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優先するべきは、音色の美しさか、運指の素速さか

 フルートに限らず、楽器演奏において大切な事はたくさんあるけれど、とりわけ“音色の美しさ”や“運指の素早さ”つまり“速弾き”は重要視されます。だって、美しい音色は人の心を溶かしてしまうし、超人的な速度で細かな音符を見事に吹いてくれれば、そのアクロバティックな魅力に魂を奪われてしまいます。

 問題は、それぞれに習得が難しくて、なかなか両立が難しいという事です。多くのアマチュア笛吹きの場合は、音色を重視すれば、指が回らず、指を一生懸命に動かすと、音色がスカスカになるのが現状です。

 この2つを両立させるのが最終的な目標として、そこに至る前段階において、先に習得するべきなのはどちらが良いか。つまり、優先するべきは、音色の美しさか、運指の素速さか、って事です。

 これはその人の置かれた立場や、演奏する音楽ジャンルや、師事する先生の考え方で変わるかもしれません。

 私の現状で話をすれば、H先生は“音色重視”の人なので、運指の素早さは二の次で、美しい音色で演奏することを求めます。ですから課題を出す時も「ゆっくりでいいよ、ゆっくり練習してきなさい。その代わり、しっかり吹いてくるんですよ」と言います。決して、演奏に速度は求めません。「指なんて、誰でも練習すれば、速くなるんだから、急ぐ必要はありません」と言うくらいです。

 でも、以前習っていた笛先生は違いました。とにかく、速度重視でした。音色の美しさどころか、運指の正確さを捨てても、速度を重視していました。音色が汚かろうが、指を間違えようが、とにかく規定の速度でバリバリ音楽を推進していく事を求めました。「いくら、遅いテンポならば正確に美しく吹けても、バンドと同じテンポで吹けなければ意味ないからね。指を間違えても、演奏から落ちても、すぐに音楽に戻って、常にバンドと同じテンポで、帳尻を合わせながら演奏できなければ、ライブじゃ使えません」といい、私も間違えても何をしても、帳尻を合わせて演奏する練習を散々したものです。

 同じフルートの先生で、この二人、実は同門の兄妹弟子なんですが、生徒に求めるものは、こんなに違うんです、おかしいでしょ?

 これは、H先生と笛先生の、現在活躍するフィールドの違いから来るものだと思います。

 H先生は、クラシック音楽のソロ・フルーティストです。たまに、オーケストラの中に入って、オーケストラプレイヤーとしても活躍しますが、あくまでもソロ奏者であって、ピアノやオーケストラをバックに、クラシック音楽を独奏する演奏家です。一方、笛先生は、ジャズフルーティストで、ジャズバンドの中でフルートを吹いてます。

 クラシック音楽とジャズ、ソリストとバンドメンバー、古典音楽と現代音楽。活躍しているフィールドが、本当に、全然違います。

 クラシック音楽のフルーティストならば、何よりも音色が優先される…って事なんでしょうね。もちろん、速吹きも出来なきゃいけませんが、ソリストならば、何となれば、どんな曲であっても、自分が演奏できる速度で吹いちゃえばいいわけですからね。速度が遅くても、美しい音色とか説得力のあるフレージィングとかで演奏できれば、観客は納得するわけですからね。

 ジャズ…と言うか、ポピュラー音楽と言うか、合奏音楽では、フルーティストは全体の中の駒の一つに過ぎません。音色は美しいに越したことはありませんが、とりあえず「フルートが吹いている」という事が分かれば、それで良しです。それよりもバンドの音楽に付いて行く事が最優先です。だって合奏だもん。それに、バンドの演奏って、たいてい、馬鹿みたいにテンポ速いしね(笑)。もう、落ちずについていくだけで精一杯です。

 と言うわけで「優先するべきは、音色の美しさか、運指の素速さか」という答えに対しては「それは音楽ジャンルや演奏形態によって異なる。クラシック音楽であったり、ソリストであるならば、音色の美しさを優先し、ポピュラー音楽であったり、合奏であるならば、運指の素速さを優先するべきである」と、まあつまらない結論でごめんなさい…って事です。

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コメント

  1. tetsu より:

