かつての私は、力の限りの声で熱心に歌っていました。それが正しい事であり、自分の熱意を表現する方法であるし、歌なんて満身の力で歌うべきだろうという思い込みもあったわけで、ほんと力の限りで歌っていました。ですから、1時間も歌えば、声が枯れ、ノドがガラガラになりました…ってか、1時間ぐらい歌わないと、声に支障が出なかったわけだから、ほんと、ノドが強いんだなあとも思います。
そんな感じで力の限りの声で歌う…ほぼ絶叫スタイルだし、実際、あっちこっちで叫んでいたと思います。そんな声の人が、合唱はもちろん、斉唱であっても、そういう集団の中で歌えば、悪目立ちをするわけで、ある意味、迷惑千万でしかないわけです。
でも、それは昔の話。今の私はパラダイムシフトを経て、決して力の限りに歌うことはしません。いやむしろ、省エネを常に心がけて歌っているわけです。ま、これは今のY先生の教えでもあるわけですが、それがようやく身につき始めたところとも言えます。
それでも声は大きいと言われます。
以前の私は、力の限りに歌っていたわけですから、いわゆる“大きな声”で歌っていたのですから「声が大きい」のは当たり前です。今の私は、省エネで歌いますので、自分的にはそんなに大きな声で歌っているつもりはありません。それでも「声が大きい」と相変わらず言われます。困っています。
まあ、物理的に…と申しましょうか、私の声は音波のエネルギーとしては、やはり普通の人たちよりも、大きめなんだろうと思います。いわゆる、地声がデカイってパターンなのかもしれません。しゃべる職業ですから、声は日常生活で鍛えられているのです。でも、それだけで「声が大きい」と言われるわけではないのだろうと思います。
今は(当たり前ですが)声が響くように歌っています。これって声楽の基本でしょ? で、響く声で歌えば(当然)声は響きます。声は響くと、よく聞こえます。このよく聞こえる事が「声が大きい」と誤解されるようです。
それに周囲がアマチュア以前の素人さんたち(って表現で分かるかな?)の場合、どうしても歌声は平たくなりがちです。彼らの平たい声と、私の響く声は、明らかに異質なわけで、異質なモノって目立つんだよね。で、目立つと声の大小に関わらず“うるさい”って思われるわけです。
全力込めて歌っていた時に「うるさい!」と言われるのは、ある意味当然なので「すみません…」という気持ちになっていましたが、今のように、割と軽めにセーブしながら歌っているにも関わらず「うるさい!」と言われちゃうと、どうにも腑に落ちません。一体、どうしたら良いのでしょうか?
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