前回、同じタイトルの記事をアップしてから、数日後、妻と一緒に、笛先生のコンサートにちょっとだけ顔を出した時の帰り道。[例によって頭を真っ白にしながら]会話をしていたわけなんですが、そこで妻が思い出して「無料体験レッスンの先生と笛先生以外にも、生のフルート聞いたじゃん」と言いました。
?と思ったのですが、そうそう、去年(2007年)のラ・フォル・ジュルネで工藤重典氏のフルートを、それこそ3メートルくらいの距離で、たっぷり1時間、聴いたんだっけ。思い出した。
それは、何気に傍聴した、フルートのマスタークラスでした。工藤氏が先生、芸大大学院のお嬢さんが生徒で、たしか曲目はドビュッシーの「ビリティスの詩」と時間が余ったからと言って、バッハのフルート・ソナタから一曲やってくれた事を、うっすらと思い出しました。
なにしろ当時は今ほどフルートに対する真剣味がなかったので、今から思い出そうとしても、ところどころ、記憶が曖昧な部分が…。
でも、今でも覚えていることもいくつかあります。
まず生徒さんのフルートの音が、とんでもなく美しかったこと。芸大の学生さんって、こんなキレイな音を出すんだと関心したこと。
その後に聴いた工藤氏のフルートの音は、それとは比較にならないほど、もっともっと美しかったこと。上には上がいるもんだ、と思いました。
もっとも、その時に「ずるいなあ…」と思った事も覚えてます。たしかに生徒さんよりも先生の方が比較にならないくらいキレイな音を奏でていましたが、楽器が違うんだもん。先生も生徒さんもそれぞれ自分の楽器を吹いていたわけで、腕も違うだろうが、楽器が違うんだから、音が違って当然だろって思いました。
今思うと、工藤氏以外のマスタークラスの先生方は、自分の楽器を使わず、模範演奏だって、生徒さんの楽器を使って、生徒さんとは比較にならないくらい上手に演奏されていた。だから、それが本来のマスタークラスの姿じゃないかなと思う。
もっとも、フルートは管楽器。直接楽器に口をつけるわけだ。ましてやマウスピースすらないフルートだもん。楽器の共有は、つまり間接キッスになるわけで、中年のオッサン的にはどってことないだろうけれど、20代の女の子にとって、死活問題だろうなあ…。だから先生である工藤氏は、生徒さんの楽器に触らなかったんだろうと思うけどネ。
工藤氏の演奏は、その後CDでいくらでも聴きましたか、言っちゃあなんだが、あの時の音ほど美しくない。もっとも普段の私は、CDをiPODのヘッドフォンとか、iTUNEでパソコンのシステムなどの、あまり誉められない機器で聴いてますが、その機器による劣化を考慮しても、やっぱりCDの音は美しくない。というよりも、フルートの音の美しい部分がCDには収録されていないような気がする。ま、そこらへんが録音の限界だと思うけれど。
ああ、それにしても工藤氏のフルートは、言葉でうまく表現できないほど、美しかったなあ…。フルートって、すごい思った。そして、そんな感動的な体験を、すぐに忘れてしまう私のボケ具合に乾杯だな。もう、年を取ると、色々と衰えてしまうのが悲しいなあ…。
そして、今思うにやはり、たしかに腕の差もあるだろうけれど、やはり楽器の差は少なからず音に影響しているなあ…と思う。特に、工藤氏ほどの大物プレイヤーになると、楽器メーカーだって、彼にあわせてチューニングした、最高級の楽器を提供するだろうから、ある意味、氏は最高の楽器を手にして演奏しているわけだし…。そういう意味では、あそこで聴いた工藤氏のフルートは、最高のフルート演奏の一つだったわけで…。無自覚な時に、そんな素晴らしいモノを聴いていたわけだ、私は。できれば、今、また、もう一度、聴きたいなあ…、ううむ、残念。
やっぱり、フルートを購入する時は、少し楽器やその素材にこだわって購入しないと、せっかくのお金が無駄になってしまうなあ…と強く思いました。
コメント