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ロッシーニの曲の練習を始めてみたけれど、ロッシーニーっていいかも!?

 声楽のレッスンに行ってきました。

 Mさんとのデュエットからレッスンは始まりました。曲はバーンスタイン作曲の「サムホエア」です。ミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」の中の一曲です。デュエット曲と言っても、半分、ポピュラーソングのような曲なので、技巧的にはそれほど難しいわけではありません。この曲を歌うにあたり、軽く考えてはいけませんが、だからと言って、力を入れすぎても可笑しくなってしまいます。真面目に、しかし、ほどほどに肩の力を抜いて歌うのが、自然体でいいんじゃないかな。…ってタイプの曲です。

 有名な曲だし、メロディは知っていたので、いきなり合わせてみました。当然ですが、最後まで無難に通ります。後は音楽としての表情づけですね。私もMさんも先生も、ここ10年近く、この映画を見ていないので、この曲が歌われていた、細かいディテールが分からなくなっていました。

 確か…この曲は、ラストシーンで歌われる歌で、トニーはすでに撃たれて、マリアの腕の中で息を引き取る間際の曲…だったかな? さっそく帰宅してからDVDで確認してみましたら…あれ? ラストシーンじゃないよ。確かにラストシーンでは、この曲のメロディーは流れるし、すごく印象的に使われているけれど、デュエットはラストシーンではありませんでした。

 トニーとマリアがこの曲をデュエットしたのは、ジェット団とシャーク団の紛争がこじれ、ラストの決戦(ってかトニーが撃たれる)の場面へとストーリーが流れるその少し前、互いのグループの緊張が高まる中、敵のリーダーの妹であるマリアの部屋に、トニーが立ち寄って愛を確かめ合うシーンで歌ってますね。この二人の今生の別れのシーンで歌われているわけです。ってか、この曲を歌う事で、トニーに死亡フラグが立っちゃった…と言うべきか。この後、運命は二転三転して人々を混乱に巻き込み、トニーはマリアの目の前で撃たれて死んでしまうわけです。

 …せつない歌だね。

 歌ってみた感想は……低い! とにかくメロディラインの音域が低くて、とても歌いづらいです。テノールと言うよりも、バリトンのための曲かと錯覚してしまうほどです(トニーの役はテノールが歌うのですが…)。五線下のシbから五線上のファまでがこの曲の音域ですが、とにかくメロディが下の音に固まっていて、歌いづらいです。

 ちなみに、決定版の楽譜では、この譜面よりも、半音高いです(笑)。個人的には全音高いくらいの方が歌いやすいかもしれません。

 先生曰く「この低い音をポジションを落とさずに歌うのが、この曲のポイント。すとんさんが一番苦手なタイプの曲ですね」…そうですね(汗)。とにかく、低くて歌いづらい歌ですが、そこを堪えて、ポジションを高くしたまま、これらの低いメロディを歌うという勉強でございます。それにppからfまで音量的にも幅があって、歌ってみると、それなりに達成感はあります。真剣に取り組む…というほどの曲ではありませんが、色々と学ぶ事はありそうです。

 さて、デュエットが一段落したら、私のレッスンです。発声練習は省略して、いきなりコンコーネです。今回は3番と4番が宿題でした。

 3番は合格です。3番を自宅で練習していた時に、何かがつかめた様な気がしました。その何かを言葉で説明するのは難しいのですが、とても楽に声が出るポイントと言うか、音程を高く昇って行っても壁にぶつからない発声法というか、まだきちんと説明できませんが、ある種の発声のコツのモノをつかめたような気がします。あれはなんだったのでしょうか? ひとまず、その声で歌って、先生から合格をいただけたのですから、たぶん方向的にはあっているんだろうなあと思います。

 4番は、次回もう一回です。まだ練習が足りず、子音の発音がこなれていないし、ところどころで以前の発声に戻ってしまいます。この4番と次の5番が宿題になりました。

 「ガンジス川~」も、コンコーネ3番を歌った声で歌ってみました…が、結果的には、まあまあの出来って感じで、ちょっと残念でした。本来の予定では、今回で「ガンジス川~」は完成させて終了のはずでしたが、まだ終了には物足りない出来なんですね。

