あー、フルートのレッスンに行ってきました。今月最初のレッスンですが、最近仕事が忙しいからなあ…もしかすると、これが今年最後のレッスンになるかもしれません…と先生に伝えました。もちろん、次週のレッスンには行きたいと思っているけれど、行かれないかもしれないし、その次は確実に行けない。で、その次は…先生の都合で休み、で、その次の次も先生の都合で休み。そんな事をしているうちに、来年になっちまうぜいって話です。
でもまあ、次回のレッスンには来るつもりなので、ひとまず年末のご挨拶はパスしておきました。
最初はロングトーンの練習から。ここ数回よりはマシとは言え、まだまだ音に濁りがあります。ダメだな。それと、時折、ブォ~って感じに吹いちゃいます。まあ、色々とダメなんだな。反省。
エルステ・ユーブンゲンは13番です。まだ自宅で一度も通っていないのですが、部分部分はかなりいけそうな気がしたので、暗譜演奏にチャレンジしてみましたが…やはり、途中で、スコーーーって抜けちゃいました。先生にも「惜しかったね」と言われちゃいました。いやあ、あそこで落ちなきゃ、後は合格だったのに…残念。
14番は当然、不合格…ってか、まだまだ練習不足です。こういうスタッカートとスラーが混在している曲って、案外…と言うか、当然のように苦手な私です。
プチ・エチュードは12番でした。これ、自宅じゃ結構吹けるようになったので、今回で合格かも(うっしっしっ!)と思ってレッスンに臨んだのですが、私が吹き始めるや否や、先生、いきなり拍子を取り出しました。つまり「このテンポで吹きなさい」ってわけです。確かに、私、この曲では、ちょっとばかりテンポがよれているからね。
でも、先生に拍子を取られた途端に吹けなくなりました。つまり、自分の好き勝手なタイミングなら吹けるのに、きちんと定量のタイミングになった途端に、窮屈さを感じて、あっちこっちで破綻しちゃいました。
つまりは…メトロノーム練習の絶対的な不足ってわけです。いやあ、痛いところを突かれました。次のレッスンまでにはメトロノーム練習をしてこないとね。
「この曲は三拍子ではなく、二拍子だからね。聞いていて二拍子が感じられるように吹かないとダメなんだよ」との事でした。よっしゃあ、二拍子でメトロノーム鳴らしてやる!
今回の雑談は「12月になって師走だけれど、やっぱり忙しい?」って話でした。
私は今はすごく忙しいです。フルートのレッスンも休みがちだし、それ以前に休日出勤バンバンしているし、周囲の同僚たちは交代で倒れている状態なのに、ほんと、よく倒れないものだと自分でも不思議に思うくらいです。まあ、私の周囲を見ても、体力自慢の若い人間よりも、年寄りの方が持久力があるみたいで、結構、元気…というか、なんとか動いていますって感じです。ま、私も年寄りの範疇だから、何気に倒れずに日々をやり過ごせるんだと思います。
でも、今のこの忙しいのは、せいぜいクリスマスまでで、その後は、溜まりに溜まった休日出勤分の代休を使って、たっぷりお休みしちゃうつもりです。正月休み+代休で、ゆっくりするんだい!
先生は…と言うと「うーん、割りと暇かな?」との事です。と、言うのも、年内は29日で仕事が終わって、新年は2日から仕事なので、30日、31日、元日と3日も休めると喜んでいました。
「年末の休みは、たったの三日間だけですか?」
「それでも多いくらいだよ。休めば、お金入ってこないし、休みと言っても、お酒飲んでゴロゴロしているだけだから、仕事している方がよっぽどいいよ」
なんでも、昔は大晦日まで第九の演奏会に駆りだされていたし、元日は元日で仕事があったので、年始年末は普通に働いていた…んだそうです。その頃と比べると、三日も休めるなんて、贅沢は話…なんだそうです。
音楽家は自営業だし、個人事業主だからね。私のような月給取りじゃないので、働けば働くほど収入に結びつき、休めば休むほどアゴが干上がるわけだから、毎日毎日、休まずに働きたくなるんでしょうね。
最も先生は、カレンダー通りの休みは取らないし、年始年末は忙しいのだけれど、休みを取らないわけではなく、たまにガッツリ休んで、山登りに行ったり、海外にプラ~と出向いたりするので、それなりに自由になる時間もあるし、遊ばないわけでもないわけです。
「休みたくなくても、仕事がなければ、自動的に休みになってしまうのだから、仕事があるうちは働くだけですよ」との事です。ちなみに年始年末は忙しいのだけれど、それが一段落すると、エアポケットに入ったように仕事がなくなるので、そこで遅めのお正月休みを取る…そうです。つまり、私のような勤め人とは、違ったカレンダーで生きているだけ…なんだと思います。
ああ、それにしても師走ですね。ほんと、これからしばらくは公私に渡って忙しくなります。ああ、お正月休みが待ち遠しいです。
