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ヨーロッパ人っぽく歌いましょう

 さて、声楽のレッスンの続きです。ティリンデッリ作曲の「O Primavera!…/春よ」です。この曲は(前回も書きましたが)ほぼほぼ歌えているわけですが、それは単に歌えているだけで、テクニカルに歌えているわけではないので、きちんきちんとテクニックが見えるように歌う練習をしたわけです。

 今回は私の歌い方、とりわけ高音発声のやり方が、日本国内だけで学んで活躍している日本人歌手のようだという指摘がありました。つまり“一昔前の日本人歌手っぽい歌い方”って奴になっているという指摘なわけです。

 今の若い歌手たちは、日本人であっても、日本国内だけで学びを終えず、大抵はヨーロッパに留学して、本場の(いわゆる)ベルカント(唱法)を学んでくるわけで、今や日本人歌手であって、発声そのものは外国人歌手たちと遜色ないレベルになっているわけです。

 でも、一昔前の日本人歌手までは、留学する人も少なく、外国から入ってくる書籍などの情報を元に研究を重ね、たまに来日する外国人歌手たちのコンサートで刺激を受けて切磋琢磨し、理想の発声方法を求めて、自分たち流にあれこれ創意工夫をしながら、ベストな発声を模索していたわけで、当然、本場のものとは、ちょっと違う、適度にローカライズされた発声で歌っていたりするわけです。

 で、私の発声が、そういう日本人っぽい発声をしているって言うわけです。

 で、それはある意味、当然の話なんだよ。だって私、世代的には“一昔前の日本人”だし、若い時から聞いてきた日本人歌手の皆さんは、当然、日本人っぽい発声をしていたわけで、そういう発声が骨身に沁みているわけです。なにしろ私、昭和のオヤジですから(笑)。

 でももう今は、例え日本人であっても、本場流の発声が当たり前になりつつあるわけだから、そういう昭和まるだしの日本人っぽい歌い方は止めましょうって事なのです。

 日本人っぽい発声と、そうでないヨーロッパっぽい発声が、具体的に大きく違う点は、二つあります。一つは声の深さであり、もう1つは声の方向です。

 声の深さは…よく「日本語を話していると、声の響きが浅くなる」と言われますが、その話です。確かに日本語は、ヨーロッパの諸言語と較べると、声の響きが浅いです。面白い事に、来日していたり在日していたりする、日本語ペラペラのヨーロッパ系の人たちと話していると、彼らの日本語も結構響きが浅いんですよね。でも、その彼らが一転して英語などのヨーロッパ語で会話を始めると、途端に声のトーンが変わって、声の響きがいきなり深くなるんです。不思議ですね。同一人物なのに、使用言語で言葉の響きが変わるんです。

 いかに日本語が、声を浅くしてしゃべる言語なのかが如実に分かるとともに、日常生活で日本語ばかりを使う日本人のデフォルトの発声では、声の響きが浅くなってしまうのも容易に想像できます。

 で、Y先生がおっしゃるには、私の声が一番美しく聞こえる深さは、私が日常的に話している響きよりも、だいぶ深いんだそうです。だから、声の響きをもう少し深めにし、もう少し太めの声で歌えるのが良いわけです。

 先生がおっしゃるに、私の声はまだ完成されていなくて、テノールである事は確定だけれど、まだレッジェーロになる声なのか、リリコになる声なのは分からないのだけれど、どちらであっても、今使っている声の響きでは浅すぎてダメで、もっと深めの太い声で歌えるようにしなさいって話なのです。

 次に声の方向だけれど、日本人はクチから声を直接前にスパーンと出す発声をしがちですが、ヨーロッパの人って、そういう発声をしないんだそうです。確かに、来日&在日ヨーロッパ人たちの発声って、我々日本人とは、ちょっと違ってますよね。一度口腔内で声を響かせてから、クチから出ていく感じです。音と光の違いもあるし、その方向性は真逆だけれど、レンズ式の望遠鏡と、反射式の望遠鏡のような違いが、日本人の発声と、ヨーロッパ人の発声の違いにあるのかなって思いました。

 いずれも先生が、日本人っぽい発声とベルカントの発声とを、目の前で実演してくれたので、どう違うのかはよく分かりました…ってか、だいぶ違いますね。まあ、違いが分かったからと言って、即座に真似できるわけではないのですが…。

 いわゆるベルカントの発声と言うのは(私も詳しくは理解していませんが)ヨーロッパ人の発声を元にして作られているわけだから、我々がヨーロッパの歌を歌うのなら、彼らと同じストラテジーを用いて発声するべきだし、そうでないと色々と壁にぶつかると思います(特に高音発声はね)。

 それにしても、本格的なベルカントは、今の私のやり方とは、そもそもカラダの使い方があれこれ違います。つまり、これからそういう動きができるカラダを作っていかないといけないわけで…たかが歌の発声とは言え、まだまだ道は遠くて長いようです。

 そうそう、あとね、日本人はマスケラを使いすぎるけれど、それは真似しちゃダメとも言われました。もちろん、マスケラを使って歌う事自体は必要なことだし大切な事なのだけれど、マスケラ発声に偏ってしまってはダメなのです。

 と、あれこれテクニック談義をして、実際の歌の中で声楽テクニックをどう使っていくかを練習して、今回で「O Primavera!…/春よ」をお終いとする事にしました。

 次回からは、そろそろ発表会に向けてレッスンを進めようと思います。まずは「Maxim’s/マキシムの歌」を重点的に練習し、「A Dutiful Wife/従順な妻」の譜読みを始めようと思ってます。レハール作曲の「メリー・ウィドウ」は決して簡単な曲ではありませんが、昨年の事を考えれば、難易度も歌う分量も暗譜する楽譜のページ数も比較になりませんから、私、なんかのんびり構えちゃっているわけです。

 そんなにキリキリしなくも、発表会に十分間に合う…よね(汗)。

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コメント

  1. 名無 より:

    こんにちは。

    すとんさんの目標声楽家は五郎部俊郎氏?
    でしたよね?
    そうすると深く太くはちょっと目標から外れるのでは?
    深い歌唱はバリトン、バスに任せとけばいいとするなら
    どっちを取るかってなりませんか?(^^;)

  2. すとん より:

    名無さん

    >深い歌唱はバリトン、バスに任せとけばいい

     いやいや、客観的な深い声はバリトンやバスに任せておけばいいのだけれど、私が言っているのは“当社比”の話です。

     クラシック声楽の世界では、美声と言うのは深くて太い声であって、浅くて細い声は悪声なのです。これと声質は関係ありません。他人が聞いた時“軽い声”であっても、自分の中では“深くて太い声”で歌うべきなのです。だって、そもそもの声がみんな違うんだから、歌っている本人が精一杯ぶっとい声で歌っていたとしても、軽い声に聞こえる…なんて事はザラだしね。

     五郎部俊郎氏だって、歌う時は、精一杯、深くて太い声で歌っていると思います。ただ、それが我々には軽快な声に聞こえるってだけの話なのです。

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