先日『アマチュアなんだから、何を歌っても良いじゃん!』という記事を書き“たとえ歌曲と言えども、歌う歌手を想定されている曲に関しては、想定外の声種の歌手は本来歌うべきでは無いし、私自身もそうであるべきと思っているけれど、アマチュア歌手はそんな決まりごとなど気にせずに歌いたい歌を歌えばいいじゃん”という、まさにダブルスタンダードな結論を導き出した私です。
つまり、他人は何を歌おうと自由だし、それを貫くべきだけれど、私自身は、本来あるべき姿とか理想的な歌唱ってヤツを結構気にしているんだよって話なのです。
で、そんな私が最近気になっているのが、ヘンデルのアリアです。
ヘンデルってのは、バロック時代の大作曲家でたくさんの名曲を書いているのですが、何しろバロック(つまり古楽)ですから、一般的にはあまり有名ではありません。
まあ、ヘンデルって言うと『メサイア』(←特にその中で歌われる『ハレルヤ』は有名)とか『水上の音楽』とか『王宮の花火の音楽』とかが有名です。声楽に限って言えば『オンブラ・マイ・フ』とか『私を泣かせてください』なんかはCMでも使われるから耳慣れているかもしれませんね。
まあ、有名曲が無いわけではないし、たとえ無名であっても素晴らしいメロディーの曲を山のように書いている作曲家であって、まだまだ発掘途中な昔の作曲家なわけです。
そんなヘンデルの声楽系の曲に、最近はまっている私です。ヘンデルの歌って、実に良いんですよ。
良いなあ…と思えば、歌いたくなるのが情ってヤツですが、では何を歌うべきか…と言うと、すごく悩んじゃうんですよ。
と言うのも、ヘンデルってバロックの作曲家なんです。だから声楽系の曲は、オペラかオラトリオになってしまいます。芸術歌曲はほとんど書いてません。何しろ音楽が単純なエンタメだった時代の作曲家ですからね。
で、そのオペラは…バロックオペラなので、男性向けの名曲はカストラートに集中しています。テノールなんて、ほんの脇役で、あまりいい感じの曲があてがわれていません。残念です。オラトリオは…そもそも合唱がメインの音楽なので、アリアの数はグッと減ります。そんなわけで、テノールが歌うべきめぼしい曲って、かなり深堀りしていかないと見つからないんですね(しくしく)。
かっこいい男性向けの曲はたくさんあるのですが、そのほとんどがカストラートに向けて書かれているのです。カストラートってのは、去勢歌手なんですね。20世紀初頭に絶滅しています。そりゃあ、声が美しいってだけの理由で、教会あたりのエライさんが、少年のキ○タマを引っこ抜いて、声変わりをさせないようにしちゃうなんて、今の人権思想から考えれば「ダメ!絶対!」っすよね。そりゃあ絶滅しちゃうよ。
じゃあ、絶滅したカストラート向けの数多くの名曲を誰が歌い継いでいくべきか…ってのが、現在のヘンデル業界(ってあるのかな?)における大問題なわけです。
カストラートってのは、生殖能力が無いとは言え、見かけは立派な男性です。ただ、声変わりをしていないので、声は“力強いボーイソプラノ”という、今じゃありえない声なんですよ。
音域だけを考えると、アルトやメゾソプラノ、曲によればソプラノという、女性歌手が歌うべき音域の曲なので、そういう意味では女性歌手が歌うべきかもしれないと思われます。実際、一昔前まではヘンデルのカストラート役はだいたいメソソプラノ歌手たちが歌っていました。ただ、音域的には良くても、彼女らの声の音色は明らかに男声とは違うわけだし、それより何より、マッチョな男性役(だいたいヒーロー役です)の歌を女性歌手が歌うという違和感はどうしても残ります(し、私はちょっとパスなんです)。
ヘンデルのアリアを歌曲として考えれば、女性歌手が歌っても良いとは思いますが、それがオペラの中で歌われるのは、どうも違和感バリバリだし、それに歌曲として考えるなら、1オクターブ下げて男性歌手が歌っても問題無いはずです。でしょ?
じゃあどうする?
と言うわけで、最近はヘンデルのカストラートの歌は、カウンターテナーが歌うケースが増えています。オペラ等では、このやり方が現状最善のやり方だろうと思うし、私もこれなら違和感少なめで見る事ができます。ただ、あくまでも“現状最善”なんですよね。と言うのも、カウンターテナーって裏声歌手じゃないですか? カストラートの声って、去勢された男性の声であって、決して裏声ではないのです。そういう意味ではカストラートって、音域が1オクターブ高いだけのテノール歌手って考えるべきだろうと思われるんですよ。じゃなきゃ、ヒーロー役なんて歌っても説得力ないでしょ? そう考えると、裏声で歌うカウンターテナーも、実はちょっと違うんじゃないの?って思うわけです。
とは言え、カウンターテナーによる歌唱は、カストラートが絶滅してしまった以上、取りうる最善の方法なんだろうと思います。
じゃあ、カウンターテナーがカストラートのレパートリーを歌うで良しとしましょう。
しかし、そもそもカウンターテナーなんて声種の歌手は、超希少種な歌手であって、めったにいません。ほぼほぼ珍獣レベルの歌手であり、彼らにヘンデルを独占させていたら、いつまでたってもヘンデルの音楽は普及せず“幻の大作曲家”から一歩も出ません。そこが大問題です。
例えば、ヘンデルの有名な「オンブラ・マイ・フ」は、イタリア古典歌曲集に入っているので、声楽を学ぶ人なら誰もが歌った事があるだろうと思われるほどの名曲なのですが、この曲も実はカストラートの曲なのです。この曲は、カストラートの曲だからと言って、カウンターテナーの独占曲扱いにしてしまうのは…勿体ないでしょ? このレベルの名曲になれば、みんな歌いたいじゃない? と、言うわけで参考音源です。カウンターテナーのフィリップ・ジャルスキーが歌っています。
まあ、こんな感じになります。こんな名曲をカウンターテナーという超希少種な歌手たちに独占させて良いのかって話です。ダメでしょ? 勿体ないでしょ?
じゃあ歌曲として、女性歌手は音色が違うけれど、そこは無視して歌い、男性歌手は1オクターブ音程を下げて歌う?
21世紀に生きる我々(少なくとも私)の感覚では「それでいいじゃん」と思うのですが、でもこれでは、この曲の歌唱としては、作曲家のヘンデルの意図とは明らかに違うわけです。
たとえ歌曲として取り扱うとしても、作曲家の作曲意図は尊重したい私なのです。
ああ…そうなるとやっぱり「ヘンデルのアリアは、カストラート歌手に歌わせるべきであって、それ以外の歌手は歌うべきではない」ってなってしまいますが、それは勿体無い話だし、無い物ねだりになるでしょ?
ほんと、どうしたら良いのでしょうね。
プロの方々がどうすべきかは、プロの方々で考えてもらえば良いとして、我々アマチュア歌手は、先の記事同様に、カストラートの曲であっても、歌いたい人が歌えばいいじゃないって思ってます。その人が男性であっても女性であっても…です。カストラートの曲って、男性でも女性でも歌えるわけですから、そういう意味では、ヘンデルの名曲は男女兼用の歌と考えるべきかもしれません。
で、私自身は、カストラート向けの歌を歌うべきかは…まだ結論が出ません。ううむ、悩む悩む。
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