最近、声楽のレッスン記事の中で頻繁に使っている、私の現在の課題である“響き”と、その対義語としての“鳴り”について、一度まとめて書いておいた方がいいかな…と思ったので、書いてみました。ただし、ここに書かれた事は2017年時点の私の考えであって、必ずしも正解とは限りませんし、私自身も今後考え方を変える可能性もありますので、その点を踏まえて読んでください。
まず、ヒトの声には、大きく分けて“歌声”と“話し声”の2つがあります。この2つはかなり性質の異なるモノなのですが、今回は特に解説しません。直感で理解してくださ(笑)。
で、歌声とか発声法にも実はいくつか種類があるのですが、ここではクラシック声楽における発声(一般的には、ベルカント唱法と呼ばれる奴)に絞って考えてみます。
クラシック声楽における発声では、歌声は2つの成分から成り立っていると私は信じています。その2つの成分とは“鳴り”と“響き”です。この2つの成分が、いいバランスになっている時が美声であり、バランスがおかしいのが悪声(?)になるわけです。
では「鳴りだとか響きだとかは何なのか」と言う事ですが、イメージ的には、鳴りは『声の芯』のようなものであり、ある意味、声の本体部分と考えると良いでしょう。一方、響きは『声の羽根』とも言うべきもので、声がまとうフワフワしていたり、キラキラしていたり、チリチリしていたりという装飾的な部分です。
また別の言い方をすると、鳴りは『しっかり声帯を鳴らした声』であり、いわば生の声なのですが、響きは『しっかり頭蓋骨に響かせた声』であり、いわば共鳴とか反響とか共振とか、そういう付随的な性格を持った声です。
または鳴りは『自力自発的に発生させた声』である一方、響きは『自然と膨らんだ声』というイメージもあります。
私のレッスン記事の中では『声がノドに落ちてノド声になると、声は鳴り中心になり、響きが無くなる』という記述があっちこっちにありますが、これはあくまでも私の場合の話であって、実はこれはレアケースかもしれません。と言うのも、おそらく多くのヒトの場合、声がノドに落ちると、鳴り中心の声にはならずに、怒鳴り声になってしまうと思います。怒鳴り声は、歌声ではなく、話し声の一種です。
つまり、声から響きが無くなると、残るのが鳴り…ではなく、声から響きが無くなると、声が歌声という状態をキープできなくなり、話し声になってしまう……のが、ごく普通の状態だろうと思われます。
実は、声を鳴らして歌うのは、難しいのだそうです(笑)。なので、キング先生のところでは、声を鳴らして歌うことを熱心に教えるわけですが、実はこれ自体は正解なのです。ただ、私のように最初からノドを鳴らして歌っている人間に、さらにノドを鳴らして歌うように指導する間違っているし、ノドを鳴らさせるにしても、段階を踏まずにやらせたり、過度に鳴らせたりすると、妻のように声帯を腫らして壊してしまうわけです。
大切なのは生徒一人ひとりに応じた指導であって、声楽指導が、楽器指導のように定型化しづらいのは、そういう事なのです。
閑話休題。多くの人にとって、歌声とは、響きが中心の声です。学校などの歌唱指導でも「クチを大きく開いて!」とか「腹筋を使って声を息に乗せて歌いましょう」とか指導しますが、これはすべて響きを増す方向の指導です。また、フォルテを歌う場合では「怒鳴らずに、クチを大きく開いて、カラダによく響かせて歌いましょう」って指導するじゃないですか? これにしたって、声を大きくするには、声の響きを増やして声量を増やしましょうって指導なのです。
分かりやすいのが、日本の市民合唱団の歌声です。特に合唱で美しく感じる声は、かなり響きに偏った発声です。また、教会音楽の声も響きが多めの声で歌います。
声が響きに偏っている時は、声に倍音も多く含まれ、全体的に声は、細く高く柔らかく聞こえます。ただし、音程もうわずり傾向になりがちだし、声量も不足気味となります。
一方、鳴りに偏った声と言うのは、かなり稀有な声です。声帯を適度に絞めた状態で声を強めていくと、普通は、あるところから怒鳴り声になってしまいます。これは声の勢いにノドの筋肉が負けてしまうので、怒鳴り声になってしまうのです。
