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自分は自分、他人は他人

 私の永遠のアイドルは「黄金のトランペット」こと「マリオ・デル・モナコ(Mario Del Monaco)」という1960年代を中心に活躍したイタリアのテノール歌手です。ちょっと古い人ですが、その容姿はもちろん、その声の素晴らしさはなんとも形容できないほどです。CDを購入していただくか、iTune Storeで"Mario Del Monaco"で検索してもらって試聴してもらうと分かりますが、本当にホントにかっこいいんですってば。

 モナコはテノール歌手です。幸いなことに私も以前はテノール(この話はいずれ)でした。当然、歌う時に意識しないかといえば嘘になります。と言うか、彼のように歌いたいと思ってました。彼の歌声が私の理想ですらありました。時折、モナコになりきって歌っていたようないなかったような…てへてへ。迷惑だったろうなあ(謝)。

 で、きちんとモナコの歌マネができたら、それはそれで良かったのだろうけれど、モナコの真似なんて素人にはムリ。って言うか、プロの声楽家でもやれる人って限られると思うよ。それくらいモナコの歌は半端無くすごい。その無理を承知で、割と最近までやっていたんだから、そりゃ結果は筆舌に尽くせぬほど酷いもんだ。

 ああ、恥ずかしい。

 確かにモナコは「テノール」、私も「テノール」。言葉は同じでもその内容は全く違う。なぜなら、演奏技術の違いはもちろんだが、モナコと私は持っている楽器(つまり肉体)が違うのだから、出てくる音は全く違う。ヴァイオリンに例えて言えば、名人によって引き込まれたストラディヴァリウスと、キズだらけで穴も開いている誰も弾かない埃だらけの安物との違いというと、自虐的すぎるだろうか?

 ま、所詮、モナコはモナコ、私は私。それは自明の理。でもでも、理屈じゃ分かっていても、何となく気持ちの上では割り切れていなかったのです、声楽を始めるまでは。

 でも今じゃはっきりと分かりました。私はモナコじゃない。モナコは好きだけれど、モナコになれない。なれないどころか、比較対象にすらならない。やっとここまできました。

 だから、今でもモナコに憧れる気持ちはありますが、歌うときは別。今の私は「自分らしく歌えたらいい」と言うとキレイゴトに聞こえますが、自分の出せる範囲の歌声で無理なく歌えたらいいなあと思ってます。

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