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子供叱るな、来た道じゃ。年寄笑うな、行く道じゃ

 フルートのレッスンに行ってきました。今回は、さすがに仕事に疲れ切ってしまったので、職場を割と早め(と言っても、最近の“早め”)に出て、ちょっとは練習してからレッスンに行こうかなと思ったのですが、やっぱり、疲れ切っていると練習はムリですね。家で着替えたりしているうちに、あっと言う間に時間が過ぎて、何もしないまま、レッスンに行かざるを得なくなりました。

 お教室に入って、先生に「前回のレッスンで、フルートをケースにしまって以来、フルートケースのフタを開けるのは、これが初めてです」と告白しました。だって、新年度の始まりで、超忙しかったんだもの。先生からは「土日も練習できなかったの?」と尋ねられましたが、土曜日は普段以上の労働時間だったし、日曜日は一日中寝てましたので、フルートの練習なんて、頭の片隅にも浮かばなかったというのが、本当のところです。

 なので、前回同様、レッスンの中でフルートの練習をする、といった感じになりました。

 一週間、まるっきりフルートに触っていないと、フルートがさぞ吹けなくなっているモノだろうと思ってましたが、全然そんな事もなく、上手さも下手さも一週間前をきちんとキープしていました(笑)。

 もう何だかんだ言っても、フルートを五年間、ほぼ毎日吹いてきたわけで、それだから、たった一週間(じゃなくても、もう少しあるかな?)ぐらいフルートに触れなくても、音が出なくなったりとか、指がからまるような事になったりとか、そういう事はないみたいです。もちろん、こんな状態が数週間から数カ月も続けば、話も別だろうけれどね。

 オジサンだから、マスターするのも遅いけれど、一度マスターしたモノを忘れるのも遅いんです。

 そんなわけで、ロングトーン(いやあ、ムラマツとミヤザワだと、ほんと、気持ちいいです)の練習の後は、アルテの15課8章Des-durです。

 最初のロングートーン練習は、実にゆっくりゆっくり、音を確認するようにやりました。ゆっくりやれば、そんなに間違えないわけだ。

 1番の『音階準備練習』もゆっくりゆっくり、頭で考えながら、なるべくミスをしないように慎重に吹きました。上行音階だけやったところでストップがかかりました。続きは家でやってらっしゃいって事ですね。

 今回の私は、頭の中で必死に「ド、レ、ミ、…」とか思いながら、楽譜を見ずに、頭の中の階名唱だけを頼りに吹いてみましたが、それではダメなんだそうです。

 と言うのも、Des-durは、Cis-durと、フルートの運指的には全く同じ音なんだそうです。なので、楽譜を見ずに練習するのは、とてもナンセンスなんだそうですよ。きちんと楽譜を目で見て、一音一音を確認しながら演奏しないとダメなんだそうです。Des-durは、ただ吹ければいいのではなく、ちゃんと楽譜と実際の音符の一対一の関係をカラダに叩き込まないといけないんだそうです。ああ、ややこしい。

 ミニヨン・エチュードは…出来る所はテンポを速めて、出来ない所はテンポを遅くするのはやめなさいと、注意されちゃいました。注意されながら「私は子どものピアノ発表会レベルの演奏しか出来ないのか!」と自分で自分に突っ込みを入れながら、ピアノ教室のピアノの方が、私のフルートよりもお上手な事に、今更気がつきました。しょーもないです(爆)。

 とにかく、早く仕事が落ち着いて、フルートの練習を出来るようになりたいわけです。

 今回の雑談は…パソコンって難しいね、と言う話。現在、私は職場の小さな机の上には、普段はパソコン二台、多い時で三台並べて、それぞれを同時だったり、交互だったりと、同時並行的に使用しています。そのため、机の上が、パソコンのキーボードとマウスと、それらのコードでグッチャグッチャです。それはそれは大変な状況です。なので、なんとかキーボードやマウスを共有して、机の上のスペースを確保できないものかと思って、レッスン帰りに近所の電器店にでも寄ろうかなという話をしました。

 すると、先生も電器店に行きたいというではありませんか? で、話はそこから始まったわけです。

 先生は、お年の割にはパソコンを使いこなしていらっしゃる方なのですが、別にパソコン自体が好きなわけでも、得意なわけでもなんでもなく、お弟子さんたちの数名に、パソコンのオーソリティーがいらして、彼らが先生のパソコンを管理&メンテしているのだそうです。