一方、ノド声とは、声の勢いに負けまいとして、過剰にノドの筋肉に力が入って、ノドがガチガチになった状態での発声を言います。私がしばしばこの状態に陥るわけですが…。声楽初心者などで、強い声や大きな声、高い声を出そうとして、ついつい息を強めに吐いてしまい、その声の勢いに負けまいとして、ノドが頑張ってしまうと、ノド声になるわけだし、ノドが頑張りきれないと、怒鳴り声になるわけです。逆に頑張りすぎると、以前の私のように、高音に行くにつれ、ノドにフタが被さるような感覚になり、ある所からは声も出なければ息も吐けなくなります。
ですから、鳴りの声とはは、いわば怒鳴り声にもノド声にもならない、適度に緊張した状態の声であって、声の勢いに負けないほどにノドに筋力があって、しかしさほどの力を入れている状態ではなく、声の勢いとノドの頑張りがほどよくバランス取れている声の事を言います。つまり、自然の状態でかなりノドが頑張れないと、鳴りの声では歌い続けることができないのです。
なので、普通の人の場合、声を少しでも強めてしまうと、怒鳴り声になってしまい、怒鳴り声を避けようとして、ノドに力を入れると、ついつい力が入りすぎてガチガチになって、ノド声になってしまうのです。鳴りの声は、なかなか難しいのです。
さらに言うと、鳴りの声は力みの声でもあるわけですから、鳴りに偏った声は、聞き苦しい感じがしますし、聞いていて胸が締め付けられるような気すらします。ですから、強い感情を表現するのに向いている発声と言えます。
いわゆるオペラ歌手の皆さんは、程度の差こそあれ、皆さん、鳴りの声を使って歌います。でないと、劇場に声が響き渡る事はありえませんし、観客の心を揺さぶる歌は歌えません。ある意味、鳴りの声は世俗的な歌に合っていると言えましょう。だって、宗教曲のように響きの多い声で歌われると、禁欲的と言うか、感情が激しくゆさぶられる事はないでしょ? 鳴りの声は感情にダイレクトにつながる声なのです。
ただし、鳴りばかりの声では、美しくないし、声の消耗が激しいので、響きの声をそこにプラスして、ノドの負担を減らし、声の耳あたりを良くし、楽に遠くまで声を飛ばしていくのです。
普通の人が声楽を学んだ場合、まずは響きを豊かにし、響きがある程度豊かになったら、そこからカラダを作って、徐々に声に鳴りを増やしていく(これを声が成長すると言います)ものです。私の場合は、そこの順番が違っていて、まず最初に鳴りを獲得してしまったので、今頃あわてて響きを付け加えている最中なのです。
そういう意味では、私の声楽のレッスン日記は、他の人にはあまり役に立たない日記なのかもしれません。
追加の豆知識 ノド声に関して、文中で『声の勢いに負けまいとして、過剰にノドの筋肉に力が入って、ノドがガチガチになった状態での発声』と書きましたが、これは私が陥りやすいタイプのノド声です。実はノド声にはもうワンパターンあって、多くの人はこちらのタイプにハマりやすいようです。
で、そのもうワンパターンあるノド声とは『深みのある声を出そうとして、ノドに力が入り、その結果、舌根が固く大きく隆起して、ノドを塞いでしまう声』です。こちらは“団子声”とも言って、市民合唱団で「ノド声注意!」と言われるノド声は、たいていこちらです。私も、歌の習い始めに、このタイプのノド声になりました。
私の場合は
1)スプーンで舌根を押さえながら歌う
2)舌を前に突き出して歌う
などの荒療治をして克服しました(笑)。
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コメント
youtubeで聞くとパヴァロッティって鳴りの要素結構強くないですか?
逆にティートスキーパは鳴りが小さい感じがします!
どう思いますか?
ショウさん
パヴァロッティが鳴りの要素が多くて、スキーパが響きの要素が多い…録音を聞く限り、分かる気もします。ただ、あくまでも録音ですから、正しいところは分かりません。特にスキーパはSP時代の人ですから、彼の声の良い部分はほとんど録音されていなと思っても間違いないと思います。
パヴァロッティにせよスキーパにせよ、その時代を代表する一流の歌手ですから、鳴りと響きは高い次元で両立している歌声なのだろうと思います。二人とも、鳴りは常人以上だろうし、響きも常人以上…なのだろうと思います。その上で彼らの個性が花開いたのだと思います。
私はパヴァロッティもスキーパも生で聞いたことがないので、あくまでも想像なんですが…ね。
どちらも素敵な声ですよね!
