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LFJ2015 その5 “頭”は「あたま」ではなく「かしら」と習いました

 マタイ受難曲が終わると…もう夕飯時です。そりゃあそうだよね、日暮れ時にホールに入って、それから3時間だもん。夕飯も夕飯、少し遅いくらいだよね。

 で、どこで何を食べようかと言う話になりました。東京国際フォーラムなんだから、地上広場で行っている屋台村で御飯を食べるべきだよね…と思って、ひととおりお店を見て回ったけれど、私の興味を引いた店は、一軒を除き、特にありませんでした。その私の興味を引いた一軒というのが……実は、ウチの近所で営業している店でした。いやあ、確かに美味しい店なんだけれど、いつでも食べにいけるお店なので、わざわざ東京国際フォーラムで、それも屋台仕様で食べる必要もないだろうって事で、パスする事にしました。

 で、仕方がないので、有楽町の駅に行って、時間もないので、吉野家の牛丼を食べる事にしました。いやあ、面目ない。

 で、本当に久しぶりに吉野家さん入ったら、なにやら牛丼に、私の知らないカテゴリーが誕生していました。『普通』『大盛』『特盛』は分かります、『頭』って何ですか? 牛の頭でも入っているの?

 そこで店員さんに尋ねたところ「“かしら”ですね。それは、御飯は普通盛りで、お肉は大盛りなんですよ」との事。おお、それは今の私の気分にピッタリじゃん、それで行きましょう。…というわけで、別の店員さん(中華系?)の方に「牛丼、かしら、ひとつ」と注文しましたが、全然通じませんでした。私の発音が(ネイティブ・ジャパニーズだけれど)悪いのかなと思って、やや声を張って滑舌よく「牛丼、かしら、ひとつ」と頼みましたが、通じませんでした。で、ややあって、店員さんが「かしら、おおもり、ですか?」と尋ねてきたので、面倒くさいので「それそれ」と答えました。

 で「かしら、おおもり」ってのは“かしらだけを大盛りにした牛丼(つまり、私が期待している「かしら」”が出てくるのか、それとも“大盛り牛丼のかしら増し”なのかしらと、ワクワクしながら待っていたら、普通に“かしらだけ大盛りにした牛丼”が出てきました。なんか、残念な気分になりました。

 ちなみに、後日、ネットで調べたら、私が頼んだ「かしらの大盛り」はネットでは「あたまの大盛り」というようです。“頭”という漢字を「かしら」と読むか「あたま」と読むかの違いでしょうが、吉野家の店員さんが「かしら」と言ってたんだから、たぶんネットの方が間違いで「かしら」が正解なんでしょうね(きっとそうに違いない)。

 で、サクサクと夕食を食べたら、速攻で展示ホールに行きました。なんと、本日始めての展示ホールだよ(笑)。

キオスクコンサート(金管バンド:東邦音楽大学ブラスクワイア)

 さて、展示ホールに戻るやいなや、ゆっくりする間もなく、演奏が始まってしまいました。もう、展示ホールを見物している暇すらないです。曲目は、以下のとおり。

トマジ:典礼風ファンファーレ

 金管バンドと言うのは、いわゆる“ブラス・バンド”の事で、金管楽器と打楽器だけで構成されているバンドの事です。いわば、吹奏楽のオリジナル形態って奴ですね。

 まあ、今の吹奏楽は、金管バンドに木管を始め色々な楽器が加わっているわけで、弦楽合奏の有無を除けば、オーケストラとほぼ同じ楽器構成です。それでも以前は、そういうバンドの事をブラスバンドと呼んでいたし、私もついつい習慣で“ブラバン”って呼んでしまうけれど、今の吹奏楽は、ブラス(=金管楽器)ばかりじゃないのだから、やはりブラスバンドと呼ぶのは、厳密には間違いで、どうしてもブラスバンドと呼びたければ、この金管バンドのようなバンドを呼ぶべきだと思いました。それくらい、今の吹奏楽って、ブラバンから、かなり遠いところにいるでしょ?

