日本の流行歌などで、歌の中の一番の聞かせ所をサビと言います。語源的には、「ワサビのサビ」という説と、「侘び寂(わびさび)のサビ」の二説ありますが、まあ、どっちでも良いです、私にとっては。
このサビが、洋楽になるとコーラスと呼ばれます。また実際、いわゆるAメロやBメロが歌手がソロで歌っていたのに対して、コーラス部分に入ると、文字通りコーラスが付きます。
同じく歌の聞かせ所なのに、片やサビで、片やコーラス。おもしろいでしょ。コーラスにはコーラス(つまり合唱)が付きますが、サビにはコーラスがつく事は、あったりなかったり…、洋楽っぽいポップスだと、バックコーラスが付く例が多いですが、これがド演歌だったりすると、まず付きませんな。その代わり、コブシがグルグル廻ります。
歌の文化の違いなんでしょうね。私はこういう文化の違いを見つけると、無性にうれしくなるタイプの人間です。
オペラアリアなどは、聞かせ所にコーラスが付く事はまずありません。この場合、アリアの聞かせ所をサビと呼んでいいのでしょうか(笑)? その聞かせ所でコロラトゥーラ・ソプラノさんがコロコロ歌声を廻し始めたら、コブシを効かせていると言っていいのでしょうか(笑)? バスが低音を効かせたら、唸り節をあげていると言ってもいいのでしょうか(笑)? ね、考えるとおもしろいでしょ。
ちなみに、洋楽でも、ド演歌のようにコーラスの付かない"コーラス"部分がある場合がありますが、その時はブリッジと呼ばれるようです。まあ『つなぎ』って感じなんでしょうね。ブリッジが使われる曲は、たいていAメロやBメロそのものがコーラス曲だったりする場合が多いです。つまり、洋楽の場合、一曲の中で、コーラスとソロが同居しているのか普通なんですね。
教会音楽がコーラスが基本なのに対して、お寺のお坊さんのお経の声はソロ。この辺が、そもそもの違いの始まりなんでしょうね。
コメント
サビという言葉はいつから使われ始めたのでしょう?
私は数年前まで知りませんでした!
ところで文化の違いですが、西欧では合唱と言えば教会かオペラですよね?
日本のような合唱組曲などはあまりないのでしょうか?
去年シェークスピアソング(現代の)の合唱曲をめずらしく聴きましたが、日本の合唱コンクールで聴くような曲ってあんまりないのかあ・・・と思っていますがどうなんでしょう?
やっぱり日本の合唱は”学校の部活文化”なのだなあ・・・と思います。
>Ceciliaさん
>西欧では合唱と言えば教会かオペラですよね?
あと、カンタータ。カンタータから派生した、合唱付き交響曲。以上がいわゆるクラシックの話。
もっと俗っぽいところでは、ウィナーワルツはたいてい合唱にアレンジされ(ついでに変な歌詞が付けられて)町中で口ずさまれていたそうだし、寄宿学校で歌われる学生歌はたいてい合唱。酒場で良い気持ちになって、誰かが歌い始めれば、それに合わせてハーモニーをつけていつのまに合唱大会…。あっち[ヨーロッパね]の人にとって、合唱とかハモるってのは基礎教養らしい(教会の影響でしょうね)ので、いたるところで合唱しているらしいですよ、確認したわけじゃないですが…。
>日本のような合唱組曲などはあまりないのでしょうか?