生で聞いてみたかったです!
ありがとうございました!
こんばんは。
> 鳴りと響きについて
元プロオケ笛吹きの方がフルートで鳴りと響きは全然違うと熱く話された記憶があります。
あまりにも昔でレッスンに通ったわけでもなくどのようなきっかけでこんな話になったかさえ記憶もありません。
鳴りは楽器で、響きは体で作るような話だったような感じです。
今から思えばすごく大事なことを聞いていたのかもしれません。
tetsuさん
>鳴りは楽器で、響きは体で作るような話だったような感じです。
そう言えば、私も似たような話をH先生からたまに聞きますよ。フルートをきれいに響かせるためには、口の中を大きく広げて吹く…という訳で、生徒の皆さんは結構苦労されるんだそうですが、私は結構無意識に出来ちゃうんですよ。
自慢するわけじゃないですが、皆さんが苦労される、息と響きの2点に関しては、いつも先生に誉められます。私、最初から出来るんです。たぶん、声楽をやっているから、そのあたりは自然と身についているんだろうなあって思います。
こんばんは。
> 息と響きの2点
この方と元師匠はお知り合い(この業界メチャ狭すぎ)で元師匠ともレッスンでお話しした記憶があります。
オペラを会場で実際に聴くととてもわかりやすいのですが、ステージ上で前後左右どちらを向いてもきちんと聴こえている場合とそうでない場合のような違いです。
フルートでは歌口のエッジに息をぶつけただけのような感じとどこから聴こえているかわからないくらい背中の後ろのほうから音が聴こえるような感じの違いでしょうか。
後は吹きすぎないこととか響きを後頭部で感じるとか、レッスンで他の方に聴いてもらわないとこちらは全くわかりません。
こんばんは。
> トランプ大統領
> 衆愚政治
ここにレス付けます。
最近地上波TVでトランプ大統領の取り扱いが多すぎて、他に何を隠したいのか情報操作があるとしか推測できません。
ドキュメンタリをちらっと見た範囲では、地上波ではあまり放送されていないキリスト教原理主義福音派(聖書に書いてある創造を一字一句そのまま信じる)の勝利のようにしか見えません。キリスト教原理主義福音派はかなりの方がいらっしゃるようなので、衆愚かどうかとてもコメントできません。
ハイパーインフレにならずに日常生活で円が使えれば充分です。
国内の報道で、福島2号機でロボットで数百シーベルト計測したとかで専門家がビックリした、というのにビックリしました。
スリーマイルを遥かに超えているので電気料金とか税金かけずにとっとと石棺作ってほしいです。
福島はチェルノブイリとほとんど同じとは誰も言えないのでしょう。
tetsuさん
>オペラを会場で実際に聴くととてもわかりやすいのですが
そうそう、声って、方向のある鳴り方と無い鳴り方があるんですよ。フルートの音にも、それに似たものがあるって感じます。
遠鳴りの音を出したいからと言って、力ずくで吹いてもダメで、軽くフワッと出す…という要素も必要なわけで、でもフワッだけじゃもちろんダメで…って感じなんでしょうね。言葉で書くと、実に難しいです。
>他に何を隠したいのか情報操作があるとしか推測できません。
国内だけでも…共謀罪? 他にもたくさんあると思います。
>福島2号機でロボットで数百シーベルト計測したとかで専門家がビックリした、というのにビックリしました。
放射性物質がむき出しで床に転がっている…んじゃなかったっけ? そりゃあやばいですよね。
>福島はチェルノブイリとほとんど同じとは誰も言えないのでしょう。
帰りたい人がいる…からあれこれやるんでしょう。その気持ちは分からないでもないですが、でも私は、冷たい言い方かもしれないけれど、あの土地は捨てた方がいいと思ってます。何をしても焼け石に水だと思います。いっそ、原発本体はコンクリでガチガチに固めて、周囲何百キロは立入禁止にする。それで数百年待つ…いや、自然はタフだから、数百年もいらないかもしれない、案外数十年でキレイになるかもしれない。で、あの土地がキレイになる頃には、あのあたりは緑豊かな野生の王国になっていると思いますよ。