    > 優先するべきは、音色の美しさか、運指の素速さか

    フルートのテクニカルな表現はたいしたことはなくて、そのような音楽を聴きたければヴァイオリンを聴いたほうがいい、というような主旨をモイーズ(?)か誰かがどこかで書いていたような記憶があります。

    > とにかく規定の速度でバリバリ音楽を推進していく

    西洋音楽はリズムがあって時間を刻む表現なので、その制限の中で表現するもの、とおもいます。西洋音楽が入る前の日本の音楽とか、日本人による作曲はどこか時間の無いようなところがあるような。
    こちらは気持ちよく吹いていると、リズムとか刻みの甘さはすぐ出てしまいます。

    先日新たに始まった五嶋龍の「題名のない音楽会」の冒頭のイザイはスゴスギで感動しました。録画したものは未だに消さず繰り返し聴いています。フルートは別世界を狙うしかありません。

    失礼しました。

  2. すとん より:

    tetsuさん

    >フルートのテクニカルな表現はたいしたことはなくて、そのような音楽を聴きたければヴァイオリンを聴いたほうがいい

     私、同様な事を色々な人から聞きましたが…そうですか、オリジナルはモイーズだったんですね。いやあ、勉強になりました。確かにヴァイオリンの多彩なテクニックと比べると、フルートに限らず、たいていの楽器は尻尾を巻いて逃げるしかないですわな。

    >西洋音楽が入る前の日本の音楽とか、日本人による作曲はどこか時間の無いようなところがあるような。

     西洋音楽と言っても、西洋大衆音楽だと思いますよ。いわゆる西洋古典音楽(つまり、クラシック音楽)にもどこか時間の無いような部分があると思います。いや、言い換えると、物理的な時間ではなく、心情的な時間でリズムを刻むわけで、だからクラシック音楽では、物理的に正しい時間に対してリズムを刻む場合は、わざわざ“インテンポ”という指示を付けるわけです。

     その証拠に、合奏をする際はクラシック音楽では指揮者が必要です。演奏者それぞれの心情的な時間で音楽を演奏するのではなく、指揮者の心情的な時間に演奏者たちが合わせるために指揮をします。一方、大衆音楽は物理的な時間に対してリズムを刻んでいきますので、指揮者は不要なのです。

     だから、メトロノームとかドラムマシーン、リズムボックスなどの物理的な時間に対してリズムを刻んでいく機材は、大衆音楽では有効でも、古典音楽では使いものにならないというのは、そういう事だろうと思ってます。

     五嶋龍の「題名のない音楽会」は録画しましたが、まだ見ていません。そんなにスゴかったのですか、それは楽しみだな。

  3. ぜっこ より:

    こんばんわ。
    時折覗いては楽しく読ませていただいておりますアマの笛吹きです。

    音色の美しさか、運指の素速さか・・・確かにいずれはどちらも人前に出ても恥ずかしくないレベルにはなりたいです。
    しかしまだまだひよっ子の身では・・・やはりフルートらしさといえばテクニカルな運指よりも伸びやかで透き通るようなあの音が好き・・・私個人は音色重視のようです(笑)

    すとんさんのアルタス愛というかアゲハ愛は以前より読ませていただいており、私も実際に試奏してアルタスPSを吹いた時の優しくも力強い感触にやられてお持ち帰りしてしまった過去があります。
    内向きに吹くのにはなかなか慣れずツンデレ気質で手こずりましたがやはりアルタスは良い楽器ですね。

    大人になると指と脳の繋がりがうまいこと構築されにくい感があり指が回りませんが、それはそれで訓練しつつ私個人の理想とする音色に至るまでひたすら吹くのみです(笑)

  4. すとん より:

    ぜっこさん、いらっしゃいませ。

    >私も実際に試奏してアルタスPSを吹いた時の優しくも力強い感触にやられてお持ち帰りしてしまった過去があります。

     それはすごい、私よりもずっとずっとすごいです。心から尊敬します。

    >ツンデレ気質で手こずりましたが

     あ、やっぱり(笑)。アルタスは誰が吹いても…ツンデレなんですね。でも、そこが可愛いんです。巧みな運指も大切ですが、アルタス吹いていると、ついつい美音を求めてしまうんですね。まあ、そこがオトナの趣味人には良いのかもしれません。

     アルタス、良い楽器です(メーカーからは何もいただいてません:きっぱり)。

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