 なので、先生自身は、パソコンを日常的に使っている割には、それほど詳しくもなければ、得意でもないのです。

 そんな先生を気づかって、パソコン担当のお弟子さんたちも、色々と使い勝手を考えてくれていたわけです。例えば、マシンをいくら新しく速いマシンに買替えても、使うソフトは先生のお得意な「一太郎」と「ロータス123」にしていたなども、そういう事です。

 でも、さすがにこの時代です。もはや「一太郎(とは言え、バージョン数は不明)」と「ロータス123」の時代ではありません。ついにパソコン担当のお弟子さんに「一太郎」&「ロータス123」の組み合わせは諦めて「ワード&エクセル」にしましょうとの説得が始まったのだそうですし、先生ご自身も、もはや「ワード&エクセル」を使わざるを得ないかなと覚悟を決め始めているのだそうです。

 「年を取ると、新しい事を覚えるのが面倒でね…」と先生はおっしゃるわけです。その気持ち、私も痛いほど分かります。ほんと、年を取ると、今までの自分の人生なり知識なり経験なりを、まとめて整理する事には前向きになれますが、新しい事を自分に取り込むのは、本当に苦手になります。先生も、頭じゃ「エクセルをやらないといけない」と思っているのだそうですが、カラダがエクセルを拒否するんだそうです。

 「では、今までのパソコンを壊れるまで使い続ければいいのでは? そうすれば、手慣れたソフトをいつまでも使用しつづけていられますよ」と水を向けると「いやあ、今のパソコンは重くてね。新しいソフトを入れるたびに、パソコンがドンドン遅くなるし、最近はCDを焼いても、途中でエラーが出るようになってきたので、やはり新しいパソコンを買わないとダメかなあ…と悩んでいるんだよ」だそうです。ああ、その話も痛いほど分かります。パソコンって、使っているうちに、ドンドン遅くなるし、エラーが頻出するようになるんですよ。ハードウェア的にもソフトウェア的にも経年劣化してくるんだと思います。まあ、フォーマット&再インストールで、ソフトウェア的な経年劣化はクリアできますが、それもかなり面倒な話ですし、そんな事をしてもハードウェア的な経年劣化はどうにもできません。やはり、ここは新規マシン投入&新環境作成がベストでしょうね。

 でも、新しいパソコンを買ってしまうと、使い慣れた『一太郎&ロータス』の環境ではなく、新しく『ワード&エクセル』の環境になってしまうのが、ちょっとイヤなんだそうです。

 と言うのも、一太郎はともかく、ロータスは新しいWindowsでは動かないんだそうです。

 そこでググってみたところ『ロータス123』は確かにXPでは動くけれど、Vistaや7には対応していないし、今後も対応しないんだそうです。つまり『ロータス123』と言うソフトは、すでに死んだソフトだったのです。

 かつては『123』と言えば、表計算ソフトの代表的なソフトだったのに、今や時代は変わったんですね…。

 なので、ロータスが使えないのなら、仕方なくエクセルに乗り換えざるを得ないH先生なのですが…乗り換えたくないんだそうです。ああ、その気持ちもよく分かります。

 そしてエクセルに乗り換えるなら、ワープロもわざわざ一太郎の新バージョンに買替えてではなく、エクセル買えば一緒についてくるワードに乗り換えてしまいましょうって話になっているのだそうです。その事自体には、先生ご自身も同意されているのですが…。

 こういう事って、つまり『時代に取り残される』…って事なんだろうなあって思いました。

 これはH先生個人だけの話ではありません。私だって、実はウカウカしてられません。ふと気がつくと、私だって、パソコンに限らず、時代に取り残されてしまう可能性は大ですよ。

 『子供叱るな、来た道じゃ。年寄笑うな、行く道じゃ』

 まさに、この言葉のとおりだなあと、日々痛感している私です。

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コメント

  1. su_zan より:

    すとんさん、どんまいよ。
    わたし、会社いく前に10分でも音出してます。

  2. だりあ より:

    ほんとに、取り残される、って、や~な響きのことばですよねえ・・・。うら寂しいというのでしょうか。ただいま実感中の自分にとってなんてタイムリーな話題、と思って読みました。H先生のお気持ちがよくわかります。

    まあ家事の仕事でいえば、ドラム式洗濯機とか電磁調理器とかの機器の進歩や変化に取り残されても、開き直っていればいいときもあるんで気分的には助かっています。「母の味」とか「昔の手わざ」とかも変わらないことに価値を持ってますので、けっこう気楽なんですよ。時代に取り残されれば取り残されるほど価値が出てくるっていうこともあるのでしょうね。コンピューター系の技術革新は、新しいモノをどんどん売らなきゃ経営がなりたたないので、せっせと買ってもらわなくちゃいけないので、その戦略に載せられてしまうと大変ですね、際限なく変化に出費しなくちゃいけないです。
    10年も経たない「あっと言う間」に機器もソフトも古いのが使えなくなっちゃって廃棄機器売れ残りソフトの山、なんてまあオソロシイことになってきましたね。これからどうなるんでしょうか。

