今回の記事は、ある意味、とても当たり前の事を書いているのかもしれません。
学ぶ側である生徒にとって、習い事の目標は一つではありません。『上達したい』と願っている人もいれば『友達が欲しい』ので“友達づくり”のために習っている人もいれば『暇つぶし』という有閑マダムな人だっているわけです。
自分たちの側で求めるものがそれぞれに違うのに、私達はついつい、教える側の人、つまり先生たちが、いつでも全力投球で真っ直ぐに自分に向き合ってくれるものと、なぜか無条件に考えてしまいがちですが、我々学ぶ側にも色々あるように、教える先生側にも、それぞれ色々あるわけですし、あって当然です。
もちろん、生徒は“趣味”として学ぶけれど、先生は“ビジネス”として教えているので、趣味とビジネスという立ち位置の違いはあるけれど、ビジネスならば、ビジネスとしての効率とか目標とか損益分岐点とかがあるわけです。
実は以前から心にひっかかっていた事があります。それは、キング先生のところを辞める少し前に「すとんさんには、もう教える事がありません」と言われた事です。これは“もうあなたには教えたくないです”という訣別の言葉かと思って、すぐに確認をしたら、そうではなくて“本当に教えるべき声楽技術はすべて教えたので、後はそれをできるようにするだけ”だと答えられました。
その言葉を聞いて、即座に私は不審の塊になりました。「この人は、こんなに無能な先生だったのか!」と思ったわけです。
だって、私、ちっともダメじゃん。全然、ダメじゃん。こんなにダメなのに、先生として『教える事がありません』ですって? 一体何を言っているでしょうか! 生徒が出来るようになるまで教えるのが先生の仕事でしょ? 教えっぱなしの投げっぱなしですか? これで私は完成形ですか? おかしくないですか? 絶対に、おかしいよね?? 無責任にも程があるんじゃないの!
…と心の中で思ったものの、当時は、先生のおっしゃる事は絶対でしたから、ニコニコしながら、先生の言葉をグッと飲み込んだわけです。
案の定、Y先生の教室に移ってから、私の欠点の数々が露わになり『あれもできない』『これもできない』『それは間違っている』『そんなやり方をしたら下手になるだけだ』『それじゃあ何年かかって出来るようにならない』とかまあ、散々に言われながら、キング先生に習った事を一つ一つ修正していきました。その度毎に「昔、キング先生から『教える事はありません』って言われたけれど、私はまだまだこんなにたくさん学ばなければいけない事だらけじゃないか! そんな私に、あの人は、よくも抜け抜けと『教える事はありません』って言えたもんだな!」と怒っていたものです。
私、かなり長いこと怒っていました。支払っていた謝礼が無駄金だったような気さえしたものです。だまされたわけではないのに、なんか、だまされたような気さえしていたものです。
でも、ある時、ふと気づいたんですね。「これは、キング先生がダメなわけではなく、キング先生とY先生で、生徒に何を求めているのか、どこまでの上達を念頭において教えているのか、つまり教えるにあたっての“到達目標”が違うだけなんじゃないか」 そういう事なんだろうと気づいたわけなんです。
分かりやすく生活レベルに話を落としてみるなら、例えば“掛け算”です。
掛け算を習うのは小学2年生です。この段階では自然数の掛け算ができればOKです。小数の掛け算は5年生、分数の掛け算を習うのは6年生です。方程式は中学生になってからだし、三角関数とか微分積分は高校になってから学びます。ですから、小学2年生の先生は、生徒(厳密に言えば児童)が自然数の掛け算ができるようになれば良いわけで、それ以上の事を求められても教える必要はありません。それよりも、生徒たちが自然数の掛け算に習熟することを望むでしょうね。
