これは覚書程度の記事です。
私はテノールなので、高音命で、これまで毎日練習をしてきたわけです。
キング先生時代は、それこそ“必死”になって、日々練習してきました。来る日も来る日もキーボードの鍵盤を叩いては、その音に合わせて声を出そうと必死になっていました。「発声にはコツなんて無い。ただ練習し続けるだけで、何度も何度も練習をしていれば、やがて出来るようになる」というのが、キング先生が教えてくださったやり方だったので、その言葉を信じて、毎日毎日必死になって練習していたわけです。
キング先生に、私は……頭を使いすぎる。考えすぎる。すぐに楽な道を探して、楽をしようとする。コツを見つけて、何とかしようとする。……それじゃあダメだと言われ続けてきました。とにかく、正面からぶつかって、何度も跳ね返されているうちに、目の前の壁にも穴が開くから、それを目指して、毎日ぶつかれって事です。理屈じゃなく、カラダで覚えろと言われました。出来るまでやり続けろとも言われました。
実際に、このやり方で、高いGまでは(危なげながら)発声できるようになりました。でも、力付くで問題を解決できたのは、そこまでで、それから先は全然ダメでした。と言うのも、そこから先は、何をどうやってダメなんです。なぜなら、そこから先は、ノドが塞がってしまって息が通りません。息が通らないので、それ以上高い音は、息が音に変わらないのです。
だから、キング先生に、テノールを諦めろと言われました。もうどんなに頑張っても、高音を出せるようにはならないから、諦めろと言われました。バリトンに転向しろとも言われました。これ以上のテクニックも身に付かないから、私がオペラアリアを歌うのは無理だとも言われました。だから、歌曲を歌いなさいって言われました。
歌を続けるなら、上を見ない事。上達を望むのではなく、楽しく歌う事を心がける事。バリトンに転向して、歌曲を歌っていくなら、まだまだ楽しく歌って行けるけれど、テノールのままで、オペラを歌おうと思っているなら、それは無理な話だし、無理をやるなら、大変な事になるし、面倒みきれない……とまあ、そういう事を言われました。
「この先生の元では、もう無理かも…」と思ってしまいました。で、その後、色々とあって、結局、師事する先生を、キング先生からY先生に変えました。
一応、キング先生のために言葉を補っておくなら、キング先生のやり方がマズいわけではありません。そういうやり方も当然あるわけだし、このやり方ですごく上達した生徒さんもいます。ただ、私には、彼のやり方は、結果として、合わなかっただけですし、彼のやり方では、これ以上の上達は望めないだけの話なんです。
Y先生のやり方は、キング先生とはまるで違いました。
まず、やみくもに高い声を出す事は、禁じられました。特攻隊じゃないんだから“正面突破”は厳禁です。必死になって練習するのもダメです。キーボートに合わせて声を出すのもダメです。今までのやり方は、全面否定されました。
まず最初にやった事は、カラダ作り。体幹の筋肉を使えるようにする事。これは筋肉を増やすという面もあるけれど、それ以上に、動かしていなかった体の部分に神経を通して、それぞれの部位を随意で動くようにする事を目指しました。
そして、ノド声からの離脱。私の歌い方は、典型的なノド声であって、ほとんどカラダを使っていない歌い方だったそうで「よく、その歌い方で声をつぶしませんでしたね」と呆れられるような、乱暴な歌い方だったそうです。まずは、ノド声を止める事。そして、カラダを使って、楽に歌う事を覚える事を目指しました。
その上で、以下の事に注意をしながら発声するように言われました。
☆)支えをきちんとする事。そのために、腹筋背筋を意識的に動かす事。
☆)息の勢いで無理やりに発声しない事。
☆)ノドや胸や肩に力を入れない事。それらの場所で息を支えない事。
☆)ノドの締めつけを止め、息と声を連動できるようにする事。
☆)クチの中を大きく開ける事。目も鼻も耳も、開けられる所は全部開ける事。
☆)音程はクチの奥の開き方で作る事。
☆)太くて軽い声で低いところから高いところまで歌うこと。細くて重い声はNG。
☆)大きな声で練習しない事。練習する時は、小さくて優しい声で練習する事。
☆)体に痛みや違和感を感じたら、すぐに歌うことを止める事。