  3. すとん より:

    su_zanさん

     私は以前、出勤前の五分とか十分とかを使って練習をしていました。練習していたのは、ヴァイオリンだったのですが…。

     いやあ、私には出勤前の時間で練習はムリだよ。たとえば「五分あるから練習しよう」と思ってヴァイオリンを弾きだして、ふと気付くと十五分ぐらい経っていて「ありゃりゃ、これじゃあ遅刻してしまう」ってな感じになって、走って職場に行ってみたり(普段は徒歩通勤なんです)。朝から長距離を走るとカラダに悪いし、その日一日の体力を使い切ってしまって仕事になりません。

     まあ、得手不得手と言うか、向き不向きって奴があって、私はじっくり腰を据え練習できないと、怖くて怖くて…。

     とは言え、フルートはいつでも練習できるように、常にプラ子はスタンバっているんですけれどね(笑)。

  4. すとん より:

    だりあさん

     取り残されるってのは、技術の革新に付いていけない“取り残され方”もありますが、若い世代のバイタリティやパワーに圧倒されて「こりゃあとても敵わない…」と白旗振っちゃう“取り残され方”もあります。

     技術の革新なら、努力でどうにか出来ますが、出来の良い若い世代がヒタヒタと、私の背後のすぐ近くまでやって来ていて、背中を押されるようなプレッシャーを感じながら走っていくのは、寂しいと言うよりも、世代交代の怖さを感じます。やがては、彼らに追い抜かれてしまうんでしょう。そして、彼らの後塵を拝する様になるでしょう。そういう感じで“取り残される”のは、ほんと、かなわないですよ。

     でも、私は、実際のところ、そんな感じ。いや、もうすでに追い抜かされているんだけれど、それを認めたくないだけなのかもしれない。時刻で言えば、すでに午後だもの。昇る太陽や、昼間の太陽のようには輝けない、夕陽な私がここにいるわけです。

     だから、ほんと、取り残されるって点では、決して他人事ではない私なのです。

     でも、もう少しだけ、ガンバロっと。

  5. だりあ より:

    おはようございます。取り残されただりあの続きです、連続で失礼します。
    私はその時間でいえば夕飯をとっくに食べ終わって、夜九時のnhkニュースをあれこれぼやきながら見ているあたりでしょうか。私が輝くような夕焼け雲を見てたころは、人生の真昼間の人たちはキラキラバタバタと輝いて見えてました。時計は巻き戻せないのわかっててもちょっと妬ましかったかな。
    夕暮れすぎて今の九時ころはまた感覚がかわってましてどんどん闇が深くなりまして・・・・。はい、いろいろと、あちこち・・・。
    すとんさんは今、とってもいい時間に立っていらっしゃるんだと思いますよ。いい意味での「光芒のとき」。

  6. すとん より:

    だりあさん

    >光芒のとき

     うむ、カッコいいねえ~。神様の御告げがもれなく付いてきそう(笑)。

     それはともかく、私が思うに、朝日には朝日の清々しさがあり、昼の太陽には昼の太陽の輝きがあり、夕陽には夕陽の味わいがあり、月夜には月夜の輝きがあると思います。そして、それらはそれぞれに美しいのだと思います。

     ただ、夕陽には夕陽の味わいがあるけれど、夕陽には朝日のような清々しさはないし、昼の太陽のような輝きはない。だから、朝日や昼間の太陽と同じ土俵で戦ったら負けるに決まっているわけで、夕陽には夕陽にふさわしい土俵があるわけです。

     でもね、自分自身もそうだし、世の中的にもそうなんだと思うけれど、社会は無言のまま、昼間の太陽の土俵で戦う事を求めているわけですよ。だから、朝日たちは「ここは自分たちの土俵じゃない」と不平不満が溜まるし、夕陽たちは無力感と寂しさと喪失感にさいなまれるわけなんです。

     本音で言えば、さっさと昼間の太陽の土俵から下りたいですよ。で、審判席から昼間の太陽たちに物言いをつける夕陽さんになりたいと思う一方で、まだまだ昼間の太陽の土俵で、若い者には負けないぞという気持ちもあったりなかったりします。

     夕陽さんは、夕食前なので、結構、ガツガツしていて、ハングリーだったりするんですよ(笑)。

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