「Nel cor piu non mi sento(うつろの心)」を終了するにあたり、例によって、お教室の前に出て、みなさんの前でミニ発表会をしました。
もう、私もキング先生に師事して1年と半年。色々と学びました。教わったことを色々と気をつけながら歌ってみました。例えば「声はムリムリに張り上げない」とか「うなじを伸ばして楽に歌う」とか「口は縦に開く」とか「母音はノドの奥で発声する」とか…。
歌い終えて、先生も「発声は細かいところに気をつけられるようになりましたね」と誉めていただきました。感謝。しかし、その後に続いた言葉は、今後の課題だね。というのも「発声が細かいところに気をつけられるようになったんだから、今度は楽譜の細かいところにも気をつけられるようにしましょう。特に、音程。全体的に甘いし、一カ所間違っていた」
ひゃー。
私の歌を聞いていたお姉様方も「音程、甘いです」って言ってくれました(汗)。
実は私、自分で気づいてました。音がぶら下がっていたこと。歌いだして『アレ? 低いよ。マズイよ。…』とパニクっちゃいました。また、やっちゃったな。音程が甘いというか、ぶら下がるのは、私の悪い癖です。ほんと、どーにかしないとねえ…。一緒に勉強しているお姉様方は、みな一様に音程がいいから、一人で目立ってしまうのよ。
それこそ音程は、歌い出してからだと、どーにもならない。歌いだす前に「よしっ! 音程に注意だ!」と気合を入れていかないとダメみたいです。何となく歌いだしてしまうと、たいてい音がぶら下がってます。で、最初の音がぶら下がっていると、残り全部ぶら下がってしまうのよ。いかんのよ、それじゃあ。
ちなみに間違っていた音は、最後の最後の装飾音符の中の音ですね。これも自覚あります。って言うか、どうしても取れない音だったんです(涙)。ダメじゃん。
一応、私の名誉のために書いておくと、音程が甘いと言っても、チューニングメーターで測れば、グリーンランプの範囲内で収まるかな?程度の甘さだからね。音痴とは違うんだよ…、念のため。
まあ、ともかく。ウチに帰って、妻にこのことを話したら「よかったじゃない。進歩したってことね。以前は“音程は気にしないでいいから、声に集中して”って言われていたのが、“音程に気をつけて”と言われるまでになったのだから、立派なものよ」ときたもんだ。そういう風に前向きに物事を捉えていけばいいのだな。
レッツ、ポジティヴ・シンキング!
蛇足。音程は記憶力だと言います。だとすると、いつまでたっても音程の甘い私は、記憶力が甘い人、つまり「おバカちゃん」ってこと? 「バカは死んでも治らない」という言葉もありますが、つまり私の音程の甘さという癖は、不治の病というわけかな? 一生音程の甘いまま? 歌なんか歌っちゃいかん人なのかな…、ダメダメダ~メ、前向きに頑張ろう!
コメント
リンクしていただき、ありがとうございました。
今度とも勉強させてください。どうぞよろしくお願いします。
ミニ発表会は無伴奏なんですよね?
ひと前でひとりでアカペラ・・
それだけですごいと思います。
ポジティブな奥様のひと言は元気の源ですね!
うちは夫に話してものれんに腕押しです(^^;)
でも言わないよりはましかな~。
>smilekumiさん
いえいえ、ミニ発表会は先生がピアノ伴奏をしてくださいます。ミニ発表会に限らず、普段の練習でも、先生のピアノ伴奏でレッスンなんですよ。“アカペラ”という指定がない限り、たいていピアノが付きます。アカペラでも練習中はピアノが付きます。声楽の場合“ピアノ無し”というのは、基本的にありえない話です。自宅練習、それも単なる発声練習ですら、ピアノ無しでは行ないません、声楽って、そんな感じなんですよ。
楽器だと、無伴奏曲もいっぱいあるし、自宅練習でも伴奏無しがデフォルトでしょう。あってもメトロノームやチューナーくらいですし(両方とも声楽ではあまりお目にかかりません)、レッスンでも先生がピアノを弾いて下さるとは限らないのですよね。そういう意味では、声楽と器楽は、同じ音楽と言っても、だいぶ世界が違うのだと思います。
私の妻は“歌う人”なんですよ。学生の頃から合唱をやっていた人なので、時折“上から目線”でアドヴァイスが来ます(笑)。でも「音楽の練習を聞いて、気がついたことがあったら、何でも言ってくれ」と日頃から言っているので“上から目線”のアドヴァイスは歓迎なのです。
音楽、とりわけ声楽は、自分で自分の状態を把握できないものなので、現状を客観的に見て把握できる人がそばにいるというのは、とてもありがたいことだと思ってます。