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老人に座席を譲るべきか?

 なんでも、優先席をめぐって、老人と優先席に座っている男性とで口論があって、その様子が動画としてアップされていてるそうです。それが今、話題になっているとか…。

 その動画でのやり取りは、以下のとおりです。

老人「日本語通じないのか」

男性「もう1回言ってみろよ」

老人「日本語通じないのか」

男性「もう1回言えよ!」

老人「日本語通じない?」

男性「もう1回言えっつってんだよ!」

老人「だから、日本語通じないのか」

男性「だから、もう1回言えよ。コラッ」

老人「なんでだよ」

男性「だから、もう1回言ってみろよ」

老人「だから、代わってくれって言ってるんだよ。席を」

男性「なんでだよ」

老人「優先席だから」

男性「なんでだよ」

老人「『なんで』ってよ」

男性「悪ぃけど、そういう人に…、譲りたくないわ(笑いながら)」

老人「あなた日本人か」

男性「悪いけどそういう人に譲りたくないわ…残念だったな」

老人「で、なに。そこ優先席だって分かんないんだ」

男性「わかんないですね」

老人「ああ、そっか。じゃ、日本人じゃないんだ。残念だな」

 実際の動画(ホンモノは見つけられなかったので、誰かがコピーして拡散した奴です。一次資料じゃなくてごめんなさい)は、こんな感じです。

 しかし、なんとも、色々な意味で残念ですね。老人も老人だし、男性も男性です。ほんと、絵に描いたようなディスコミニュケーションな場面です。

 しかし、これはたまたま動画にアップされただけで、日常的には案外、似たような事は、日本のあちこちで頻発しているのではないでしょうか?

 老人が若者に席を譲れと強要しているばかりでなく、老人が集まっている中、優先席に堂々と若者が悪びれることなく座っていたり、多少は気後れをしているのか優先席で寝ていたり(狸寝入りの可能性は大ですね)…なんて言う風景は割りと見ます。
また逆に、混雑した車内なのに、優先席だけぽっかりと空いていて、誰も座らずに、もったいない空間になっている事もしばしばあります。

 優先席とは、電車バスなどで、老人や妊婦、病人、障害者が優先的に座れると運営会社によって決められている席の事ですが、このシステムって、1970年代に当時の国鉄が「シルバーシート」という名称で始めたものが起源となっています。つまり、優先席というシステムそのものが、世界標準のマナーでもなければ、日本古来の伝統風習でもなく、割と最近に始まった日本独自の新習慣なのです。

 そもそも優先席というシステムそのものは、親切心と敬老精神にあふれた国鉄職員の方が考えられたモノなのだろうと思うのだけれど、なにやら色々と問題がある制度だなあ…って思ってます。動画のようなトラブルもそうだし、そこまででなくも、優先席関係で不快な思いをしている人って、大勢いらっしゃると思います。

 優先席の問題は色々ありますが、根本的な問題は、この制度の前提が間違っているという点かな? この制度には3つの前提があって…、

 1)人々はみな善人である
 2)老人は、誰が見ても老人とはっきり分かる存在である
 3)老人はみな弱くて守らねばならない存在である

 この3つの前提があってこその優先席のシステムだと思うし、当初は対象が老人限定で始まったものの、その後、その枠に妊婦や病人、障害者まで加わっているのが現在の優先席であって、それがさらに問題をややこしくしていると思います。

 まず、1)の「人々はみな善人である」という前提は、明らかに間違ってます。ほんと、この制度を考えた人って、アタマがお花畑な方なんだなって思います。他人の善意を無条件に信じ過ぎだって(笑)。

 もし、人々がみな善人ならば、警察もいらなければ、福祉も不要だし、宗教家なんてとっくの昔に食えなくなっているわけだけれど、私達が生活している現実世界では、警察は人手不足だし、福祉も足りなく、宗教はよい商売なわけで、むしろ世間の一般的な人々なんて“ずるい奴らの集団”って考えた方が、よっぽどすっきり世の中が回っていくと思います。