しかし、小学6年生の先生なら、自然数の掛け算があやふやな生徒がいれば、しっかり教えないといけないだろうし、さらに進んで小数や分数の掛け算だってマスターさせなければいけません。生徒が求めていなくても、小学6年生として必要ですから、叩き込むわけです。中学校になれば、掛け算はもとより、方程式が扱えないといけないし、高校生が相手ならば、先生は、三角関数だって微分積分だって、首根っこを抑えてでも教えこむしかないわけです。
声楽の先生だって同じなんだと思います。趣味の人を教える先生と、音大受験生を教える先生では、到達目標は当然違いますし、趣味の人を教えるにしても“楽しく学んで欲しい”と願う先生もいれば“たとえ趣味であってもきちんと上達してほしい”と願う先生では、到達目標は違います。
そう言えば、Y先生について学ぶ時に、先生から「オペラアリアが歌えるようになりたいのですか?」と尋ねられたっけ。もちろん「はい」と答えたから“オペラアリアが歌えるようになるレッスン”を今してもらっているわけです。
そう言えば、キング先生のところは、厳密にはクラシック声楽を教えて頂いていたわけではなく、あくまでもヴォイス・トレーニングのレッスンだったわけだし、ずぶの素人でもウェルカムなレッスンだったわけです。
その事に思いが及んだ瞬間に、この件に関して、今までキング先生に抱いていた怒りがスッと消えました。
つまり、キング先生にはキング先生なりの、生徒に対する到達目標があって、そこから見れば、もう私には『教える事はありません』って事になるけれど、Y先生にはY先生の到達目標があって、そこから見れば、私なんかは、全然まだまだのダメダメで、あれもこれも教えなければならない事だらけの劣等生って事になるわけです。
キング先生の門下に入門する人の大半は、全くの素人さんばかりです。呼吸法はもちろん、立ち方から教えなければいけないレベルの人ばかりです。ほとんどが趣味のオジサンオバサンばかりだし、月謝も格安だし、レッスン時間だって、1回30分という、ごくごく短時間しかありません。その30分のレッスンも、20分ぐらいはおしゃべりタイムだったりするわけです。レッスンのペースがゆっくりな上、発表会だって2年に1度のスローペースというわけで、あれこれゆるゆるの声楽教室なんです。でもね、レッスンはゆるゆるだけれど、門下生たちは仲良くて、互いに親しくて、キング先生の元で学び続けていく事は楽しいんですよ。
門下発表会などでは、お上手な門下生たちもいるけれど(内情をばらしちゃうと)、ああいう人たちは、キング先生以前に別の先生に習っていたり、音楽の専門教育を受けていたりしていて、すでにアマチュア歌手として完成された方々で、そういう方々がキング先生の門下で楽しく遊んでいるわけだったりするので、キング先生の指導だけで上達したわけではない人も、大勢いたりするわけです。
それはさておき、とにかく楽しいんですよ、キング門下って。
“ある程度、歌えるようになったら、楽しく声楽ライフをエンジョイしましょう”ってのが、キング先生の到達目標なんだろうと思います。だから、そこそこ楽しめるようになれば、もうそれで十分だし、先生としての役割も一段落終えるわけです。
そこそこ楽しめる程度の実力から、その先に進もうとすると、本人も先生も茨の道を歩むことになるわけです。だって、そこから先は色々と大変だもん。だから、その先に進まずに、お楽しみの道にハンドルを切るのだって、指導者として、決して間違いだとは言えないわけです。
そう言えば、キング先生のところを辞める一年以上も前にも「すとんさんは、声楽の実技だけなら、もう、音大の入試を合格します」って言われた事があります。その時のキング先生は、ニコニコしていました。「よくぞ、ここまで成長したものだ(エッヘン)」っていう気分だったのかもしれません。
つまりキング先生の「教える事はありません」という言葉は「(ウチの門下で目標としているところには、すでに達しているので、これ以上を求めるなら別だけれど、ここではそこまでのモノを教えるつもりはないので、もうあなたには)教える事はありません」って事だったんですよ。
