フルートのレッスンに行ってきました。
実はフルートのレッスンと、後輩の結婚のお祝いの会がバッティングしてしまいました。浮世の義理を考えれば、結婚のお祝いの会に行かないわけにはいかないし、しかしフルートのレッスンは休みたくないし…と言うので、仕事をなるべく早めに切り上げて、いつもよりも早めの時間にフルートのレッスンに行き、終わり次第(遅刻はしてしまうでしょうが)結婚のお祝いに駆けつける! というスケジュールを立てました。
はい、計画どおり、仕事を早めに終えて、さっさとフルートのレッスンに向かいました。で、お教室に行くエレベータの中に…フルートケースを持った妙齢の女性の方が! …もしや、H先生の生徒さん?
案の定そうでした。
同じエレベータに乗って同じ階で降りて、同じ教室に向かいました。ウチの教室は先着順にレッスンが受けられるので、ここで私が強引に先に入室すれば、先にレッスンを受けられるのですが、おそらく彼女は彼女のいつもの時間にやってきているはずですし、そこへ自分の都合で割り込もうとしている(?)のは私だし、何といっても、エレベータに先に乗っていたのは彼女の方だし、紳士である私の脳裏には「レディー・ファースト」という言葉も思い浮かんでしまったし……はい、急いでいたにもかかわらず、彼女に先の入室を譲りました。
私、きっと、正しい事したよね。
ほぼ同時に入室し、レッスンの準備です。私は準備が早いよ。荷物をババンと置いて、さっさとアルテ出して、フルートもチャッチャッと組み立てて…。先生はちょうど生徒さんが途切れていた時間だったようで、フルートを遊び吹きしてらっしゃいました。先に入ってきた姉弟子さんの準備を待っているようなんですが…しかし、フルートの組み立てなんて、金属パイプを三本連結するだけだろうが…そんなに難しい作業かねえ…。
姉弟子さんはアルテ15課の3章をやってました。私より、ちょっと先を学んでいる…まあ、ほぼ同レベルの方でした。当然、上手なところ(指が結構ちゃんと動く)とそうではないところ(音が全般的にかすれ気味)が混在していて、色々な意味でレッスンの様子を聞いていると私自身の勉強になります。私にせよ姉弟子さんにせよ、まだまだ学習途上ですから、フルートの演奏力にもデコボコがあるわけだし、あっていいわけだし「以て他山の石とせよ」って感じです。
さて、姉弟子さんのレッスンが終わったところで、三人でロングトーンです。一番ミスブローが多いのは…私です(汗)。いやあ、ここのお教室のロングトーンはC-durのスケールで行うのですが、私はどうしてもクロマチック進行したがる人なので、ついついウッカリ半音を入れてしまって「あれ? 濁っている??」ってなっちゃいます。
私のレッスンはミニヨンの3番です。はい、不合格でした。
「音楽って脈打っているんだよ。でもあなたの演奏からは、その脈が感じられないんだよ」と言われました。先生のおしゃっる事を翻訳すると…機械的にベターとフルートを吹かない事。一つのフレーズ、一つのパッセージ、一つの音楽の中にも強弱があって、それが音楽の生命力なんだよ…って事です。で、百聞は一見にしかずってわけで、先生が良い例と悪い例を吹いてくれるので『ああ、そういう事ね』って分かります。
五段目の最後の二小節[E-DisFis/E-DisFis]という運指がどうしても出来ません(汗)。次回のレッスンまでにはなんとかしないと…。
最後の三段は、私の嫌いな中音レがたくさん出てくるフレーズで、どうしても苦手意識があるので、中音レを気合を入れて吹いてしまうのですが、この中音レの連打は伴奏のフレーズ(通奏低音のようなものでしょうね)でして、肝心のメロディーは中音レ以外の音の部分。だから、メロディーを際立たせて、伴奏フレーズは控えめにして演奏するように言われました。ただ、楽譜に書いてあるものをそのまま音にして演奏しても、それは音楽ではないわけで、楽譜に書いてあることをきちんと分析して意識化した上で演奏しないと、ちゃんとした音楽になりません。ここで言えば、メロディと伴奏を分ける事、そしてメロディがしっかりとつなげて聞こえるように演奏する事。メロディと伴奏は異なる音色で演奏する事などです。音楽を演奏するってのは、知的な作業なんだな。
声楽だとメロディには歌詞がついているから、歌詞を手がかりにして色々な事が分かるけれど、フルートのメロディには歌詞が無い分、音符の連続の中から、その意味を汲み取っていかないといけないわけで、器楽曲の方が、譜読みが大変…かもしれない。その代わり、歌詞を翻訳する必要なんてないし、外国語の能力も必要ないけれど。
スラーでつながった音には主従関係があるのだから、まずは最初の音をしっかり吹いたら、後に続く音は“抜いて”演奏してあげる事。
次回で仕上がるように、しっかり練習してくるように言われました。そのためには、まず、ミスブローを減らして、音楽が乱れないようにしないとね。その上で表情づけだよ。
私の練習中に、いつも私の前にレッスンをしている姉弟子さんが来たので、私のレッスン終わりに二人でロングトーンをしました。本日二回目のロングトーンです。先生は…ちょびっと休憩でした。
レッスンが終わり、後輩の結婚のお祝いの会に遅刻していきました。お祝いの会と言っても、くだけた会で、居酒屋で仲間うちで笑いながらお祝いするような会でした。いわゆる網元料理をたくさん食べたわけですが…ちょっと引いたのは「金目鯛の煮つけ」。いやあ、金目鯛って金魚と瓜二つだよね。これは「金目鯛の煮つけ」って分かってはいるけれど、私にはまるで“金魚の煮つけ”にしか見えないんだね。それも、ウチで言えば“ジュナの煮つけ”だよ。いやあ~食べるのに、抵抗あるなあ。…もちろん、きちんと美味しくいただきましたが。
コメント
すとんさん、はじめまして
いつも興味深く読ませていただいてます
今日は朝から笑いました!
