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身も蓋もない話をします

 先日、某市民オペラ公演を見てきました。市民オペラと言うのは、恒久的なオペラカンパニーではなく、NGO的だったりNPO的だったりする団体が、オペラを安価な費用で制作して上演しているヤツを言います。なぜ“市民オペラ”と言うのかと言いますと、上演に際して市民(つまり、地元のアマチュア音楽家たち)の参加が前提で企画されているからです。なぜ市民の参加が前提となっているのかと言えば、地域振興と経費節約と集客力アップの3つが目的だったりするわけです。まあ、とにかく出演者や裏方に、市民を大勢採用して行うので“市民オペラ”というわけです。

 市民オペラにも色々ありますが、一般的なケースで説明すると、演出家と指揮者と主役陣の歌手たちはプロで、これは主催者がオファーして決めます。オーケストラや合唱団、裏方の一部は市民たち…つまり、アマチュアとボランティアにお願いします。で、脇役の歌手たちは、オーディションで選ばれる事が多いです。オーディションですから、プロの方もいれば、セミプロやアマチュアの方もいて、実力的には千差万別ですが、一応最低基準はクリアしているという事になってます。

 そんなわけで、市民オペラというモノは、外国の歌劇場の引っ越し公演はもちろん、二期会とか藤原歌劇団などのオペラカンパニーと較べて、安価なオペラ公演として実現するわけです。

 安価は大切です。なにしろ、オペラって、普通に上演すると、チケット代が高価…と言うか、バカ高いですから、少しでも安価ならば、それだけ多くの人に気軽に見てもらえるわけだし、それがひいてはオペラの普及にもつながっていくわけです。

 それはともかく、市民オペラと呼ばれるものは、地域振興とか経費節約とか集客力アップとかが念頭に置かれているのでは、時には、演奏の質的なモノには、あまり期待できない…と言うか、ある程度のところで妥協されているタイプのオペラ公演であると言うわけです。

 ですから、私が先日見てきた市民オペラも、実に色々ありました。

 いやあ、オーケストラは、実に音痴でした。最初っから最後まで、音外しっぱなしで、音がずーっとウネッていました。私のみならず、多くのお客さんたちが、露骨に嫌がってました。私の前に座っていた上品そうなお姉さまは、序曲などでオケがむき出しで演奏している時に、音を外したりすると、小さく舌打ちなされていましたくらいですからね。ほんと、お上品だこと。おそらく、チューニングの段階で、色々と問題があるオケだったと思います。

 合唱はバランスが悪かったです。ソリストさんよりも大きな目立つ声で歌っている合唱の方もいて、なんかハチャメチャでした。歌手たちのそれぞれの音程が合っていても、ハモらない音楽ってあるんですね。

 まあ、オーケストラにしも合唱にしても、上手では無い事は、当初からの織り込み済みの事項ですから(ホントは、あまり良くないけれど)まあ良い事にします。問題は、歌手たちの歌が良ければ、それで良いのですが…。だって、オペラは歌が命ですからね。

 主役をやっていた歌手の皆さんは、実に良かったです。素晴らしかったです。水準以上の出来栄えで、聞いていて納得です。問題は、オーディション組である脇役さんたちです。この脇役さんたちの力量に大きな差があって、ビックリですよ。

 まず、小さな会場だったにも関わらず、オーケストラに負けてしまって、声が観客席まで届いていない人がチラホラいました。また頑張って舞台で怒鳴っている(歌っている?)人もいました。本人は最大音量で歌っているつもりなんでしょうが、おそらくは側鳴りなんでしょうね。よく聞こえないし、声が全然響いていないんです。そんな人もチラホラいました。

 あと、実に立派な声で演技も歌唱も上手で良かったのだけれど、その役柄が老人役なのにも関わらず、歌手さんはロクに舞台化粧をしていないので、若さがむき出しで、あまりに若い容姿と若い声だったので、役柄とのミスキャストぶりが目立っていたり…と色々あったわけです。

 そんな脇役さんたも、パンフレットに記載されている経歴を見ると、立派な専門教育を受けたプロ歌手ばかりとお見受けされるのに、どうしてどうして、歌手としては残念な方もたくさんいました。