 まあ、そんな細かいところは横に置いておいて、この東邦のブラバン、すごく上手でした。ほんと、演奏は極めて上手でした…が、正直言って、つまらない演奏をしていました。

 だいたい、曲目が悪いと思いますよ。おそらく、金管バンドの威力を発揮するには良い曲なんだと思うけれど、バンドの威力を発揮したって、つまらない音楽はつまらないんだよね。

 吹奏楽系のバンドって、どこも体育会系だから、演奏するのが難しい曲を巧みに演奏する事に重点を置きたがるんだけれど、やっぱり音楽はエンタメだから、それじゃあ、あまり面白くないんだよね。

 曲の難易度と、お客を喜ばせる事って、全く関係ないんだよね。

 「下手でもいいから、もっと心がワクワクするような音楽を演奏してくれ~」と私は切に願いますが、こういう考え方って、きっと吹奏楽の世界の人たちの発想とは、根本的に違うんだろうなあ…って思います。

 それにしても、疲れちゃいました。もう10時間ぐらい、音楽聴きっぱなしです。

 当初の予定では、この後、合唱団の演奏を聞いてから帰宅する予定でしたが、あんまり疲れたので、合唱団はパスして、さっさと帰宅することにしました。いやあ、以前なら、体力が続く限り、遅くまでズルズルと会場に残って、ありったけの演奏を聞いていたのに…いやあ、年は取りたくないねえ(笑)。

 まだ、東京国際フォーラムだって、きちんと見まわっていないけれど、そういうのは、また明後日(5/4)に来るので、そこでまたしらみつぶしにチェックすればいいじゃんという事にして、この日は会場を後にして、家路に着くことにしました。

 ご苦労様。また、一息入れたら、この続きをアップします。

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コメント

  1. アデーレ より:

    芸の道は険しいですね!上手くなりたいけれど、上手くても心を打たない演奏もあるのですよね!多少、下手でも味のある演奏であったり、歌であれば、所々、キラッキラする声であれば素敵ですね!色々、私も歌を習いながらも段々と、悩みも深くなります!音色はなかなか、深くならず。涙

  2. だりあ より:

    こんな楽しいイベントが毎年続いているんですね。すとんさん、毎日都心へ通勤状態で楽しそう[E:lovely]。

    >下手でもいいから、もっと心がワクワクするような音楽を演奏してくれ~

    これ言えてます。私も時々よく思います。
    上手いんなら、もうぶっちぎりでうまくなきゃ、普通にお上手くらいではつまんないんですよね。どうかするとアマチュア演奏家のコンサートのときに、こちらもワクワクしてくる気持ちがして心が打たれるときがあります。演奏されてる人たちの「この曲が大好きですから」が伝わってくるからでしょうかね。
    マタイ受難曲、おつかれさまでした。バッハ渾身の名曲ですよね。ミサ曲ロ短調ってのも好きです。

  3. すとん より:

    アデーレさん

     演奏って、もちろん上手な方がいいに決まってます。問題は、上手なだけではダメで、上手+αでないと客の心はつかめないって事なんだと思います。音楽は「音を楽しむ」なんですよね。「音の道」とか「音を極める」じゃなんです。そこを忘れちゃダメなんだと、私は個人的に、思ってます。

    >歌であれば、所々、キラッキラする声であれば素敵ですね!

     結局、超絶技巧よりも、美音や美声である方が、客のハートはつかめるんだと思います。テクニックはもちろん大切だけれど、それ以上に音作りは大切なんだと思います。本当に上手な人の演奏は、テクニック以前に、その音を聞いて、その音の美しさに感動して「ああ、この人はなんてスゴイんだ」って思うもんなんです。

  4. すとん より:

    だりあさん

    >マタイ受難曲、おつかれさまでした。

     マタイは、演奏する方はもちろんですが、聞く方も体力が必要です。ほんと、魂なんて、持って行かれっぱなしですから、聞き終えると、かなりぐったり来ます。ま、本当に感動すると、持って行かれた魂が戻ってこなくて、しばらく椅子から立ち上がれなくなります(今回のマタイは、そこまでは感動しなかった:笑)。

     今回のマタイを聞いて感動したのは、マンメルというテノール歌手の底力です。最初から最後まで、本当に歌いぱなしなんですよ。ほんと、命を削りながら歌っていると思いますよ。福音史家という役は、ドイツ・テノールの中でも、限られた人しかやらない役ですが、今回の演奏を聞いて、あれは『やらない』んじゃなくて『できない』だと分かりました。いやあ、3時間も、あんな高い音で歌い続けるなんて、そりゃあ半端なプロじゃできないよ。

     バッハも地味に残酷な事をしているなあ…って思ったわけです。

     でも、最後の最後で福音史家がヘトヘトになっているのは、イエス・キリストの受難というテーマを考えれば、当然なのかもしれません。

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