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「ウェストサイド物語」を見てきました

 もうお盆の頃の話になるので、だいぶ前の話です。本来なら、ボツネタにしても良いのだけれど、ボツにするにはもったいない話題なので、時期外れと承知の上で記事をアップします。

 お盆の頃に、地元の文化会館に劇団四季がやってきて「ウェストサイド物語」を上演しました。劇団四季は、昨年の「コーラス・ライン」以来です。

 「ウェストサイド物語」は、バーンスタイン作曲の不朽のミュージカルで、一般的にはナタリー・ウッド主演の映画版によって知られていると思うし、私も映画版で親しんでいるミュージカルです。

 最近ではオペラとして上演される事も多く、2000年にはミラノ・スカラ座で上演されています。当然、録音も映画のサウンドトラック盤が一番有名でしょうが、他にミュージカル歌手たちによるオリジナル盤があったり、オペラ歌手たちの歌唱によるモノも多数あります。中でも、作曲家であるバーンスタイン自身が、クラシックのオーケストラとオペラ歌手を使って録音した、いわば決定盤的なモノすら存在します。

 イメージ的には、ミュージカルとオペラの中間点に位置する音楽作品…って感じかな?

 実際、音楽的には、主役のトニーはミュージカル歌手が歌うにはキイが高すぎるし、脇役だけれどアニタには声に力が必要な役だし、トゥナイトのアンサンブルバージョン(五重唱)は、ミュージカルにしては込み入った音楽の作りになっています。一方で、ダンスやストレートのシーンも多く、特にダンスはバレエを基調に振り付けられているので、当然オペラ歌手では対応できません。

 つまり、上演するには難しいミュージカルってわけです。ですから、有名な作品の割には、なかなか舞台を見るチャンスが無いってわけだ。私も、舞台版を見るのは始めてでした。

 私が見た劇団四季による「ウェストサイド物語」は、2000年のミラノ・スカラ座で演出と振付を行い、2009年のプロードウェイ・リバイバル上演でも演出と振付を行ったジョーイ・マクリーニのもので、そう言った点では、劇団四季版は最新版なのでしょうね。

 ちなみに「ウェストサイド物語」は、現在、スピルバーグが映画化の権利を持っているそうで、場合によっては、スピルバーグによるリメイク版が作成されるかもしれないそうです。それはそれで楽しみです。

 あまりに有名な作品ですから、ストーリーや音楽の説明はしません。

 舞台を見た感想は…ダンスがすごいです。とにかくダンスダンスダンスなんです。歌は…まあ、私の場合、日頃からオペラ歌手達の録音盤を散々聞いているので、そりゃあ比較しちゃいけませんが、それだって劇団四季の皆さんの歌唱は水準以上の歌唱です。どの曲も難しいのに、皆さんきちんと歌いこなしているものなあ。歌に破綻はありません。

 オケはどうやらカラオケのようで、音量のダイナミックスに不足はあるのが残念です。まあ、地方公演にオケの帯同は無理だからね。仕方ないです。

 とにかく、ダンスが凄いのです。例えば、ケンカのシーンもダンスなのです。ダンスだから様式性を感じて美しいのですが、でもケンカのシーンだから、ダンスの迫力も満点です。暴力を美しく見せるためのダンス…なのかもしれません。

 美しい音楽とダンスでコーティングされていますが「ウェストサイド物語」の物語自体は…とても暴力的で暗くて救いのない悲劇です。常に頭の悪い不良少年たちが闊歩していて、それらをリアルに演じると不快に感じるかもしれないほどに、どうしようもない人間たちによる人間劇なのです。

 テーマは…人種差別でしょう。

 映画版では、トニーとマリアの恋愛が物語の中心に据えられていたし、舞台版だって、トニーとマリアは恋に落ちるわけだけれど、それ以上に、ジェット団やシェーク団の間にある憎しみが物語を貫いていきます。

 実は「ウェストサイド物語」って、男臭いミュージカルなんですよ。男臭さとは、ある種の馬鹿っぽさであり、暴力性であるわけです。人種差別に、馬鹿と暴力が加わったら…そりゃあ見られたものではありません。でも、それが一流の芸術作品に仕上がっているのは、音楽とダンスの力…なんだと思います。

 映画版は歴史に残る名画だけれど、舞台版は映画版に負けず劣らずの仕上がりです。

 あと、劇団四季の舞台ですから、役者たちはみな日本語で歌い、日本語で演じているのですが、やはり日本語で演じられると、より心に刺さります。痛いです。ラスト直前まで、音楽とダンスでコーティングされていた物語が、トニーの死を境に、ストレートプレイに変わります。もう、音楽は鳴りません。誰も踊りません。どうしようもない物語が、ラストに来て、むき出しにされます。

 バーンスタインは生前、「ウェストサイド物語」のラストシーンを音楽で書けなかった事を悔やんでいたそうです。あのラストシーンを音楽で書ければ、「ウェストサイド物語」はミュージカルではなく、オペラとして仕上がった…という趣旨の事を言ってたそうですが(バーンスタイには申し訳ないけれど)あのラストシーンには、音楽は不要なんだと思います。ダンスも不要なんだと思います。必要なのは、役者のクチから吐き出される言葉…なんだと思います。

 最後の銃声で、マリアはもちろん、客席にいる我々も、夢から醒めるのです。そして、物語を通して、世の中の不条理に涙するわけです。

 劇団四季による「ウェストサイド物語」を見ることができて、とても良かったと思ってます。

 ちなみに、映画版のラストシーンでは、きちんと音楽が流れるし、トニーもマリアもフィナーレとして二重唱を歌います。そこが万人向けを狙った映画版と舞台版の違いです。まあ、舞台版の構成&演出のまま映画化されたとしたら、かなり後味の悪い作品になっていたと思うし、それでは(当時の)ハリウッドは受け入れられなかったんだろうなあと推測します。なので、ラストシーンの改変は仕方のない事だったのかもしれません。

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