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コメント
学生の時の話です。友人のバイト先の喫茶店オーナーが、あとよろしく頼むわと言って、友人に仕事を任せて外出しました。彼はどこに行ったのと友人に尋ねたら、映画を見に行くとのこと。
私はこれを聞いて、「なるほど、自営業でボスになると、こういうことが許されるのだ」と感動しました。それまでは労働者(バイト)の立場からしか労働を見ていませんでした。学生の私にとって、「労働時間の提供」=「労働」でした。
私は小さな会社を経営していますが(厳密にいうと自営と会社経営は異なります)、見かけの労働拘束時間は、普通のサラリーマンの二倍近くあると思います。でも実際に「仕事をしている時間」は、サラリーマンの15%程度でしょう。現に、このように仕事中にも関わらず、すとんさんのブログのコメント書いているわけです。例の喫茶店のオーナーのように、仕事中に自由にサボることができます。
私は「ちょいとAに行ってくる」と言って、仕事中によく外出しますが、そのサボりが業務に差し支えることはほとんどありません。(Aに入る単語は、図書館、鰻屋、散歩、サイクリング、バッティングセンター、陶芸教室など)
私は平日に定休日を一日とっています。その他に正月三が日は嫁さんの希望で休みにしています。以前、年中無休で仕事をやろうとしたら嫁さんに大反対されました。
正月休みといえども、放置していた仕事の野暮用を片付けたりしてます。季節感のない暮らしではあります。
同業者で親しくしている社長は、正月一日だけが休みです。週休はないので、年間364日労働です。彼がそれだけの日数を仕事に拘束されているのは事実ですが、それだと過労死してしまいます。彼は時々仕事をサボってゴルフに行きます。それでも私の十倍は働いていそうです。
ところが、彼のところよりも私のところの方が業績が良いのです。彼は常に忙しそうに動いていますが、私から見ると貧乏性な感じもします。働いていさえすれば安心という感じが伝わってきます。1970年代の社長モデルです。
私はバットの素振りをしながら仕事に使う変数をこう設定しようと考えたり、ロボットアニメを見ていると常識とは逆のアイデアが浮かんだりします。経営者としては、こういうことの方が大切だと思っています。
学生のころに憧れていた自由にサボれる立場にはなりましたが、良いことばかりではありません。現に仕事や商売を失敗してどん底に落ちたことが何度かあります。落ちる度に、より賢くなっているのが救いです。二度同じミスはしません。
新宿で浮浪者を見かけると、身震いすることがあります。ああいう生き様が、リアリティをもって感じられる緊張感のある暮らしではあります。
在日日本人さん
お話、少しだけ分かります(笑)。私は自営業でもなければ会社経営もしていませんが、身内に会社経営をしている人間もいますし、私自身、少し前までは自分で自分の労働時間の管理ができる立場でしたので、就業時間中にサボる(?)事は全然可能でした。仕事なんて、要は結果さえ出せばいいわけで、その結果を出すために、いつ働こうが、何時間働こうが、全然お構いなしだったので、あの頃は色々と時間を有効に使えてよかったです。今は、部下の面倒を見る仕事なので、基本的に部下たちの労働時間に束縛されて、全然時間が自分で管理できないのです。労働時間もやみくもに増えて、実はあんまりうれしくないです。
要は、時間を切り売りして稼いでいるか、知力や才覚を切り売りして稼いでいるか、あるいは特殊能力の切り売りで稼いでいるか…世の中の労働って、そんなものかもしれません。もちろん、一般労働者は時間の切り売りでしょうし、経営者や企業の管理職と呼ばれる人たちが知力才覚で、職人さんたち(音楽家もここでしょう)は特殊能力の切り売りだと思ってます。それぞれに、それぞれのライフスタイルがあるんだと思います。
>ああいう生き様が、リアリティをもって感じられる緊張感のある暮らしではあります。
会社経営って、稼業としてはハイリスクな仕事だと思います。これは、東芝やらシャープやらサンヨーやらを見ていると、会社の大小には関係ないかもしれません。良い時は良いし、悪い時は悪いし、上がるのも速ければ、落ちるのも速い。何が起こるかわからない今の時代、1年後の自分の姿が想像できないわけだし、まさにリスキーです。でも、その分、仕事そのものには没頭できるし、それが人生のやりがいになっていくと思います。そこは時間を切り売りしている一般労働者とは、全然違う部分だと思います。
新宿の浮浪者か…私はならずに済みそうだけれど、息子がなあ…。今の時代、若者が自分で稼いで生きて行くというのは、かなり厳しいからねえ。息子なんて、一歩間違えると、あっという間に浮浪者の仲間入りしかねないからなあ。ほんと、政府には、増税を考える前に、日本の景気ってやつを、きちんと立てなおしてほしいと思うわけです。
