H先生のフルートのレッスンに…行けませんでした。いやあ、夜の11時過ぎまで仕事で拘束されていたら、そりゃあ、無理だわな(笑)。習い始めて早々の欠席とは、H先生に“怠け者”と思われそうで、ちょっと悔しいです。私は基本的に、レッスンは休むどころか、皆勤を目指したい人なのです。これでも“音楽には真面目なタイプ”なんですよ。だから、なるべくレッスンをお休みしたくないのですが……仕事優先ですから、しゃーないです。今年は、こんな事が度々あるんだろうなあ…。ああ、去年までの“趣味三昧な日々”が懐かしいです…。
で、ブログの記事を終わりにしてもいいのですが、それじゃ、老犬ブログっぽくないので、もうちょっと書きます。
今日のお題は「習い事をやめるタイミング」についてです。始まりがあれば、終わりがあるわけだし、出会いがあれば、別れがあるわけです。ある日、一念発起して始めた習い事だって、いつかはやめる日が来ます。それが外部的な事情による不可抗力で止めるなら、ある意味、仕方ないですね。
私のフルートは、最近、笛先生からH先生へと先生を変えました。ま、笛先生のところを“やめた”わけですね。これは、私の仕事が忙しくなり、先生がレッスンをやっている日に習いにいけなくなったという、外部的な事情が原因です。もっとも、その段階では、“やめる”のではなく“長期休止”のつもりでしたが、その後、先生ご自身がお引っ越しされることになったので“長期休止”が“やめる事”になったわけです。
まあ、こういう原因でやめるのは、ほんと、仕方ないです。人生のアヤって奴です。
私のように“仕事の都合”とか“引っ越し”の他に、“病気”とか“進学/就職/結婚”とか“家族の都合”とかの理由でやめるなら、まだ話は切り出しやすいですね。
問題は…“経済的に苦しくなったから”とか“体力的にキビしい”とか“飽きた”とか“先生が嫌いになった/信用できなくなった”とかの理由ですね。これらの理由で習い事を辞めたという話は、よく耳にするけれど、やっぱり当事者的には、言い出しにくいですね。
最初の“経済的に苦しくなった”は、失業したならともかく、そうでなく、この不景気で色々と家計が苦しくて、習い事にお金が使えなくなってやめます…ってレベルだと、ちょっと言い出しにくいですよね。だって、私も苦しいけれど、私がやめると、先生も苦しくなるわけだから、これは心が痛いですね。それを考えると「もう少し、頑張ってみるかな…」という気持ちになりますが、お財布と相談すると、やはり苦渋の決断をせざるを得なくて、それでもまだ、勇気を出して…言える…かな?
“体力的にキビしい”は、もっと言い出しづらいですね。だって、この理由って、見方によって「怠け者」とか「根性無し」って思われるでしょ。そういう汚名をかぶるのって、特に私のような見栄っ張りの人にはキツいです。
実は、私がヴァイオリンをやめた理由はこれです。仕事が忙しいのも理由だけれど、ヴァイオリンのレッスンって、行って帰って来るだけで半日がつぶれてしまうほどの重労働だったので、これからの事を考えて、やめました。これを先生に言い出すのは、ほんと、勇気が要りましたよ。でも、健康第一ですから、なんとか先生に飲み込んでもらいました。
もっとも、その後、ヒイロ先生もお引っ越しされる事になり、当地を離れることになってしまったので、私が言い出さなくても、ヴァイオリンのレッスンはやめざるを得なくなったのですが…。
そこに行くと“[音楽に/その楽器に]飽きた”場合は、どう言い出しましょう? 楽器店とかカルチャーセンターのレッスンのように、事務所が仲介し、習う期間もある程度決まっているものなら、その期間が終了した時に、契約を更新しなければいいわけです。これなら無問題です。また、いわゆる個人レッスンだと、ある日、パタリとレッスンに来なくなって、それっきり月謝も未払いで結果的にやめるという人もいるそうですが…強行手段って奴かもしれませんが、これは人間として、どーなんでしょーねー。
でも、例えば、フルートの先生に「私、フルートに飽きたので、今月でレッスンをやめさせてください」って言えますか? 先生によっては「私のどこがいけなかったんですか?」とか言い出して、泣いちゃうかもしれないじゃん。うわー、気まずい。
ましてや“先生が嫌いになった/信用できなくなった”場合は…やめる理由って言えますか?
