最近、よく“生きづらさ”という言葉を聞きます。「生きづらい世の中を生きていくためには」とか「あなたは生きづらさを感じていませんか」とかです。
“生きづらさ”とは何でしょうか? そこでAIに尋ねてみました。
AIによると…
>生きづらさの正体は、個人の内面(心理的要因、過去のトラウマ、発達障害など)と、周囲の環境(理不尽な社会規範、人間関係、情報化社会など)の相互作用によって生じる、個人では抱えきれないしんどさです。
…なんだそうです。つまり、生きづらいと言っても、主に個人的な要因で生きづらさを感じる人と、社会的な要因で生きづらさを感じる人、またはその両方から生きづらさを感じている人がいるってことです。
心理的要因と言っても色々あるわけで、ネグレクト経験やトラウマ体験、愛着障害、親との関係、発達障害、HSPなどが挙げられます。ちなみにHSPとは、Highly Sensitive Person のことで“生まれつき外界からの刺激に非常に敏感で、感情も強く反応しやすい気質を持つ人”のことを指すそうです。
社会的要因には、仕事からの脱落、社会からの疎外感、自分は無能力者だと感じさせられる事、情報社会に適応できないと嘆く事などがあるそうで、一言で言ってしまえば「社会に居場所のない人」って事ですね。
そうやって、色々な事が言われていますが、要するに“生きづらさ”を感じる人って“孤独”な人って事なのでしょう。「よしよし」されたいのに誰もよしよししてくれない、「ちやほや」してほしいのに誰もちやほやしてくれない、「頑張っているね」と励まされたいのに誰も励ましてくれない。「大変だね」と共感してほしいのに誰も共感してくれない。回りの人たちはみんな敵! そう思ってしまうから生きづらくなってしまうのです。
要は、承認欲求が満たされなくて心が病んでしまうわけです。その病んだ心の主症状が“生きづらさ”を感じる事であり、誰もあなたを見てくれている人がいなくてツライ…つまり孤独が生きづらさをもたらすわけです。
その孤独の原因が、そもそも自分の中にある個性的な問題なのか、自分の生まれ育ちにあるのか、自分を取り巻く社会や状況にあるのか…とにかく孤独をもたらす原因は、人それぞれで様々だけれど、それらによって“孤独”を感じる人が、その孤独を埋められずに「生きづらい」と感じているのだろうと思います。
“生きづらさ”の原因が“孤独”ならば、孤独を解消すれば、あるいは孤独を受け入れれば、生きづらさは解消されるわけです。
なーんだ、簡単じゃん。
孤独を解消したければ、誰か/何かを愛せばよいのです。
孤独を受け入れるなら、覚悟があればいいだけの話です。
つまり、自分から動けば、生きづらさってヤツは、どーにかなるわけで、「この世は生きづらいよぉー」と嘆いているだけで自分から動かない人は、いつまでも生きづらいままって話なんだな。
そもそも承認欲求なんて、受けることだけ、もらうことばかりを求めている欲求なわけで、何かを得ようと思うなら、まずは自分から他者に与えないと…ね。他人にかまって欲しいなら、まずは他人に興味を以て関わるところから始めないと、誰もあなたのことなんて、かまってくれないわけです。
最近になって「生きづらさ」という言葉をよく聞くようになったと言うことは、最近の人は、指示待ちな人が増えて、自ら動き出そうという人が少なくなったってことなのかな?
自分から動かなければ、孤独って解消しないでしょ?
もちろん昔から、自分から動くのが苦手って人は一定数いたわけだけれど、そういう人って、自分が招いている孤独という状況を受け入れていたと思うよ。「生きづらい…」とかの泣き言ばかり言ってたわけじゃないでしょ?
そういう意味では、今の人って昔の人よりもメンタルが弱くなっているのもしれません。まあ、世の中豊かだからね、世の中が豊かだと、弱い個体が発生しちゃうんだよね。世の中って、そういうもんだからね。
だから「生きづらさ」を感じている人は、今の豊かな社会に生まれた事を呪うぐらいしかできないのかもね。
私がこんなに生きづらいのは、社会/世の中が悪いんだ
私がこんなに生きづらいのは、私以外のみんなが幸せだからだ
…って感じ? でも、こういう発想に落ちてしまったら、サイコパスの誕生だよ。
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