は厳しいよね。と言うのも、ホテルへの帰り道、何軒かのコンビニに立ち寄って買い物をしたのだけれど、ある店では、店員全員が外国人労働者で、ちょっとした事が通じなくて互いに困りました。私が知りたかったのは、その店での宅急便の取り扱いだったのだけれど、いやあ、困りました。外国人でもレジ打ちくらいはできるんだろうけれど、取り扱いサービスの説明とかは無理みたい。早々に会話を打ち切って別のコンビニで同じ事を尋ねたよ。そっちの店は、普通に日本人のオバサンとお姉さんがいて、実に丁寧に教えてもらいました。うむ、言葉が通じるって安心だね。
 で、疲れた足を引きずって、ホテルに戻って、その日はお終いです。ご苦労様でした。

↓拍手の代わりにクリックしていただけたら感謝です。

にほんブログ村 その他日記ブログ 身の回りのできごとへ

にほんブログ村

コメント

タイトルとURLをコピーしました