ううむ、私は知らないけれど、あるのかな? ちょっと前までは合唱が組曲ぽくなっているのは、たいていミサ曲でしょ。もっとこっちになって、宗教色が薄くなった時代のものは、あったとしても現代音楽だろうから、日本ほどポピュラーじゃないでしょうね。
>やっぱり日本の合唱は”学校の部活文化”なのだなあ・・・と思います。
激しく同意。だから宗教色の薄い、邦人作家による合唱組曲が求められるのだと思います。だって公立学校や仏教系学校でミサ曲は歌えないよね。
学校という枠をはずせば、キリスト教色について考えなくてもよくなりますから、バッハでもモーツァルトでもヘンデルでも歌えばいいんだしネ。外国語が難しければ翻訳すればいいんだしサ。
あ、だから年末になると、宗教色の極めて濃いメサイアではなく、宗教色の薄い第九が日本で流行るわけだ。そうか、納得。
学校から離れても高齢の人が多いところだと宗教曲に抵抗があるようです。
うちの合唱団とか。
何を歌うかというと母の気持ちを歌ったものが多いのですね。
それも悪くない(木下牧子とか)ですが、私が歌いたいのは宗教曲とかマドリガルなんですね~。
歌いたいものも歌えず、ストレスたまります~。
・・・ということもあって休んでいますが・・・。
しかも発声練習もなくて、ひたすら音取りばっかですしね。
気を遣うだけなら行きたくないです。
>Ceciliaさん
>学校から離れても高齢の人が多いところだと宗教曲に抵抗があるようです。
私はこの反応は正常で常識的な反応だと思いますよ。
高齢とかそういうのではなく、年齢性別関係なく、問題は宗教だと思います。
キリスト教の曲は、当然キリスト教徒が歌うために作られたものだし、大半の曲が何らかの形で自分の信仰を告白する歌でしょ。
ほとんどの日本人はキリスト教徒ではありません。だから異教徒のための歌を歌うことに抵抗を感じるのは、人として当然だと思います。
ま、だからと言って、キリスト教音楽をキリスト教の信仰を持たない人が歌ってはいけません、なんて事は、私、口が曲がってもいいません。歌いたけれど、どんな宗教のどんな内容の歌だって歌えばいいと思います。
それに実際、クラシック音楽の、とりわけ合唱の分野において、キリスト教音楽を抜きにはできませんから、みなさん、どんどんお歌いになればよい。
ただ、真剣にその曲に取り組んだ時に、宗教曲は、その歌い手の信仰を試してくると思います。歌い始めた頃はキリスト教に興味感心がなくても、歌い込んでいくうちに、信仰が芽生え、キリスト教の信仰を持つようになるのが、ある意味、当然だと思います。
何曲も宗教曲を歌っているのに、全く信仰が芽生えない人(たくさんいると思うけれど)は、その曲に真剣に取り組んでいるとは言い難いと、私は思います。その曲をきちんと理解し共感して歌っているとは言えないと思います。個人的な、あくまで、個人的な意見ですが。
>Ceciliaさん
上のコメントで堅い内容で書いてしまったので、気分なおしにもう一つ(笑)。
>しかも発声練習もなくて、ひたすら音取りばっかですしね。
これって悩ましい問題ですよね。合唱って一人じゃできない。だから仲間が必要。だけどその仲間と自分が、歌う目的とか、歌の技術とか、歌に取り組む姿勢とか、そんな食い違いが、あまりに大きかったら、辛いですよね。分かります。
でも、一つの団体ですべてを充足させようと思うこと事態が無理なのかなって思います。色々あるだろけれど、割り切って考えるのも手だと思いますよ。
例えば、その団では「他人と声を合わせる」ことだけを目的に行ってみるとか? 声を合わせるだけ? と思うかもしれませんが、その他もろもろはあきらめて、そこだけを楽しむようにすれば、それはそれで楽しいかもしれませんね。
ただ、疎遠な理由が、音楽的な問題ではなく、人間関係が問題なら、距離を置いたままの方がいいかもしませんね。
こんにちは。
ちょっと忙しかったので、遅いコメントになってしまいましたが、私は、最近の日本の合唱曲に不満を感じています。
やたらと、不協和音や、変拍子(正式にはなんというか忘れました)が多かったり、ピアノが凝っていたり・・・。
もはや、現代音楽の世界ですよね。
歌う方は、若い子たちなら、YANAHA世代(幼い頃YAMAHA音楽教室でグループレッスンを受けた世代)で、絶対音感を持っていたり、それなりに不協和音でもきちんと音がとれるかもしれないけど、一歩間違うと、とんでもない・・・。
音楽っていうんだから、楽しくなくっちゃ、美しくなくっちゃなんていうのは、もう古いんでしょうか?
美しいハモリと旋律・・・を美しく大事に、歌う。洗練された簡素な美しさこそ、ほんとうに、美しく、感動する・・・なんて、幻想でしょうか?
>ひと休みさん
私は、今の邦人作曲家による合唱曲って、現代音楽だと思ってます。現代音楽って演奏するの難しいですし、聞いてもなかなか楽しめないですね。
確かに邦人作曲家の作品って、絶対音感がないと演奏できないんじゃないの? って曲がありますね。私は絶対音感がないので、そういう音楽は演奏する側にはまわれません。ちょびっと悲しいですね。
そんなわけで、私は古くさい音楽が好きなんですけどネ。だって、古くさい音楽って美しい音楽が多いですからね。