 残念な歌になってしまった理由は、私的には、曲の速さに振り回されて、発声がおろそかになってしまったのが敗因ではないかと思いましたが、先生の見立てでは、途中から息の支えがなくなってしまって、曲の後半でグダグダになってしまったのが敗因なんだそうです。確かに、曲の最初の方はそれなりにいいのだけれど、曲が進むにつれて、色々な事が大変になってしまい、気が回らなくて、支えがなくなってしまったのは確かです。

 そこで、今度は支えに注意して歌ってみたところ、先程よりはだいぶ良い感じになりましたが、その代わりに、色々と出来なくなってしまった事もあります。とにかく、まだまだ練習不足なんですね。

 まずはしっかりと歌詞やメロディをカラダの中に入れること(つまりもっともっとしっかり暗譜をする事…です)。そして、歌う時に、歌詞とかメロディとかに気を使わなくて済むようにして、その上で、発声とか支えとかに気を配って歌いましょうと言うことです。次回、もう一度歌います。今度こそ、完成を目指します。

 しかし、支え(息の支え、お腹の支え…)ってなんでしょうね。やり方は分かりますが、その目的まで私がきちんと理解しているのかと言うと…???です。声の発射台? アンチ・ボディ・ソニック? 脱力の要? 声の発電所? ダメだ…出来る事と理解している事は必ずしもイコールじゃない。理解してなくても、きちんと出来ていれば問題ないのだろうけれど、私の場合は、理解できていないために、ついつい忘れてしまうのだから、まずはしっかりと理解をする事から始めないといけないのだけれど…よく分からないよぉ~。

 ロッシーニの「約束/La promessa」は、ひとまず“譜読みを終えました”程度のレベルでしたが、試しに歌ってみました。…いやあ、この曲、難しいわぁ~。半音進行の部分があるかと思えば、バンバン音程跳躍しまくる部分もあるし、高い声でのロングトーンもあれば、畳みかけるように歌っていく箇所もあるし、途中で明らかに強拍と弱拍の位置が入り乱れている箇所(こういうの、なんて言うんだっけ?)もあるし、なんか曲芸みたいな歌だなあ。決して一筋縄では行きそうもありません。たぶんに、技巧的な歌ですね(汗)。「サムホエア」とも「ガンジス川~」とも、毛色の違った曲です。本当は発表会あたりで披露するのに、ちょうどいい感じの曲かもしれませんが……実は歌いやすいです。

 これだけ技巧的で難しいのに「歌いやすい」と思うのは、どこか矛盾があるようですが、実際「ああ、難しいなあ」と思うと同時に「なんて歌いやすいんだ」とも思います。それだけよく出来ている曲って事なんでしょうし、ロッシーニという作曲家が、声という楽器を熟知した上で作曲している人だと言うことです。

 「歌いやすい」だけでなくメロディもいいなあ…なんて思っていたら、この曲、リストによってピアノ独奏曲に編曲されてますね。ネットで見る限り、オリジナルの声楽曲よりも、アレンジもののピアノ曲としての方が有名な感じ(それって、微妙な気持ちがします)です。

 まだ譜読みレベルの仕上がりで、細かい部分は、まだまだダメですが、おそらく、これから丁寧に歌い込んでいけば、それなりに仕上がっていくでしょうし、その時には、とても歌っていて気持ちの良い歌になりそうです。先生は「この曲は、すとんさんの持ち歌になるはずだから、そのつもりでしっかり練習しなさい」と言われました。そうですね、この曲はいい曲だし、持ち歌になったらいいなあ。

 ロッシーニの曲を歌うのは始めてですが、この曲を歌っていると、どことなくでも「セヴィリアの理髪師」のアリアたちを彷彿とさせるような感じがします。きっと、あのオペラの中にこの曲が入っていても、それほど違和感はないかなって気がします。つまり「約束」って、いかにもロッシーニって感じの、ロッシーニ臭い曲です。また、それだけロッシーニって個性の強い作曲家って事でもあります。

 テノールが歌うロッシーニ歌曲というと、素晴らしく技巧的な「踊り」という曲があります。いずれは、ああ言ったテクニカルな曲も歌えるようになれるといいなあ。おっと、その前に「約束」を片づけないとね。

