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少女になって悲鳴をあげてみる

 さて、発表会直前、泣いても笑って、これが最後って言う、声楽のレッスンに行ってきました。ええと、仕事が爆裂に忙しかったので、30分も遅刻しちゃいました、へへへ。お休みにしなかっただけでも、エラいエラい。

 とにかく、教室に入るや否や、すぐに発声練習。そして、発声の途中から「鼻腔を開くって…分かります?」と言われて、そこから“鼻腔特訓”となりました。

 実は私「鼻腔に声を響かせる」って感覚、よく分からないのですよ。

 先生がおっしゃるには、私が高音に苦労しているのは、この「鼻腔に声を響かせる」という奴を自由にできないから。「鼻腔に声を響かせる」って言うとアレだけど、これってつまり“アクート”って事らしいです。アクートがうまく使えない私は、高音に苦労しているので、今後は鼻腔発声をメインに練習していきましょうって事になりました。

 まずは「鼻腔に声を響かせる」体験をしましょうというわけで、先生が「鼻腔に響かせた声」と「響かせない声」の両方を発声してくれました。それを聞いてマネしてみよう…って事なのですが、マネできないんです。違いは耳で聞いて分かります。でも、違いが分かっても、なぜかマネはできないのです。おそらく「鼻腔に声を響かせる」というカラダの感覚が分からないので、マネできないのでしょう。

 そこで「あまりお薦めな方法ではないのですが…悲鳴をあげてみましょうか」と先生の提案です。悲鳴って、声が鼻腔に響き渡る発声なので、手っとり早く鼻腔共鳴を体験するには、悲鳴は良いのだそうで。ただし、悲鳴は声帯に負担がかかりすぎるので、普通の人には、あまりお薦めできない方法だそうですが、ほら、私は、強靭な声帯を持っている(笑)ので、多少のリスクは背負っちゃえ!ってわけです。

 で「悲鳴をあげてみて」と言われたけれど………できない(汗)。実は私、悲鳴をあげられないと言うか、悲鳴の出し方を知らないんですよ。

 考えてみれば、今までの人生の中、悲鳴なんて、たった一回しかあげたことないです。ちなみにその一回と言うのは、映画「リング」を劇場で見て、思わず低い声で「ヒエ~~~」って言っちゃったくらいで、そんな低い声の悲鳴は、今回求めてる悲鳴とは違いますね…。

 つまり、いわゆる甲高い声での悲鳴って、私、出した事ないんですよ。

 だいたい、悲鳴って、人生のエマージェンシーコールでしょ? 身の危険を察知した時、助けを求めて叫ぶものでしょ。私、子どもの頃から腕っぷしは強かったから、身の危険を察知したら“悲鳴をあげる”ではなく“戦う”という選択肢で生きてきた人だから、悲鳴という感覚もなければ、悲鳴に使う筋肉も未使用なんですよ。

 …しかし、単に“高い声”と“悲鳴”って、全然違うんですね。

 何度も何度もトライしたけれど、結局、悲鳴が全然あげられなかった私に、先生は「じゃあ、形から入ろうか」とおっしゃいました。…形から? はい、形からです。

 “素の私”だから悲鳴をあげられないわけで、だったら別の人格になっちゃえば悲鳴あげられるでしょ?って事ですね。…ここで、歌劇団での演技の練習が役立つわけですね。

 で、先生が「女性になってください。女性になって“キャー”って悲鳴をあげてください」というわけですよ。え? 女性になるの? 今まで歌劇団の演技でも、常にオジサン役ばかりやってきた私ですが、スカート役ですか! しかし、やれと言われれば、やるしかないわけで…とりあえず、女性役に挑んでみました。

 とりあえず、女性になります。それも、キャーキャー悲鳴をあげるような女性です。とっさに頭に浮かんだキャラクターは“少女”(笑)。小学校5年生くらいのツインテールの細身で手足ばかりが伸びている女の子です。このくらいの子なら、日常茶飯的にキャーキャー言っちゃうわけでしょ。

 さあて、先生もニコニコしながら見ているわけだし、小五の女の子になりますか…。

 しっかりと内股で立って、腰を落として、両肘を胸の前で合わせて「私は小五の女の子(はぁと)」って気分で「キャーーー」ってやってみました。もちろん、演技ですよ、演技。

 ………演技でも、やればできるもんです。50のオッサンのままだと、全く悲鳴はあげられませんが、小五の女の子になりきれば、楽々と悲鳴が出ちゃいます。いやあ、実に不思議なもんです。キャラになりきる事と声を出すって事はダイレクトにつながっているんだなあ…。

 少女になって、何度も悲鳴をあげて、鼻腔共鳴を体感してみました。正直、その感覚って分かりづらいです。分かった事は、普通の高音と比べて、部屋の空気が何倍も振動する事。声がクチからではなく、頭のテッペンから出ている(ような感覚である)事。先生は、悲鳴をあげると、鼻の中が痛がゆくなるそうですが、私は、残念ながら、そんな事はありません。おそらく、鼻の感覚が鈍いのでしょうね。

 ま、今回のところは、鼻腔共鳴が分かったような分からないような、淡い体験でしたが、しかし、これで強制的に鼻腔共鳴を感じる方法が分かったので、これからしばらくの間は、悲鳴でもなんでも、とにかく鼻腔を意識して、鼻腔共鳴を使って、声が鼻腔に響く感覚をマスターしていきたいと思います。

 しかし、悲鳴は連続であげると、やっぱりノドにキますね。

 さて、一応、発表会も近いので、アリアを歌いました。

 アリアは撃沈と言うか、轟沈しました。先生も「次の曲、頑張ろう」と言ってくれました。もう、この曲はこんなもんかもしれません。ああ、ついに最後のレッスンになっても、きちんと歌えるようにはなりませんでした(涙)。それどころか、ちょっと、この曲をやりすぎて、声が迷い道に入ってしまったようです。

 先生に言われた事は、とにかく高音がちゃんと出ていない(届いていない)事。それはポジションの取り方が間違っているからで、私はAをGのポジションで歌い、GをFのポジションで歌っているから、それぞれの音が苦しくて、うまく歌えないのだそうです。「ポジションは上から取る」が出来ていないのが敗因なのですが…それも突き詰めれば、鼻腔共鳴がうまく使えない事が原因なんですね。鼻腔を使って歌えれば、Bまでは楽勝になるそうです(HとかHi-Cとかは、また別の話だそうです)。

 とにかく、発表会は、まな板の上の鯉の気分で、当たって粉々に砕け散ってくるつもりです。

 次回のレッスンからは(発表会も済んでますので)アリアで迷い道に入ってしまった声を、一度フラットな状態に戻すための練習と、悲鳴+鼻腔の練習をするそうです。次回からは「陽はすでにガンジス川から/Gia il sole dal Gange」を歌います。おっと、イタリア古典歌曲じゃ~ん。フラットに戻すというか、初心に立ち返るって感じですかね。

 それにしても「陽はすでにガンジス川から/Gia il sole dal Gange」って、懐かしい。私は、20代の頃に1年だけ声楽の個人レッスンを受けていた事があるのですが、その時の発表会の曲が、この曲だったんですよ。ちなみにその時は二曲歌いました。もう一曲は、ベッリーニ作曲の「優雅な月よ/Vaga luna che inargenti」でした。ああ、こっちの曲も懐かしい。

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