 でしょ? 性善説じゃ世の中は成り立たないのよ。

 そもそも、多くの人は、たいてい自分が可愛いわけで、それがために利己的な行動をするものですし、それは生き物としては当然の行いなのですから、人々が利己的な行動を取りがちなのは、生き物としては正しい行動だったりするわけです。

 まあ、それだけじゃあ、世の中は殺伐としてしまうので、教育とか進行とかマナーとかがあって、人々の本能的な行動を抑制し、世間を円滑に回しているわけです。

 つまり、優先席に関する前提って、理想論であって、現実には即していないわけで、はっきり言っちゃえば、そもそも間違っているわけです。

 2)の「老人は、誰が見ても老人とはっきり分かる存在である」という前提だって間違っているでしょ? だいたい、その人が老人であるかどうかなんて、ほぼ自己申告でしょ? もちろん年齢による区切りってのはあるし、年齢ぐらいは見かけから推測できるけれど、お年を召しているからといって、その人を老人として扱ってよいかとなると大間違いで、相当な人生の先輩であっても、当人的には若者だと思っていたり、実年齢はさほどでなくても、自分は老人であると思っていたりする人もいて、ほんと難しいです。目の前にいらっしゃる年配者を、老人扱いをするべきかどうかなんて、見ただけじゃ分からないよ。

 さらに言えば、障害者は、ほぼ見た目で分かる事が多いけれど、妊婦や病人は、なかなか見た目じゃ分からないよね。妊婦も臨月になれば分かるけれど、つわりの激しい時期なんて、一般人との区別はつかないでしょ? でも本人はとてもつらいわけです。また病人も見かけじゃ分かりません。内科系の病人が分からないのも当然だけれど、外科系の病人だって包帯ぐるぐる巻きにしてたり、松葉杖でもギブスでガチガチにしていなきゃ分からないって。

 ほんとにつらい妊婦や病人が優先席に座っても、外見では分かりづらいので、彼らが元気な老人に座席を譲らなければいけない現状は、何とも不条理だなあって思うわけです。

 3)の「老人はみな弱くて守らねばならない存在である」は、老人に失礼だよね。お年は召していても元気でお達者な方も大勢いるわけで、座席を譲ると怒り出すご老人も多々いるのは、この前提が間違っているからです。

 ほんと、優先席って、面倒くさい制度です。無くなってしまえばいい…とまでは言いませんが、無用なトラブルを避けるためにも、システムに関しては、色々と考えないといけないだろうと思います。

 私個人の話をすると…優先席にはなるべく座らないようにしています。だって面倒くさいもの。でも私は喘息持ちで、発作時は死の淵をマジでさまよう人なのですが、そんな死の淵をさまよっている時に電車バスに乗らなきゃいけない事もたまにあって、そんな時は、四の五の言わずに席に座ります。その席が優先席なのかどうなのかなんて考えている余裕すらありません。で、うっかり優先席に座ってしまうと、たとえ顔面蒼白で苦しんでいても、私の前に、老人は遠慮なく現れて、無言で「おら、席譲れよ」と圧力をかけてくるわけです。私は童顔で若く見られがちだけれど、実際は老人なのに…おまけに死にかけている病人なのに…と心の中でつぶやきながらも、気が弱いので、黙って席を立つしかありません。

 優先席さえなければ、こんな思いをしなくて済むのに…などという理不尽な事すら考えます。

 まあ、優先席について、つべこべ書きましたが、そうは言っても、優先席があって助かったという人も大勢いるとは思います。だから、無意味とは思いません。思いませんが…いやあ、ほんと。優先席って悩ましいシステムだよね。

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コメント

  1. ドロシー より:

    これは、この老人が悪いと思います。(顔をそのまま出すのはいかがかと思いますが)
    結局、だれが優先席に相応しいかなんか、誰も見た目だけでは判断できないです。
    若い人でも体調が悪ければ譲ってあげれば良い。
    お腹ボッコリ体型の私なんて、譲られる度、ガックリしているけど、嫌がると本物の方にも譲らなくなってしまうだろうと思うので、ご厚意に甘えております。

