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お盆休み中に私が割り切れないと思った2つの事

 1つは、オリンピックの女子ボクシングの件です。

 アルジェリアのイマネ・ケリフ選手と台湾のリン・ユーティン選手が、ともに金メダルを獲得した事です。二人ともパスポートの性別は女性だけれど、染色体は“XY”という事で、男性器は無いのかもしれないし、女性として生活してきたのだろうけれど、骨格も筋肉も筋力も男性のモノを持っていて、なおかつボクサーとして精進してきたわけで、いわば「女性の人格を持った男性ボクサー」が女子競技に出場し、なおかつ金メダルを獲得した事には、なんとも割り切れない気分でいます。

 ある意味、チート持ちがチート使って一般人の宝を奪っていったような気がして、何とも気分が良くないです。

 LGBTQの方の権利を養護することは結構だけれど、誰かに権利を与える事は、別の誰かの権利を奪う事であるという事実は認識する必要があります。要は、本来は得られないはずの権益を、既得権益としてずっと握っていた人から、本来の権利者へ権利が譲渡されるのなら、それは何の問題もないのだけれど、今回の件は、ちょっと違う気がするわけです。

 今回は、肉体的に男性選手であっても、パスポートの性別が女なら、女子競技に参加して金メダルが取れる権利を認めたわけです。ここで侵害されたのは、女子競技に参加している女子選手たちの権利です。

 男性と女性では同じ土俵で戦えないから、競技を男女別に分けているわけで、それなのに女子競技に男性選手と同じ性能を持った人が乱入してきたら、女子選手たちでは太刀打ちできませんし、実際、出来なかったわけです。

 つまり、LGBTQの選手の権利を守る事で、女子選手の権利が侵害されているわけで、私はこれに割り切れない気分を感じるわけです。

 これ、他山の石じゃないですよ。我が国でも、先の裁判所の判例で、男性の肉体を持ったまま、性別だけを女性に変更できるようになったわけですからね。パッとしない男子ボクシング選手が「私、心は女性なんです」とか言って、戸籍を女性に…つまり、パスポートの性別を女性に変更できるようになったわけで、いくら男子でパッとしなくても、女子になれば無双ができるわけで…今回、アルジェリアとか台湾の選手だったけれど、これが日本選手にも起こり得るわけですよ。ほんと、割り切れない感じがします。

 実際、オリンピック出場とか、メダル獲得のために、国籍を変更する選手なんて珍しくないのです。今後は、それらの目的のために、性別を変更する選手が出てくるようになっても不思議じゃないですよ。

 さて、もう一つの割り切れない問題とは、旧ツィッターこと“X”の活用法と言うか「これって日本の社会に必要なの?」って思うんですよ。

 具体的に言うと、フワちゃんの件とか、川口ゆりアナの件とか、です。

 書かなくても良い事を書いている、本人たちの愚かさには呆れるけれど、たとえどんなにヒドイことが書かれていたとしても、それはあくまでも戯言でしかないわけで、そんな戯言をわざわざ取り上げて、拡散して、問題視して、彼女たちを社会的に抹殺するまで追い込む、無名の正義君たちの行動を見ていると、これもまた割り切れない気分になるわけです。

 「溺れた犬は棒で叩け」という韓国のことわざがありますが、それを見ているような気分で、嫌な気分になります。

 最初に愚かな発言をした本人たちが悪いのは当然だけれど、第三者的立場の人間が、それを叩いたり裁いたりするのは、悪ノリが過ぎると思うわけです。

 でも、Xって、そういう装置なんだよね。それも理解します。

 日本の文化って、本来は、無駄口を叩くのを良しとはしない文化であり、沈黙が尊ばれ、スルーし合うことで、互いに許し合い受け入れ合う文化だと思っています。それが21世紀の現在でも良いかどうか別として、そういう文化と、何にでもちょっと言ってみる、いわば“多弁の文化”であるXの文化って、全然違う文化ではないかと思うし、我々日本人は、それをうまく使えていないのではないかと思ってます。

 だからこそ、Xって社会的に必要なの? って思うわけですよ。

 ネットの発言って、いくら削除しても無かった事にはならないわけよ。いくら謝罪して当人同士で解決しても無かった事にはならないわけよ。おまけに、警察官も裁判官もいない世界だしね。だから、自称警察官や私的裁判官が跋扈するわけだけれど、彼らの正義行動ってのは“私刑”でしか無いんだよね。

 ネットリテラシーって何だろうね?