文章から察するに、姉弟子さんは準備に時間がかかったようですね
でも彼女の心中を推しはかると何ともお気の毒・・・
見慣れない 体格の良い 手際の良い 上手そうな紳士が、「早くしてね」オーラを
全身から放っていたのでは、楽器を組み立てる手も震えるというものです
「お先にどうぞ」っていうのも怖くて言えなかったんじゃないでしょうかねえ
初めてきて失礼ばかり申し上げました すみません
>フミエさん、いらっしゃいませ。
確かにフミエさんのおっしゃる通りかも(汗)。いえいえ、別に私は何もわざとプレッシャーをかけていたわけじゃないんですよ(神かけて誓います)。
でもね…見知らぬ、ガタイのいいオッチャンで、手にしたフルートも、ちょっと年季が入って渋い感じになりつつあるリングの総銀でしょ。で、態度もなにやらブスっとしている(リアルな私は非社交的で無口です…信じてもらえないかもしれませんが)ので、何やら勝手にプレッシャーを感じていたかもしれません。で、そんなオッチャンが自分のレッスンを最初から最後まで聞いていると思うと…確かにそれだけでアップアップになっちゃう人…いるでしょうね。
たしかに、申し訳ない事、したかもしれない(汗)。
以前、声楽の発表会に参加した時、会場に入って、係の人に「生徒さんたちの控室はどちらですか?」って尋ねたら「生徒さんたちの~」っという部分を聞き落としたのかもしれませんが、先生方の楽屋に通されちゃった事、あります。私は、見かけだけなら、プロの演奏家に見えるようです(つまり“見かけ倒し”って事ですね)。
決してすとんさんを責めてるわけではないですよ!
いろいろ想像したら、可笑しくて・・・(笑)
それにこの恐縮してるすとんさんも面白い!
姉弟子さんに読ませてあげたいですね
まるで付け足しのようですが(汗)、「音楽は脈打ってる」という言葉
とても印象に残りました
生身の人間が演奏するからにはジャンルが何であれ、
音楽に脈が感じられないと、ただの音ということになるでしょうね
私はフルート初心者ですが、脈が感じられる演奏を目指して
今日も練習頑張ります
>フミエさん
「脈打っている」って言葉、いい言葉でしょ。
私はパソコンが演奏する、いわゆる“コンピューター・ミュージック”と言う奴を否定しませんが、やはりそれは、人が演奏する音楽とは違う音楽だと思ってます。
音楽には二種類あって、それは「人間が演奏する前提で作られた曲」と「人間の演奏を必ずしも前提にせずに作られた曲」の二つです。後者の音楽が、最近のポピュラー音楽でして、ヴォーカル部分以外は全部パソコン演奏だったりするわけですが、そのパソコンによる正確無比な演奏が妙なグルーブをつくり出していい味出していたりします。だから、これはこれで良いのだと思います。それどころか、最近はヴォーカルまでヴォーカロイド(パソコンに歌わせる)でやってたりする曲まであるくらいですし…。
でも、クラシック音楽は、人間が演奏する前提で作られた音楽です。音楽の中に、演奏者が感じられるのが当たり前であって、それを無機物のような印象の音楽にしちゃあ、いけないわけです。
「脈打つ」って言葉、いかにも音楽に血が通っているような、心臓の鼓動が感じられるような、いい言葉ですね。音楽に命を注ぎながら演奏すると、きっと脈打つ音楽が奏でられるのではないかなって思ってます。
お互い、そんな音楽が奏でられるように頑張っていきましょう。
「脈打つ音」という言葉を聞いたときにすぐ連想したのが、ソノリテの「アタックと音の連結」の項に書いてある言葉です。
「音が最少の時間に最大の生命を持つようにする」
どうでしょうか? 表現は違っても同じことを言いたいような気がしますが。
これって、しかしとっても難しいことですね。
声楽やヴァイオリン、その他どのような音楽でも同じなんでしょうね。
さらには芸術全般、すべてが「命」の表現なのだと言えるかもしれません。
>おざっちさん、ありがとう。
さっそく、ソノリテの「アタックと音の連結」を広げて見ました。うん、まさにここにある「課題2」が、今、私がミニヨンの3番で苦労している音形ですよ。うむうむ、あの音形は、こうやって吹くのか!
「舌を外に出して、ヴィブラートをつけたピッツィカートのような、しっかりした音を得るようにすること」って、つまり、スラーの後ろの音をただ息を流して出すのではなく、腹筋で音に命を与えて出しなさい」ってことですね。腹筋でアタックをつけるような気持ちで(実際につけてはNGですが)ここを滑らかに、しかし際立たせて吹くのですね。
つまり、ここでも「音を支える」ってことの重要性が説かれているのです。
なんか、目からウロコがボロボロ落ちました。いやあ、感謝感謝です、ありがとうございました。