そう言えば、我々が泊まったホテルは、ゴールデンウィーク間際でも部屋が取れたくらいに不人気なホテルでした。でも、私的には大きな不満はありません。設備は古いけれど、泊まる人間も古いので問題無いし、サービスが少々行き届かずな部分はあっても、値段なりと思えば腹も立ちません。ただ一つだけ困ったのは、昔のホテルや旅館にありがちな、大浴場が時間制での入浴だった事かな? 古い施設だと、そもそも大浴場が一つしかなくて、男女で時間を分けて入るのが普通だけれど、今どきは大浴場が2つあるのが当たり前で、男女それぞれに大浴場があるってのが当たり前だから、入浴時間に制限があるのが懐かしくて、不便でした。やはり好きな時間に入浴できないのって、ちょっと腹立たしいです。あと、朝風呂にも入れないのも残念っちゃあ残念でした。
でも不満はそれくらいかな?
ホテルの部屋に入って、少しの間のんびりして、お風呂が解禁の時間になったら、すぐに入浴して、その後、夜食のおこわ食べて、10時には寝ました。
おやすみなさい。
で、翌日は7時起床です。うむ、睡眠時間はたっぷりだね。それくらい前日は疲れたって話です。
朝食はいわゆる“朝食バイキング”って奴でした。朝から満腹な私です。
2日目は、ホテルから千波湖畔を散策しながら偕楽園に向かいました。千波湖は小さめな湖(伝説ではダイダラボッチの足跡に水が溜まって出来たそうな)で、のどかな湖でした。野鳥たちもそこそこいていい感じでしたよ。
偕楽園に到着したら、常磐神社を経由して義烈館に行きました。ここは義公と烈公の博物館です。またもこの二人です(笑)。その後、偕楽園の広い園内をふらふらと散策して(お庭が見事なんだよ)好文亭に行きました。ここは以前にも来ていて、その時の印象が強烈で、とても懐かしい感じがしました。で、どんな印象が強烈だったのかと言うと…あれこれなんでもミニサイズなんです。日本家屋なんだけれど、部屋も廊下も階段も、当時の人のサイズで出来ているわけで、私のような巨漢な人には、本当に小さいんですよ。階段の上り下りなんて、命の危険を感じるほどに小さいのです。いやあ、懐かしい。
そこから吐玉泉という美しい人工の泉で一休みして、偕楽園を後にしました。偕楽園の半分ぐらいを占めている梅林はスルーです。だって季節じゃないんだもの。梅の季節に来たら見事だったんだろうなあ…。
偕楽園を抜けたあたりで雨がポツポツと降り始めてきました。なので、ちょっと急ぎ足で、次の目的地である、茨城県立歴史館に向いました。
歴史館の敷地には、昔の水海道小学校の校舎が移築されていました。ああ、懐かしい。ここまで立派ではなかったけれど、私の子ども時代に通った小学校も、校舎は木造で、机も椅子も何もかも、ほぼほぼ木造で、こんな感じだったんだよねえ…。ああ、懐かしい。先生のお手伝いで、鉄筆でガリを切ったのも思い出しました。オルガンだって足踏みだったし…。ああ、懐かしくて涙が出そう…。展示されていた給食のサンプル模型は…ああ、確かにこんなモン食べていたよ。先割れスプーン、懐かしい…。瓶牛乳は…重かったなあ。
水海道小学校を出る頃には、雨は本降りになっていたので、急いで本館に入りました。時間的にはちょうどお昼だったので、私は納得してなかったけれど、妻の強い希望で、歴史館の喫茶コーナーでお昼を食べました。出てきたメニューは、意識高い系のインテリ女子の好みそうなものばかりでした(偏見たっぷりでゴメン)。仕方なく、サンドイッチとロールケーキとサザコーヒーのセットを頼みました。
サザコーヒー。どうやら茨城の地元のコーヒーチェーンのようです。ある意味、茨木のご当地コーヒー? 普通に美味しいコーヒーでした。でも、噂に聞いたサザコーヒーを堪能できて、なんか心が満足してしまった私です。
歴史館の特別展は三昧塚古墳でした。私は三昧塚古墳には何の思い入れも無いのですが、展示説明がなかなかに親切で、ここの学芸員さんたちのサービス精神に関心しました。なんか親しみやすい説明なんだよね。
常設展は実に見応えがありました。茨城視点で歴史が整理されているのだけれど、古代からの郷土史がやがて日本全史へとつながっていくダイナミックさに新鮮味を感じました。ああ、こういう歴史の視点を与えられる茨城の子どもたちって、良い教育を受けているなあって思いました。なんか、羨ましいです。
で、最後は併設された一橋徳川記念室です。またも義公さんと烈公さんです。たっぷり歴史を学びました。義公さんと烈公さんに関しては、もうお腹いっぱいになりました。
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