さて、声楽のレッスンの続きです。実は今回から発表会が終わるまでの間のレッスンには、本番ピアニストさんをお呼びして、毎回ピアニストさんと一緒にY先生のレッスンを受ける事にしました。
ここで言う“本番ピアニストさん”とは、門下の発表会等で伴奏してくださるプロの先生ではなく、ここのところ毎年、クラシックコンサートで私達夫婦と共演してくださるピアニストさんの事です。実は今回、クラシックコンサートと門下の発表会の日程が近いため、両方とも同じセットリストで歌いますし、ならば両方とも同じピアニストさん(クラシックコンサートで伴奏してくださるピアニストさん)にお願いしちゃえって事になったわけです。
で、ピアニストさんと相談した結果、ならば、割と早い段階からレッスンにも同行して、歌とピアノを合わせましょうって事になり、今回のレッスンからピアニストさん帯同レッスンとなったわけです。
まずはレスピーギ作曲「Invito alla danza/舞踏への誘い」からです。ひとまず通して歌ってみました。
で…合いません(涙)。とにかく歌とピアノが合わない(涙)。私はテンポよく歌いたいのに、ピアノはゆったりとメロディアスに弾きたい…という、性格の不一致(笑)。で合わないわけだから、どちらともなくテンポを合わせに行くと…音楽がつまらなくなるわけです。そりゃあね、歌とピアノのテンポが合っているだけの音楽なんて、確かにつまらないよね。
こういう時は、どちらかが音楽をリードするべきであり、歌とピアノなら、当然、歌がリードしなきゃいけないのです。例えピアノとテンポが違っていても、歌手は頑固に自分のテンボで歌い続けて、その演奏での“あるべき音楽の姿”を提示し、それにピアノを合わせてもらうというのが、本来のやり方なんだそうです。要は、指揮者の役割も歌手がしましょうって話なのです。
しかし、合わないピアノに抗いながら、歌っていくのって、エネルギーいるんだよね…。
さて、ピアノと合わないのは合わせるものとして、歌としては、ただ歌うのではなく、色気を出しながら歌っていかないといけません。で、歌手が色気を出したならば、ピアノはその色気に合わせて情熱的に歌い、歌は情熱的なピアノに合わせて、さらに熱情的に歌うのです。そうやって、音楽を作っていきます。
で、なんとかテンポを合わせて行っても、今度はリズムがうまく合いません。ワルツのリズムって単純な三拍子じゃないからね。
強拍は一拍目だけれど、ダンサーは二拍目でカラダを伸ばすので、ちょっとリズムを溜めるんですが、その溜め方を合わせるのが難しいのです。
私は、ワルツはワルツでも、社交ダンス等でよく踊られるブリティッシュなワルツは踊れるけれど、ウィーンなワルツは難しくて踊れません。同じワルツでも、ブリテッシュなワルツとウィーンなワルツはダンスそのものが違うんですね。先生からは、この曲のワルツはウィーンのワルツではない…と言われているので、安心してブリティッシュなワルツの溜めで歌っているわけだけれど、ピアニストさんは踊らない人だから、そこのところで今ひとつ私とは合わないわけです。
舞曲って、結局、演奏者が踊れないとリズムが分からないんだよね。楽譜通りに弾いても、舞曲って成立しないんだよなあ…。だから、踊れないダンスの舞曲を演奏するなら、きちんとそのダンスのリズムをカラダに入れておかないとダメだし、パートナー(この場合は歌手とピアニスト)とのリズム感のすり合わせって奴も、ダンス同様に必要なんだと思います。
もっとも、この曲のワルツは、ブリティッシュではなく、イタリア~ンなんだけれどね(笑)。
次は、ヴェルディ作曲「椿姫」のテノールアリア「De’miei Bollenti spiriti/燃える心を」です。
今回は指揮者無しで歌う(当然)なので、歌手が指揮者の役割を果たしながら歌わないといけません。そこはレスピーギと同じなのだけれど、こちらは指揮者がいるという前提で曲が書かれているので、それを指揮者無しで演奏するのは、歌曲であるレスピーギ以上に困難さが伴います。
具体的に言えば、歌いながら、各種のきっかけ(あっちこっちにたくさんあります)をピアノに教えていかないといけません。それは、ブレスで教えたり、身振りで教えたり、ある部分のフレーズをカチっと歌う事で教えたりと…常に歌に迷いなく、場をリードしながら歌わないといけません。
…しかし、この曲は歌うこと自体が難しいのよ。で、あっちこっちでミスったりするんだけれど、そのたびに動揺しちゃいます。でもそんな事ばかりして、ピアノにきっかけを送りそこなって、ピアノも迷って、二人でドボンって感じになってしまいます。
それにしても、難しい…。譜面上はインテンポで書かれていても、実際は全然インテンポじゃないわけで、あっちで緩んで、こっちで溜めて、向こうでは煽りながら歌い、テッペンでは時間すら止めて歌う(オペラアリアだもの、そりゃそうだよね)のだけれど、それを上手にこなしてこその音楽なわけです。そういう意味では、歌手は自由気ままに歌って音楽を作っていくのだけれど、こう見えて控えめな性格の私には、それが案外難しいのです。で、私が控えめだと、ピアノも控えめになってしまうわけで、控えめな歌に控えめなピアノを載せても、そりゃあつまらないわな。
あと、私の歌は、少し前のめり過ぎ…だそうです。もっと、あっちこっちで休みながら歌わないと疲れちゃうよって話です。で、歌が休み休み歌っていくのは当然として、ピアノもあまり前のめりに弾かずに、あっちで歌を休ませて、こっちで歌に一息入れさせて…と工夫しながら伴奏していくわけです。なにしろ、歌はピアノほどタフじゃないからね。
あと、このアリア、全体的には歌えているし、曲の暗譜もほぼほぼ出来ているので、後は上手く歌えない数箇所を重点的に練習する必要があります。とにかく、本番に向けて、帳尻を合わせていかないといけないのです。でも、それが一番の難問だったりします(汗)。
最後はドナウディ作曲の二重唱「Amor s’apprende/ 愛は取り付いてしまう」です。
まあ良し…だそうです。ひとまずカタチになっているようです。もちろん、細かいところはまだまだだけれど、歌のカタチになっているのですよ。先生からは「いっぱい練習したでしょ?」と尋ねられましたが、そりゃあもちろんですって。
私の歌の、フレーズの末尾の声の処理が残念なんだそうです。フレーズの最後の音程が必ず下がってしまうのだそうです。フレーズの最後で息の支えがなくなってしまうとか、フレーズの最後でクチを閉じてしまうとか、まあそんな事のようです。一人で歌っているならば、それもまあ個性の一つというか、許容範囲のうちとして勘弁してもらえますが、二重唱…それも全編ハモリまくっているわけで、そういう曲で片方が音程がぶら下がっちゃあ…指導者としては許せないのだそうです(そりゃそうだよね)。
とにかく、フレーズの最後までクチを開いたままで歌うように調整してきます。支えは…頑張ります。
この曲に関しての私の発声は良いのだそうです。それどころか「どうして、他の曲でもこの声で歌えないんですか!」と叱られてしまいました。いやあ、一人きりで歌う時の声と、妻と合わせて歌う時の声だと、そりゃあ無意識にあれこれ調整して、別モノになってしまうのは仕方ないじゃないですか? でしょ?
明日はフルート合宿の記事に戻ります。
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