テノールは英雄であり王子様です。別にそれは歌い手の事を言っているのではなく、歌っている役柄の事を言っています。だから、テノールに求められるのは、英雄の声であり、王子様の声であり、それは具体的に言えば“輝かしくキラキラした声”で歌う事であり、器楽に例えるならば、トランペットのような音色の声だと言われています。
つまりは、派手でツヤツヤで高音域の声で、決して伴奏や合唱に溶け込まない声を指していいます。まあ、有名なプロのテノールの声を想起すれば、まさにその通りですね。
でも、歴史的に考えてみると、そもそも英雄とか王子様の役…と言うか、声は、そもそもカストラートの領分だったはずです。
カストラートの声とはどんな声だったのかは、今となっては想像もできません。
30年ほど前に作られた「カストラート」という映画では、カストラートの声は当時のコンピュータ技術を駆使して作られましたが、あれが正しいカストラートの声であったのかは分かりません。とは言え、映画そのものはとても面白くて興味深いのでオススメなのです。
私が思うに、カストラートの声は基本的にはボーイソプラノの声帯を使って大人の男性のボディが実声で歌うわけで、高音だけれど、かなり男性的な響きを持った声であろうと思われます。私は個人的には、全盛期のマイケル・ジャクソンの声や小田和正の声が、当時のカストラートの声の響きに近いのではないかと思ってます。とは言え、マイケルにせよ小田和正にせよ、人種が違います。彼らは黒人であったりアジア系であったりしますが、カストラートは白人ですから、声そのものは根本的に違うので、あくまでもニアイコール的な感じだろうと思ってます。
閑話休題。そんなカストラートですが、その声はバロックの時代と共に失われしまいました。まあ、芸術のためとは言え、人を不具にする事は許されませんわな。
カストラートが居なくなったベルカント時代以降、英雄やら王子様やらの役を引き継いだのが、テノールなわけです。だから、ベルカントオペラのテノールの諸役には、カストラートの影響が多々残っていて、あの高い声は出せなくても、せめて響きくらいはカストラートの声に寄せようとして、だいぶ軽ろやかに発声したと思われますし、必要に応じて高音はファルセットでも歌われていたようです。
やがてヴェリズム時代になると、テノールの歌声には、よりリアルな男性性が求められるようになり、カストラートの影響を脱するようになります。より力強く、より太い声で高音を歌う事が求められるようになります。後期のヴェルディあたりをイメージしてもらえると分かりやすいと思います。この頃より、テノールの歌声にファルセットが禁忌とされるようになったわけです。当然、ファルセットを使わずにベルカントオペラを歌うのは至難の業なので、オペラ劇場では、ベルカント時代のオペラがどんどんとお蔵入りをするようになりました。
そして現代となりました。現代はヴェリズモ時代の延長線上の発声が求められますが、発声テクニックそのものは進歩していますので、一部のテクニカルなテノールはファルセットを用いずに、ファルセットの音域の音を歌えるようになりました。素晴らしいですね。
そのおかげで、ベルカント時代やバロック時代のオペラを歌われるようになりました。ただし、一人のテノール歌手がすべての演目を歌うのではなく、それぞれの時代を専門に歌うように分化し、それぞれの時代を歌うのに適したテクニックを磨くようになりましたし、バロック音楽には、テノールではなく、カウンターテナーという声種の歌手が担当するようになりました。よかった、よかった。
そんなわけで、現代のテノール歌手は、自分の声に合わせて、歌うレパートリーを絞るようになったと言えます。つまり、同じテノール歌手とは言え、ヴェルディやプッチーニを歌う人が、モーツァルトやドニゼッティやロッシーニの歌を歌う必要がなくなった…と言うか、そんな事はそもそも無理って事になっているのが、現代なのです。
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