    優先席譲るというのは、義務ではなくて、あくまでもご厚意でということで、
    「申し訳ございません。ちょっと疲れております。譲って下さると大変ありがたいです。」と丁重にお願いするべきではないのかと思いますね。

  2. すとん より:

    ドロシーさん

     確かに老人の「席を譲られて当然」と言った態度は問題でしょう。しかし、だからと言っても、この弾性の対応も駄目だと思いますよ。いくら上から目線で言われたからと言って、相手を揶揄するような言葉で応答しちゃ駄目でしょう。相手と同じ土俵に上がった段階で、男性も駄目なんです。

     だからと言って、じゃあ何が正解なのかと言えば…難しいなあ。たかが座席なんだから、四の五の言わずに黙って譲ってやればいいじゃん…って思う私は、事なかれ主義って事になってしまうかな?

    >義務ではなくて、あくまでもご厚意でということで、「申し訳ございません。ちょっと疲れております。譲って下さると大変ありがたいです。」と丁重にお願いするべきではないのかと思いますね。

     それが言えないのが、日本の老人の美徳なんだと思います。だから、優先席が必要ってのは分かりますが、この動画のような美徳のかけらも持っていない爺もいるわけで…ああ、難しいなあ。

  3. ドロシー より:

    日本の(というかアジア全体?)の老人は、年上というだけで偉いと思っているフシがありますからね。
    赤の他人にお願いする時は低姿勢でというのは、社会人のマナーですけどね。
    私の世代から見れば、自分より若くても社会的地位もある人だっているから、単に高齢というだけでは偉い人とは思えないんですよね。
    前職の会社なんて、20代後半で管理職に抜擢された人が親世代の部下に朝礼で怒鳴り散らしていましたよ。その上の会社役員に苦情を訴えても「嫌なら辞めたら?」と。
    大半の人は「事なかれ主義」かもしれないけど、中には色々むしゃくしゃして、ケンカできる可能性のあることを探している人も存在しますね。

  4. 名無 より:

    >「嫌なら辞めたら?」
    これ現代の最強のコメントですよね。
    大概の日本人は、これを言われたら返しようが無い。
    手に職の無いサラリーマンは、あなたが辞めても
    代わりはいくらでもいるよっと事ですよね。
    働く一人ひとりが、皆職人だったら
    会社としては簡単にはなかなか切れない状況なんでしょうけどね。

  5. すとん より:

    ドロシーさん

     老人を敬うのは、日本の文化であり、元をただせば、おそらく古代中国の風習でしょう。それゆえに、中国文化圏である東アジア共通の価値観なのだと思います。

     老人が敬われるのは、長く生きてきて、様々な経験があり、それゆえに経験知が豊富だからこそです。落語のご隠居様が頼られるように…ね。

     でも、今の時代、世の中の変革が激してく、老人たちが持っている経験知なんて、何の役にもたたなかったり…という時代になり、老人が敬われるどころか“老害”という言葉もあるほどの世の中になってしまいました。

     一老人としては、なんともやるせない時代です。

    >赤の他人にお願いする時は低姿勢でというのは、社会人のマナーですけどね。

     ですね。あの老人は、いわゆる“老害”をふりまいていた…って事になるのでしょう。

  6. すとん より:

    名無さん

     同感です。所詮サラリーマンは、代用が効く労働力なのです。だからこそ、会社とか企業とかってのは、存続できるわけです。働いている人が変わった途端、仕事が成り立たなくなるようでは、組織としては駄目ですもの。

     それに、代用が効く労働力だからこその利点もあるわけで、風邪をひいたら会社を休めるのも、私の代わりがいくらでもいるからです。互いが互いの仕事をカバーし合えるのは、サラリーマンならではですからね。

     物事は、なるべくポジティブに捉えていきたいと思っている私です(笑)。

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