私は無差別殺人とか通り魔殺人事件を起こす犯人を憎みますし、軽蔑します。もちろん、そんな不条理な犯罪なんて、これっぽっちも認めたくないし、被害者の無念を思えば、犯人は万死に値するとすら考えています。
あらゆる犯罪には動機がある…って捜査関係者の皆さんは思っているようですが、私に言わせれば、無差別殺人とか通り魔殺人を起こすような人間の殺人には、動機なんて無いんですよ。有るとするなら、それは単なる“八つ当たり”です。
無職であったり、生活が苦しかったり、空腹であったり、経済的に困窮していたり、ギャンブルに使えるお金がなかったり、離婚をしていたり、友達がいなかったり、寂しかったり、なんかムシャクシャしていたり…とにかく、そんな漫然とした不満を抱えていて、自分以外の世間の人たちが幸せそうに見えて、うらやましくて、うらやましくて、うらやましすぎて憎く覚えて、誰でもいいから危害を加えてやれば、この漫然とした不満が、多少なりともスッキリするだろう…ってな感じで、犯罪に及んでいるだけだと、私は思うんだよね。
そもそも彼らは論理的な思考なんてしていません。単純に“快不快”の感覚で生きている、実に感情的で感覚的な人間なのだろうと思われます…ってか、ほんの少しでも理性というものがあれば、他人を殺害しようなんて思わないモンです。人を殺して憂さ晴らしなんて考えないものです。
だから、彼らには、論理的思考はないし、理性もないし、豊かな人間性なんてありません。あるのは、快不快の感覚であり、そんな感覚がもたらす感情に左右される価値観なのです。
自分が不幸で可哀想すぎて、世界からまともな扱いを受けていないと感じているわけです。そんな自分の負の感情を自分でコントロールできずに、ついつい“八つ当たり”で他人にぶつけてしまう、それもよりによって“殺人”って形でね。
つまり無差別殺人とか通り魔殺人の原因は、何かと言えば「八つ当たり」なんですよ。自分の負の感情を自分でコントロールできずに、他人に“八つ当たり”しているだけなんですよ。
そんなもの、同情できるわけないし、許容すらできません。
そんな自分の感情すらコントロールできないヤツが多すぎると思うわけですよ。まさにこれこそが人間が持つ原罪なのかもしれません。
私には推測できても、共感できないし、理解なんて到底できないよ。
また、彼ら無差別殺人犯に類似した人種に、あおり運転をする人たちがいます。あおり運転の果てに事故が起こるかもしれない、人が死ぬかもしれない…なんて事は露だに思わず、ムカっときたからあおってやれ…という、これもまた八つ当たりに似た行為をしてしまうわけ人たちです。
まあ、弱い犬ほどキャンキャンよく鳴くわけだけれど、そんな行為が危険行為につながるなんて考えていないのだから、彼らもまた、自分の感情をコントロールできないタイプの人間なんだな。快不快の感覚が優先され、そんな感覚がもたらす感情に左右される価値観なのです。程度の差はあれども、無差別殺人犯と、根っこの部分は同じなのです。
残念なことに、そういう人種って、世の中には一定数、いるんだよね。
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