ああ、すっきり。そして、キング先生のところを辞めて、よかった、よかった。
だって私は“楽しい趣味ライフ”ではなく“厳しくても成長する喜びを感じられる趣味ライフ”を望んでいる人だもの。私という人間は、真面目なんですよ、かっこ良く言うと“求道者”であり“修行者”であり、ちょっぴり“マゾ”なのかもしれません(笑)。
今いるY先生の門下は、一見さんとか初心者さんは入門できません。しかるべき紹介者からの紹介がないと入門できません。門下には、趣味のオジサンオバサンがたくさんいますが、音大受験生もいれば、セミプロもいるし、現在売り出し中の若手プロもいます。譜面が読めるのは当然だし、イタリア語も「当然分かってますよね」というレベルでレッスンが成り立っています。だから、ただの趣味のオジサンオバサンたちであっても、目を剥くほど上手だったりするから、始末におえません。私、たぶん、今の門下だと、一番下手くそかもしれません(悲しい現実です)。
Y先生の門下は、レッスン自体はちっとも楽しくないし、楽しいイベントもあまりありません。門下生同士のつながりだって、そんなに強くないし、特別に仲が良いわけでもありません。むしろ、先生の元でしっかり学んで、別の場所で活躍する…って感じですね。当然、Y先生の考えていらっしゃる到達目標も、キング先生とは全然違うわけです。
この違いは、キング先生とY先生の違いだけでなく、誰であれ、習い事の先生にはあるんだと思いますよ。
例えば、私のフルートの先生だってそうです。最初に学んだ笛先生は『楽しくジャズフルートを演奏できるようになる』『セッションに行っても困る事がないようになる』『楽譜がなくても演奏できるようになる』などの目標がありました。一方、現在のH先生のところは『楽譜通りに演奏できるようになる』『ドイツバロックを中心に、クラシック音楽全般のフルート演奏ができるようになる』という目標があるように思えます。ほら、フルートだって、先生によって、到達目標が全然違うわけじゃん。
つまり、生徒にも色々いるように、先生にも色々なお考えの方がいらっしゃるって事です。
ですから、自分の求めるモノと、先生が提供するモノが合致する師弟関係がベリーグッドなわけです。そういう先生と出会える事は幸せだろうと思います。また、最初は合致していても、生徒自身も成長して、求めるモノが変わってくこともあるわけで、その度毎に、良い先生との出会いがある人は、神様に愛されているって言えるんだろうと思います。
なので、私は、キング先生を恨むのではなく、音楽の神様に愛されている事を感謝する事にしたわけです。
それにしても、習い事の先生って、看板は同じでも、内容が全然違うのですよ。ほんと、違うんですね。
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コメント
指導者によって本当に、指導も違えば目的も違うの、本当にそうですね!また、その門下生のレベルにもよりますしね!しかし、先生を頂点にしたとして、先生に近い発声やかなり近い発声もなかなかいません。やっぱり発声というか声楽って、本当に奥が深く、なかなか難しいものですね、、先生そっくりがいいかはわからないけれど、、でも、やっぱりお手本ですし、憧れます!
アデーレさん
>また、その門下生のレベルにもよりますしね!
結構、発表会などに行くと、その先生の到達目標とか、お教室の傾向とか、分かるかもしれません。お腹いっぱいになるほど充実した発表会もある一方、初心者ばかりの教室とか、毎年同じような曲しか歌わない教室とか、ゲストをいっぱい呼んでカタチを保っている発表会とか、男性がいっぱいいる教室とか、女性…ってかソプラノしかいない教室とか、ピアニストさんがたくさんいる教室とか…本当に面白いですよ。
宣伝文句を見聞きするよりも、発表会を見れば、その教室の事がよく分かります。
>やっぱりお手本ですし、憧れます!