 そうそう、私はジジイという事もあって、臭いよ。時折、自分でも自分の体臭が「うへえ、臭い!」と思うことは、頻繁にあります。でもね、私は生きているわけだからね。臭いぐらいするよ。いやむしろ、臭わない方が生き物としては不自然でしょ? もちろん、悪臭を垂れ流して良いとは思わないから、自分にできる範囲で清潔な状態を保とうとはしているけれど、やっぱり臭いのは隠しきれません。

 あと、私も偉くないので、予選敗退で、死なないといけないのかな? まあ、ジジイだから、私が死んでも、社会は困らないし、悲しむ人もそんなにいないし、私が死んでも実害はないから、死ぬべきなのかもしれないけれど…な。

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コメント

  1. オペラ座の怪人の怪人 より:

    すとん様
    私的設定夏休みの最中にも関わらず、
    ご投稿、ありがとうございます。

    女子ボクシングに関しては、
    男女の区分を何にするのか? 何に置くのか?
    が問題なのでしょうか?

    ① 性器が「男物」か「女物」?
    ② あるいは、染色体の区分で男女を分けるのか?
    ③ それとも、本人の「心」の申告で分けるのか?

    それらの分け方が、万人が納得できて、
    あらゆる競技で、有効であるべし、
    あらゆる競技会で(オリンピックでも、W杯でも)有効であるべし、

    ってなことを関係者が競技ならぬ、協議し始めても、
    結局、ゴタゴタ揉めるだけで、解決はできないんでせうな~。

    女子アナとフワの「過激書き込み」に関しては、
    女子アナにはちっと「厳しすぎる」裁定が下っているような気がしますが、
    フワに関しては「厳しすぎない、もっとやれ~」ってな感じでして、

    なぜか?
    それは、私が、元々、フワを大っ嫌いだから~。
    はい、自分勝手な私です。

    ( ̄▽ ̄;)  ( ̄~ ̄;)  ( ̄□ ̄;)!!

    (-A-) (-A-) (-A-) ← ざっくぅ

    おしまい

  2. すとん すとん より:

    オペラ座の怪人の怪人さん

     ボクシング等の格闘技に於いては、どうすれば“フェアな対決”にできるかが問題なのだろうと思います。ここで言う“フェア”とは身体的な能力に於いて“公平である事”でしょう。だから、男女に分けたり、体重の階級制を採用したりしているわけです。

     だから、男子の身体能力を持つ選手が女子の試合に出るのは、ヘビー級の選手がライト級の試合に出るようなものです。これはフェアではありません。だから問題なのです。

     日常生活においては、犯罪を侵さない限り③の区分でもいい…と言いたいところですが、それではLGBTQの方の権利を尊重する一方で、女性の権利を侵害する事になることも多いので、実際は①なんだろうなあ…と思ってます。まあ、私は基本的に古い人間なんです。

     フワちゃんは…あの手の失礼系のキャラは、だいたい年寄りには嫌われるタイプですね。はい、私も嫌いですよ。ただ、プロレスラーとしてのフワちゃんは、嫌いじゃないです。むしろ「頑張れ!」と応援したくなります。でも、タレントやYouTuberのフワちゃんは…大嫌いです(笑)。

  3. tetsu より:

    こんばんは、

    > 何にでもちょっと言ってみる、いわば“多弁の文化”であるXの文化

    岩波翻訳本でちらっとみたくらいですが、アングロ・サクソン系(ホッブス、ロック、ミルetc.)の典型的な文化のような感じがします。
    日本の文化とは何か、は無限リピートみたいに日本論はありますね。

    > Xって社会的に必要なの?
    > ネットリテラシーって何だろうね?

    X(こちらは、ここのWEBコメント)で発信することで「自分」がわかることもあります。
    ネットリテラシーって、ネットでしか知りえないこと、と、対面でしか知りえないこと、の違いでしょうか。「知る」と、「わかる」の違いもあるかと。

    失礼しました。

  4. すとん より:

    tetsuさん

     言葉は、武器であり凶器である側面があります。かなり取り扱いの危険なものであるわけです。それでも“射程が短ければ”、その被害も小さく済みますが、Xを始めとするネットのような“射程が長い”道具を、万民誰でもが使える事に、本来は問題があるのかもしれません。

     つまり、言葉を適切に用いる事ができない人々でも、ネットで自由に不用意に発言でき、その結果として、舌禍が絶えないわけです。

     これは識字率の高さが生んだ、スマホの所持率の高さが生んだ、一種の悲劇なのかもしれません。昔々なら、言葉を適切に用いる事ができない人々は、文字の読み書きが難しかっただろうし、一昔前でも、スマホのような高価のモノを個人所有などできなかったわけで、それならば、このような舌禍事件などが起こりうることは無かったわけです。

     射程が長くて広い、言葉の暴力が日常茶飯になったのは、ネット社会の底辺が広がった事の代償なのだろうと思います。ああ20年前の、ネットが一般に普及する前のネット社会が、恋しくなります。

     懐かしの、パソコン通信時代よ!

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