>今は、部下の面倒を見る仕事なので、基本的に部下たちの労働時間に束縛されて、全然時間が自分で管理できないのです。
なるほど、これはストレスの溜まる状況ですね。部下たちの能力も全員規格通りなわけがありませんから、予想外のトラブルが次々と起こりそうなことは想像できます。イレギュラーが起こる前提で仕事を組むのでしょうから、たとえ一日トラブルなく終わったとしても、余裕をみておいた分の必要ロスが必ず生じるようなお仕事かと思います。
>会社経営って、稼業としてはハイリスクな仕事だと思います。これは、東芝やらシャープやらサンヨーやらを見ていると、会社の大小には関係ないかもしれません。
私がサラリーマンならば、有名な大企業で働きたいです。しかし経営者の立場ならば、会社の規模は小さければ小さいほど楽しいです。旅客機よりも戦闘機の操縦の方が楽しいようなもんです。自分の決定がすぐに実務に反映されるから、機動力が違います。大会社ならこうはいきません。大会社のトップにも改革派はいるのでしょうけど、巨大組織の中で自由に動けるわけがないです。
フォルクスワーゲンや東芝の不祥事の状況は想像できます。常識で考えたら、あんなインチキがばれたら大変なことになることは、当事者は全員わかっていたはずです。それを承知でやらざるを得ない空気が生じるのでしょう。
私も彼らの立場なら「これ絶対ヤバイよな」とつぶやきつつ、不正に手を染めていたことは間違いないです。きれいごとでは済まない世界です。そんなこと言ってるから、こういうひどい結末になったではないか、というのは結果論です。悲惨な結果が見えていながらも避けられなかったのだと想像します。それが恐竜のような大企業の宿命です。
>新宿の浮浪者か…私はならずに済みそうだけれど、息子がなあ…。
浮浪者にはなりたくないです。私はいろいろなシナリオを考えていますから、浮浪者のことも調べたことがあります。
「浮浪者は自由でうらやましい」などと言う奴がいます。それは単なる憧れであって、実体はそうではないでしょう。サラリーマンの世界も、自由に楽しくやっている奴もいれば、追い込まれて自殺寸前な奴もいるわけです。浮浪者も同じで、浮浪者も複数集まれば、そこに集団やルールが発生します。それが嫌なら、浮浪者の集まらない悪い環境の場所に逃げるしかありません。それはサバイバルそのものが困難になることを意味します。もしも私が浮浪者になったとしたら、浮浪者グループの落ちこぼれになるのは確実だろうというのが結論です。
北米大陸での話ですが、半日ほどアフリカ出身の浮浪者と共に行動したことがありました。正直、彼のような生き方もあるのだなと感心させられましたが、それには私が築き上げてきた哲学や価値観をすべて捨てる必要がありました。他人から見下されても、そんな些細なことは意に介さない信念が必要でした。私はそこまでタフ(鈍感?)じゃないから、浮浪者はできません。
在日日本人さん
そうなんですよ、疲れます(笑)。やはり仕事は自分のペースでできるに越したことはありません。多少なりともノルマがきつくても、自分なりの工夫をし、知恵を絞れば、たいていはなんとかなるものです。
一方、他人の面倒を見るというのは、その人に合わせてあげないといけないわけで、自分のペースでは働く事ができません。そりゃあ疲れます。
>予想外のトラブルが次々と起こりそうなことは想像できます。
ほぼ毎日、複数のトラブルが起こってますよ(笑)。「なんで、そうなる?」と言ったことばかりで、最初の頃は驚いたり慌てたりしちゃいましたが、今じゃあ、色々と達観しちゃいましたので、極めて冷静な対応ができるようになりました。とは言え、やはり気づかれは多いし、実働時間も増えたので体力的にキッツイです(爆)。
まあ、私自身、若い頃は色々と先輩方の世話になったわけですから、順番なんですよ、今度は私が若い連中の面倒を見るのは。そうやって、若者たちが育って一人前になってくれれば、良しですって。
>「浮浪者は自由でうらやましい」などと言う奴がいます。
…いますね、確かに。私が思うに、その人は、本気で浮浪者になりたいわけではなく、今の仕事や立場から逃げ出したいだけなんじゃないかなって思います。だったら、前向きに逃げ出せばいいじゃん…なんて私は思いますが、それは私がそういう状況に追い込まれたことがないからかもしれません。人間、本当に追い込まれると、色々な判断力が無くなってしまいますからね。そうなった時に、浮浪者に(間違った)憧れを抱いてしまうんだと思います。
>私はそこまでタフ(鈍感?)じゃないから、浮浪者はできません。
私も無理です。まず、衛生的な空間でないとダメな人ですから(笑)。まあ、潔癖症ではないつもりですが、だからと言って、不潔な環境には我慢ならない人ですから(爆)。