それが声種が違うと、手本にならないんだな(笑)。私なんか、Y先生の真似をしようものなら「テノールはそう歌わない!」と釘さされますよ。で、K先生の真似をしようものなら「悪い例は見習わない事!」とか言われちゃいます。どないせいっちゅうねん。
こんばんは、今日の私にヒットしたフレーズ?はここでした。
>楽しい趣味ライフ”ではなく“厳しくても成長する喜びを感じられる趣味ライフ”を望んでいる人
あー、私もこういうタイプの人かな、同じだわ、と思いました。
趣味を同じくする仲間とわいわい楽しい時間をすごすだけのグループレッスンもよくありますけど、私にはつまらないんです。優越感とか劣等感とかはお仲間との比較の結果で、そんなのはとても不毛だと思います。それに、私は一人でも音楽を楽しめちゃうんですけど、やっぱり、何事も独りよがりになってしまうので、自分の思いこみではなくて客観的に正しく上達したいんです。他人との比較じゃなくて、今より前の自分の技術と比較して納得したり落ち込んだり。で、たまに、がんばった結果が出てちょっとVサインできたり、がおもしろいと思うんです。そういうタイプの音楽趣味もいいものですよね。
だりあさん
>他人との比較じゃなくて、今より前の自分の技術と比較して納得したり落ち込んだり。で、たまに、がんばった結果が出てちょっとVサインできたり、がおもしろいと思うんです。
そうそう、そうなんですよ。今の自分と前の自分の比較が楽しいんです。他人と比較しても、色々と条件が違いすぎて、面白く無いですし。もしも、同声で年齢もキャリアも近くて、実力も近い人が身近にいたら、その人の事をライバル視して、ビンビンに比較して張り合うかもしれないけれど、残念ながら、私の身近にはそういう人、いないんですよ。ああ、残念。
キング門下なら、Yテノールさんがちょっぴりライバルっいい感じでしたが、今の門下は…とにかく皆上手すぎて上手すぎて(大笑)。
過去の自分との比較も楽しいですが、未来の自分に向かって、ケンカを売るのも面白いですよ。「ぜったいに○○を出来るようにしてみせる、待ってろよ~」ってな感じです。
まあそうなんですよね。
ですから、大人の方の先生探しは難航を極めるのだと思います。
すとんさんの記事に付け加えると、大抵の方はご自身が「ゆるゆるでおっけー」なのか「いや、どうせならうまくなりたいよな」なのかがわかんないと思うんです。
ひょっとしたらすとんさんも、キング先生のレッスンをずっと受けてきたことで、Y先生のような「自分を向上させるレッスン」を欲していることに気づかれたのではないですか?
「タラレバ」の話になるんですが、最初からY先生だったらすとんさんめげちゃってたかもしれませんよ。
私、どうも趣味の先生としては結構要求厳しい先生らしいんですけど、私が教えた人の中には、子どもの頃ユルユルの先生に習って面白くなくてやめちゃったっていう人がいるんです。子どもは先生を変えるということは思いつかないもんね。それにユルユルで物足りないから面白くないことにも気づいてないかもしれない。
ま、やってみないとわかんない、ってこともあるんですよ。
うちの大人チームの皆さんはどっちかっつーと
>厳しくても成長する喜びを感じられる趣味ライフ
のために来ていらっしゃるようです。
ことなりままっちさん
>大抵の方はご自身が「ゆるゆるでおっけー」なのか「いや、どうせならうまくなりたいよな」なのかがわかんないと思うんです。
分からない…と言うよりも、両方だったりするんじゃないかな? オトナって。ワガママだもん。楽しみでから、上達したいんですよ。あとは、どちらの優先順位が高いか低いかって事だと思います。私だって、上達したいけれど、本音じゃあ楽しみたいですもの。
おっしゃるとおり、キング先生のゆるゆるレッスンを受けていたから、Y先生の少しのムダのない一直線なレッスンに耐えられるわけで、たしかに最初からY先生だったら、退屈で文句を言ってるかもしれません(笑)。いや、だって、オトナってワガママだもん。
>それにユルユルで物足りないから面白くないことにも気づいてないかもしれない。
そうそう、ゆるゆるレッスンは物足りないんです。そうなんです、物足りない。だから、レッスン以外のところで面白さを足さないといけない…のかもしれません。
うん、きっと、そうなんだ。