 「さすが市民オペラ、歌手の質も、ピンきりだね(笑)」なんて、最初はボーと思いながら聞いていた私ですが、オペラの途中で、ふと、ある事に気づいてしまいました。

 それは、歌声がきれいで立派な主役陣たちは、実はセリフ部分の話し声(そのオペラはレチタティーヴォが少なくて、アリアとアリアの間はセリフ劇で繋いでいくタイプのオペラだったんです)が、とても立派で美しいという事に気づきました。一方、脇役さんで歌声が貧相な方々は、セリフの部分の声もやせて貧弱で、貧相で音量が少なめで、よく聴こえなかったんですよ。

 つまり、歌声の素晴らしさと、話し声の立派さは、単純な比例関係にある事に気づいてしまったわけです。

 結果的に分かった事は、美しい歌声の歌手は同時に、美しい話し声の持ち主であったわけです。

 ああ、身も蓋もないって、この事だよね。

 歌声が美しい歌手は、元々の話し声が美しいわけだし、歌声が大きな人は、元々の話し声が大きいわけです。歌声がはっきりハキハキしている人は、話し声の滑舌もいいんです。

 つまり、持ち声の良い人が、良い歌手になっているってわけね。それって、才能の有無の問題であって、努力でどうにかできる範疇を越えているって事でしょ? ほんと、身も蓋もないわー。

 でもまあ、そんなモンだろうとは、以前から薄々とは思ってました。話し声がダミ声なのに、歌ってみたら、鈴を転がすような美しい声…になるわけないもんね。普段から全力で話していても、声の通らない人が、音楽ホール全体に響き渡るような声で歌えるわけないもんね。努力とか訓練とかの積み重ねで、多少はどーにかなる部分もないわけじゃないだろうけれど、やっぱり、持ち声の良い奴には敵わないって事です。

 才能で、結果の大半が決まってしまう…というのは、私的には、あまりうれしくない事なんだけれど、声楽の世界では、才能一発って部分が、やっぱり大きいんだろうなあって思った私です。

 でもね、じゃあ才能に恵まれていない人は、どうすればいいの?って話になるわけじゃない? ほんと、どーしたらいいんでしょうね。まあ、プロならば、歌手になる事を諦めるしかないだろうし、アマチュアならば、下手の横好きで行くしか無い…って事になるわけで、ああ、現実って、厳しいんだなあ…なんて事を、オペラ鑑賞をしながら、ふと考えてしまったわけです。

 何やってんだか(笑)。

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コメント

  1. ミルテ より:

    すとんさん
    甘い、甘いw
    発声ができている歌手さんは、話し声もよくなるのですよ(断言)
    話し声も発声とともに進化しますから
    どうぞ話し声がないから、と思わないでくださいね。

  2. すとん より:

    ミルテさん

     そういうモンなの? 私が見た脇役さんたちだって、若干の素人さんもいたけれど、大半の人は、ちゃんとした専門教育を受けて、どうやら小さな舞台によく出演していて、生徒さんなんかもいる人もいて、あれって、どう見ても“完成形”の方々なんだよね。あれが完成形なら、元の声なんて、実に貧相なモンでしょ…って思ったわけです。

     実際、脇役さんたちに限って言えば、プロの方よりも素人の方の方が好感持てましたし…。

     元の話し声がダメな人でも発声頑張れば、声が良くなるとしても、元々美声の人がさらに発声頑張れば、もっともっと良い声になるわけで、そりゃあ、いつまでたっても追いつかないし、差も開く一方だなって思ったわけです。

     まあ、そんな事を書きながらも、私自身は、歌をやめる気もなければ、あきらめる気持ちもなくて、美声であれ悪声であれ、自分自身の声で、歌い続けてやろうと思ってます。それこそ、発声がんばって、話し声も歌声も、両方とも素敵にしてやろうと思ってます。

     アマチュアだし、誰に迷惑かけるわけでもないしね。身も蓋もない事を書きながらも、私自身は、結構ポジティブだったりしてます。

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