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クラオタとは、カップ麺好きのようなもの?

 昔、レコードの事を「音楽の缶詰」と呼んだ方(って、確か、フルトヴェングラーじゃなかったかな?)がいらっしゃいます。もちろん、これは録音された音楽に対する蔑視が含まれた表現なのですが、差別感情は抜きにして、録音された音楽を缶詰と表現する事に、私は感服しております。
 まあ、あの時代の缶詰ってのは、いわゆる保存食の事を指しますから、今風に言うなら、「録音された音楽なんて、音楽のカップ麺のようなものだ」と言いかえると、そのニュアンスがよく伝わります。カップ麺に罪はないけれど「カップ麺のようなものだ」と言われると、なんか安物扱いされたような気がして、愉快な気分ではいられなくなります。
 でも、カップ麺は持ち運びが楽だし、お湯さえ掛ければ、いつでもどこでも食べられると、本物のラーメンとは、やっぱり違うけれど、美味しい事には間違いないです。なんと言っても、リアルなお店までラーメンを食べに行く手間暇を考えれば、カップ麺は本当にありがたい存在です。
 そう考えると、録音された音楽が“カップ麺のようなもの”と言われても「まあ、そうかもね」と同意する人がいても不思議じゃないでしょ?
 でね、日本にはクラオタと言われる人たちがいて、この人たちの主食が録音された音楽なわけです。と言うのも、本場の演奏者たちは、たいてい白人だから、日本にはめったにやってこないので、彼らの演奏を満喫しようとしたら、どうしても録音に頼らざるを得ないわけです。これって、近所に美味しいラーメン屋がないので、カップ麺を食べちゃう人と、関係性においては同じでしょ?
 本当は、お店にまで行って食べたいけれど、お店に行くのが大変だから、お店の味を再現したと言われるカップ麺を食べて楽しんでいるわけです。そう考えると、クラオタとは、カップ麺好きのようなもの?と言えるわけです。
 そういう意味では、私はカップ麺大好きクラオタなんでしょうね。自室には数え切れないほどのクラシックのCDが陳列しちゃっているものね。ああ、こんなにカップ麺を並べているなんて、なんと壮観なのかしら!

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