でも、習い事を始めた以上、ある日、やめる日が来るものです。その理由は人によって違うでしょうが、やめる事には違いありません。
やめる時は、満足してやめたいものです。少なくとも「やるだけやった」「もうここが私の限界かな?」「とても楽しかったので、次のステップに踏み出したい」という気持ちでやめたいものです。
私がヴァイオリンをやめても、独学で細々と続けているのは、おそらく、こういった“満足感”がなかったからでしょうね。だから“やめるにやめられない”んです。だって本音で言えば、私、ヴァイオリンを続けたかったですよ。ヒイロ先生に不満はないのですが、通うのにもっと便利なところだったらよかったし、レッスンも定期的に行い、それに要する時間も負担にならない程度の時間で、先生がずっと当地にいらっしゃったら、まだまだレッスンに通っていたと思います。
こういう事も、おそらくは“巡り合わせ”という奴なんだと思います。
そういう意味で、私の“ヴァイオリン熱”は成仏してないんですよ。独学で細々と続けているのは、もしかすると“ヴァイオリン熱”のご供養をしているだけなのかもしれないなあ…と思う時があります。だとしたら、そう遠くない将来、ヴァイオリンを本当にやめてしまうかもしれません。
でも、それはモッタイナイなあ。まあ、ミヤマ(楽器)は大した事ない楽器なので、やめても、それほどモッタイナくないのですが、カヅノ(弓)の方は…頭部管銀のフルートが買える程度の品なので、やめたら、モッタイナイですよ。ヴァイオリンをやめてしまうのだったら、弓を買ったそのお金で、弓ではなく、サブフルートを買えばよかった…と後悔しまくるでしょうからね。
そうなったら、ほんと、モッタイナイです。だから、ヴァイオリンも簡単にはやめられない…のです。
コメント
うちのブログにコメントありがとうございました。
うん、実は私がエレクトーンをやめちゃった理由の1つ(全部ではない)が、「飽きちゃった」ということなんです。先生には言えなかった。一応出産で通えないからというのが理由の1番ですが、その後復帰できていないということはそういうことです。
まぁエレを習って、クラシックじゃない曲をレパートリーにしてみて、アンサンブルの経験もさせてもらったことで私はもう一度真剣にピアノという楽器、クラシックというジャンルに向かってみよう、と思うことができたという意味では感謝カンゲキ雨嵐(笑)なんですが・・・
まぁね、経済的な理由っつ~のは、先生もうすうす感づいてます。
気づいていてもなんともしてあげられないし・・・。
通える状態というのも、よい先生にめぐりあえるのも縁ですね。
「飽きる」っていうのも、こちら側(指導者)からみたら、「まだまだ、アンタの知ってる、見てるものはこの世界のほんの一部よ」といいたくても、本人がそのせま~い世界で満足してしまっているならそれ以上アプローチしても届かないですしね。
>ことなりままっちさん
“飽きる”って事は、口には出さずとも、案外、大きな問題なのかもしれませんね。
>、「まだまだ、アンタの知ってる、見てるものはこの世界のほんの一部よ」といいたくても、
人間って、どうしても、自分の見知っている範囲、あるいは経験してきた事象だけで物事を判断しがちです。もう少しの想像力があれば、それは回避できるのかもしれませんが、そこに思いが至らないため、端から見ると残念な選択をしてしまう生き物なのかもしれません。
先生の立場で言えば「そこを乗り越えれば、その次に○○な世界が広がっている」と思うのでしょうが、生徒の立場で言えば「これだけの時間やってきたのに、全然上達しないなら、別の事を始めよう」とか「こんなに大変なんて考えてもなかったよ、もうイヤだ」って感じている事もあります。もう少し察しのよい生徒でも「ここを越えれば、新しい世界が開けるかもしれないけれど、果たして、その“ここ”を越えることができるのだろうか?(いや、できない:涙)」と感じる事もあります。
結局“飽きる”っのは、そこに“(労力に見合うだけの)楽しみ/希望を見いだせなかった”って事なのかなって思います。そう思うと、生徒が悪いとか先生が悪いとかじゃなくて、巡り合わせの問題になってしまうのかな…? どうなんでしょ?
今日はじめて訪問させていただきました。
私も声楽とピアノを中年になってから始めたもので、親近感を持ってしまいました。
習い事をやめるタイミングということですが、私は昨年の夏に、6年習った声楽のレッスンをやめちゃいました。
理由は…先生に魅力がなくなったからかな?
その先生は声楽の先生というよりはーご自分でもおっしゃってましたが、ヴォイストレーナーだったんですね。
それと、先生というよりは、職人だった。
声の出し方の全くわからない、初心者ともいえない頃には、本当にありがたい先生でしたが、なんとかそれらしく歌えるようになると、もうそれ以上教わることがないように感じはじめて、結局、一時中断していたピアノレッスンを再開したのを機に、区切りをつけました。
声楽のほうは、ピアノの先生のところで、伴奏をお願いして歌わせてもらっています。
この先生は、ピアノソロの他に声楽の伴奏にも熟達しておられて、勉強になることがとても多いです。
思うに、このお二人の先生のどこが違うのか、それは演奏家として(音楽家として)成長しているかどうか、だと思うのです。
つまるところ、たとえ初心者といえど、先生を選ぶのは生徒なのだから、先の先生に恩義は感じても、この場合仕方がなかったのかなと、思っています。
とりとめのないことを書いてしまいました。このこと、誰かに話してみたかったのです。
読んでくださって、ありがとうございました。
では、これかたも楽しみに読ませていただきます。
どうぞよろしくお願いします。
>碧さん、はじめまして。
出会いがあれば、別れがあるものです。別れの当座は寂しいものですが、一つの別れが次の新しい出会いの引き金となることもあるわけならば、その別れにも感謝をしていく事が大切でしょう。
学校だって、小学校が終われば中学があり、高校、大学と進学していくものです。習い事だって、いつまでも同じ先生で学び続けられるというものではありません。こちらの成長に合わせて、先生を変えていく事が必要な事もあるでしょう。碧さんは、そういうケースだったのだと思いますよ。
大切な事は、碧さんご自身も書かれていますが、お世話になった先生への感謝を忘れない事です。それさえきちんとしていれば、良いのだろうと思いますよ。
しかし、職人タイプのヴォイストレーナーというのは、とても貴重な存在だと思います。音楽作りが自分でできるほどの腕前になると、却って必要になってくるのが、そういう職人タイプのトレーナーさんなんだと思います。きっと、碧さんが今よりもっともっと歌が上達してくると、また再び、先の先生のお世話になる時がやってくるかもしれませんね。人と人との縁はどこでどうつながってくるか分かりませんよ。そのためにも、感謝の気持ちは忘れてはいけないのだろうと思います。