コメント

  1. Yテノール より:

    >支え(息の支え、お腹の支え…)ってなんでしょうね。やり方は分かりますが、その目的まで私がきちんと理解しているのかと言うと…???です。

    普通は、やり方が分かれば、あとは四の五の言わず反復練習して、体に定着すれば良いということになりますよね。

    でも、私の場合、すとんさん同様、「理解してなくても、きちんと出来ていれば問題ない」という風には納得できないタイプみたいです。

    どうしてか、とか、どういう意味があるのかということが解らないと、本気で練習する気が起きないし、練習しても定着しない感じがします。

    でも意味が自分なりにでも納得できると、凄く楽しくひたすら練習できちゃいます〜♪

    支えって、
    横隔膜を不随的に弛緩させることなく随意的持続的にキープすることによって息を音楽的に使える様に管理コントロールすることだと思っております。
    解剖学的な正否は別にしても、
    声帯や管楽器にエネルギーを与える息を安定的、持続的にコントロールすることは音楽をやる上で必須であり、それが息の支えの目的ということなのだと思っております。

    ストンさんの仰った脱力の要という意味も個人的には、意識しております。

  2. すとん より:

    >Yテノールさん

     私の場合は、理解していない事はまだまだ借り物の技術で、借り物ゆえになかなか身につかない…のです。

     いや、理解じゃなくて、納得、かもしれない。「なぜ、そうするのか」が納得できれば、身につくんだと思います。…厄介な性格です。

    >横隔膜を不随的に弛緩させることなく随意的持続的にキープすることによって息を音楽的に使える様に管理コントロールすることだと思っております。

     それには同意。そうなんだと思う。私が分からないと言っている事は、その先?なのかな…。今はうまく言葉にできないのですが、支える事で得られるものは何か? そのシステム的な根拠は何か? 言葉にすると大袈裟で、私が知りたい事とはズレてしまうような気がするのですが、とにかく、今は“支え”について、なんか納得できないんです。

     あと…胸声と頭声では、支えのやり方が違うような気もするのです。高い声もなんか違うような気がするんです。…つまり今の私は“支えについて迷っている”というか“今一つ自分のものにできていない”と言うか。なんか、ちょっと、モヤモヤしているんです。まあ、もう少し自分で突き詰めてみますよ。

  3. Yテノール より:

    ストンさんの頭脳は、相当繊細、精巧にできているなって思います。
    ブログの記事も、様々な事象について、詳細かつ緻密な考察が展開されていて、
    忙しいのにスルーできず、ついつい引き込まれて読んでしまいます〜笑

    私の理解力は、凄く大雑把でなので、物事を大まかにくくることで、やっと何とか理解できると言った案配です。
    詳細なところを精査する段になると、もう頭脳が処理不能のサインを出して来ちゃいます。
    この性格は、絵描きと言うアバウトな仕事には凄く有利ですが、その他のホワイトカラー的な仕事では、おそらく、致命的だろうなって思っております〜苦笑

    で、高音も低音も、何でも息の支えは、単純に息の支えでしょう。と言った素朴なレベルで納得しちゃってます。
    繊細、精緻なストンさんとしては、その先を処理しなければならないわけですね。

    いずれにしても、身体をコントロールするって、凄く微妙で難しいことなんだなってことは、楽器や声楽をやってつくづく思い知らせれますね。

    お互い、それぞれのキャラに合ったやり方で精進して参りましょう〜♪♪

  4. すとん より:

    >Yテノールさん

    >ストンさんの頭脳は、相当繊細、精巧にできているなって思います。

     って言うよりも、ヲタクなんですよ(笑)。ヲタクと言うのは、枝葉末節にこだわるものだし、実技よりも知識優先ですからね。

     ヲタクと言う資質の人間は、本来、演者ではなくて、鑑賞者であり消費者なんです。つまり“送り手”ではなく“受け手”なんです。私の場合、受け手資質なのに、受け手の感覚のまま、送り手になろうとするから、色々と厄介なことが起こるわけなんです。

     歌なんて、本来は「結果オーライ」であって、何をどうしようと、結果さえよければ万々歳なんだと思います。そういう“理屈抜き”の世界に、理屈を持ち込もうとしている私って、かなり邪道で邪悪な存在なんだろうなあって思いますが、これも性分なんで、仕方ないです。

    >お互い、それぞれのキャラに合ったやり方で精進して参りましょう〜♪♪

     ですね(苦笑)。私は、私の因果な性格を抱えたまま、前進していく所存であります。

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