☆)音程もカラダの痛みも、すべて、絶対に無理はしない事。
☆)高音域に必要な響きは、鼻腔で作る。声は奥に、響きは前に、です。
☆)歌う時は、一瞬たりとも、筋肉の動きを止めない事。常に柔らかく動かし続けている事。
☆)高音は軟口蓋を上げる事で作ります。つまり、高音発声は、軟口蓋がどこまで動くかで勝負になるわけです。
☆)音程が不安定なのは、音感の問題ではなく、発声の問題である。発声が正しくなれば、音程は安定する。
☆)安定した高音発声のためには、高音そのものではなく、そのすぐ下の音域を重点的に練習する事。つまり、歌える音域を鍛えて、それを上に伸ばす事を考えるようにしよう。
☆)今、できない事は、同じ練習をしている限り、いくら練習をしてもできるようにはならない。常に練習方法を点検確認して、試行錯誤していく必要がある。
☆)高音が出ないからと言って、高音そのものを出す練習をしても、それはあまり効果的とは言えない。高音の前に、低音域・中音域の発声を見直す必要がある。
まだ他に…何があったかな? とにかく、Y先生がおっしゃるには、高音には決まった出し方があるので、正しいやり方で発声する事が大切であって、自己流で高音をマスターするのは難しい事だと言われました。高音は、実はちょっとしたコツで出せるようになるけれど、そのためには、元々高音を持っている事が大切だし、そしてカラダが歌うカラダになっている事も大切なんだそうです。
私の場合、高音は持っているけれど、カラダが全然ダメなので、まずはカラダを作るところから始めましょうって事です。
また、高音発声に限らず、声楽テクニックは、試行錯誤を重ねてカラダで習得していくのではなく、メソッドをきちんと理解して、頭脳でカラダを制御して、一つ一つ確実にマスターしていく、Y先生のやり方の方が、私には向いているようです。
どうも、カラダで覚えるのは、私には無理のようです。やはり、アタマを使ってマスターするのが、私らしいと言えば私らしいやり方です。
Y先生に変わって、半年を過ぎて、少しずつ光明が見えてきたような気がします。少なくとも、歌う時に痛みを感じないようになりました。それだけでも、かなりうれしいです。高音発声も少しずつ楽に感じるようになってきました。以前よりも、高いフレーズを歌う事をバクチのようには感じなくなりました。とは言え、まだ発声方法を変えて、半年ちょっとなので、大した変化はありませんが、その兆しを感じるようになりました。
外から分かる結果は、まだ大きくは違いませんが、歌っている本人にとっては、すでに全然、別世界にいるが如く、今までとは全く違った場所にいるような感じになってます。それくらい、内面的には大きく変わったのです。
いずれ、テノールらしい高音で自由に歌えるようになれる日が来るんじゃないかと思うと、なんかワクワクします。そんな予感がする、2013年の春なんです。
バリトンに転向しなくて良かった、と言える日が来る事を望んでます。
蛇足 Y先生に「私は高音が苦手なので、バリトンに転向した方がいいでしょうか」と以前聞いた事があります。先生の答えは「あなたがバリトン? それは無いでしょう」でした。結局、高音が得意であろうが苦手であろうが、テノールはテノールだと言うことです。高音の出ないテノールになるか、高音を得意とするテノールになるかの、二つに一つしか選択肢はないってことです。……なら、高音を得意にするしかないよね。
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コメント
>>また、高音発声に限らず、声楽テクニックは、
>>試行錯誤を重ねてカラダで習得していくので
>>はなく、メソッドをきちんと理解して、頭脳でカラダを
>>制御して、一つ一つ確実にマスターしていく、
>>Y先生のやり方の方が、私には向いているようです。
すとんさんは、頭脳派なんですね。
もっとも、そこが大人のいいところでもありますよね。
でも…私はどうも、頭弱いらしくって…(笑)
言われても分からない、調べて理屈分かっても実際に手が動かないんです…
それこそ、一緒に弾いてもらうのが一番効果的。
それと、先生が私の後ろに回って、楽器を左手で持っているのは私自身だけど、右手で弾くのは先生ご自身の手というような格好で(いわゆる二人羽織もどき?)、こういう感じ!と言われると、何かできちゃったりするんです(笑)
游鯉さん
人それぞれ、向き不向きがありますからね。
それに声楽って、楽器と違って、肝心な事は目に見えないんですよ。楽器なら、演奏法とは見えますから、先生がやった事を見たままに再現して習得していけばいいのですが、声楽は先生がやっている事など、何も見えません。ただ、歌声があるだけなんです。
何をどうすれば、そうなるのかが、全く分からないのが声楽なんです。
分からないからと言って、試行錯誤を繰り返してはいけないんです。私は以前、分からないので、試行錯誤を繰り返していてレッスンに臨んでいたのですが、その度にキング先生から「余計な事ばかりしてきて」と叱られたものです。試行錯誤を繰り返すのではなく、勘を働かせて、正しい事を見つけて、それを繰り返して練習してくるのが、キング式なんです。
つまり、私は頭脳派というよりも、勘が鈍い人間なのかもしれません。勘が鈍いので、その分を考えないといけないだけなんだと思いますよ。
勘の事を、一般的には、適正とか才能って言うんだと思います。そして、私は適正やら才能やらに欠けているので、その分を努力で補っているだけなんですよ。つまり、私は凡人なんです。凡人なので、キング先生のような才能あふれる天才のやり方には付いていけないだけなんですよ。
>>勘の事を、一般的には、適正とか才能って言うんだと思います。
なんか、これ、すとんと附に落ちました。
私の師事した先生方って、練習時間が少なかったらしいんですよ。
もちろん、趣味レベルの人の練習量しかなかったという意味じゃなくて、音大とか仕事仲間内の人達に言わせると、少ないというレベルなんですが…
結婚してから奥様に「こんなに練習量の少ない音楽家、初めて見たわ」とか言われた人とかね(笑)
彼らに言わせると、私ほど時間を費やさなくても、何となく出来ちゃうようになったらしいんで、私のことを「できなくても、できなくてもずっと努力して、できるようになるから凄いね、私なら、そんなに辛かったら途中でやめてしまう」って、嫌みじゃなく本気で言います(笑)
游鯉さん
私が思うに、プロの音楽家さんって、皆、元神童の天才さんばかりなんだろうと思います。だって、音楽の演奏って、ある意味、神業と言いますか、超人技なわけで、普通の人が少々の努力をしたって、たどり着けないところにいるわけですからね。
ただ、その才能も、磨かなければ光らないわけで、才能を持っていて、それを磨いた人たちがプロになっているのだと思います。才能は持っていても、磨かなかった人とか、私のように、才能がないのに、一生懸命に磨きをかけている人とかは、プロには到達しないんです。
>彼らに言わせると、私ほど時間を費やさなくても、何となく出来ちゃうようになったらしいんで、
そういうタイプのプロの方は多いと思いますよ。才能を持て余しているタイプなんでしょうね。うらやましい限りです。
でもね、私は思うんですよ。努力も才能のうちじゃないかなって。もちろん、才能のうちでも下級な才能かもしれませんが、努力できるのも才能。ホンモノの天才や秀才には敵わないけれど、少なくとも努力を積み重ねていけば、門外漢よりも上にいけるんだから、大したものです…と思う事にしております。
2009年の音源では艶のある若々しい、すばらしい声で歌っていらっしゃいますが、2年前からおじさん声になってますね。老化でしょうか、声をつぶされたのでしょうか。
第九を歌っていますさん
声はつぶしてはいませんから、単純に、老化でしょうね。
それと、2009年頃は、若いと言うか、細い声で歌っている私ですが、細い声ってのは未熟な声ですし、当時は細くて重い声だったんですよ。でも今は、あの頃よりも、声の倍音が増えて、声質そのものは、かなり太くなっていますし、軽くなっています。今後も太くて軽い声を目指して頑張っていくつもりです。
また、オジサン声だと思われたのなら、それはおそらく声の倍音の高音成分が不足しているからでしょう。私の声は、生で聞くと、かなり甲高い声だとよく言われますが、録音してデータを圧縮してネットにアップすると、だいぶ高音成分が落ちてしまって、その分、低音成分が目立ってきて、そこそこ聞きやすい(笑)声になってしまうみたいです。それもあるのかもしれませんね。