歌が上手い…というのは、何かの条件があって、それに至る要素や要件等が数字や形で示せるものとかではないと思います。分かりやすくいえば、“歌上手パラメータ”のようなものがあって、それで数値化表現できる…とかではなく、あくまでも聞く人の一人ひとりの心の中に“理想的な歌”があって、その理想的なイメージを彷彿させる歌い方をするとか、聞いていて「ああ、天国だ…」と感じさせるような幸福な雰囲気で歌を歌うとか、理屈はともかく聞く人の心を鷲掴みにするような歌い方をするとか…そんな歌手の歌を聞いた時に「歌が上手いなあ」と感じるのだと思います。
つまり、誰の心にもある“上手い歌”という理想像があって、そこに近づけるような歌い方ができる事が、歌が上手くなるってことなんだと思います。そして、その心の中にある“上手い歌の理想像”というのには、個人差があって、すごく上手い歌でないと“上手い”と認定できない人もいれば、感動の閾値が低くて、ちょっとした事で「ああ素晴らしい」と感じてしまい、結果、何でもかんでも上手く感じてしまう人もいます。
上手い歌のイメージって、人によって極端に違うわけです。
だから歌が上手くなりたかったら、まず最初にやるべきは、理想となる上手い歌のイメージを確固としたものにする事です。そして、そのイメージは、上手さのハードルの高い人も世の中には大勢いるのだから、自分の中で可能な限りのハイレベルのイメージを作っておくことです。
そして、そのハイレベルのイメージ…自分が理想とする歌を歌えるように、自らを鍛え上げ、理想を追い求めることが、歌上手への第一歩なのだろうと思います。
ですから、多くの人は、理想の歌のイメージを探し求める過程の中で、自分が“上手い歌”に求めている理想が、おぼろげであやふやであった事に気づくはずです。今までは、何となく「上手い」とか「カッコいい」とか思っていただけで、それが具体的に、どんな感じで自分の心に刺さっていたのかを、上手い歌のイメージを探し求める過程で、改めて明らかにする事で、上手い歌とはどんな歌なのかに気がつくわけです。
例えば、声です。上手い歌って、その歌を歌う声の素晴らしさが、実はかなりの評価ポイントであって、その声の魅力が、歌を上手く聞かせるポイントとしては、かなりの重要ポイントであると、改めて気づくわけです。
もちろん、音程が正しく歌われる事は必要だけれど、音程が正しくてもつまらない歌もあれば、音程が多少甘くても心を打つ歌があるわけです。つまり、音程の正確さは必要だけれど、それ以上に、歌には声の魅力や表現力が必要だという事にも気づくわけです。
そして、楽譜通りに歌うことも必要だけれど、ただ“楽譜通りに歌われた歌”が、さほど魅力的に聞こえない事にも気づくのです。だいたい、楽譜というのは、音楽の記述方法としては、かなりアバウトで、その音楽の魅力を伝えるには、あまりに足りなすぎる記述方法であるのです。今の時代なら、楽譜よりもコンピューターのデータ、データよりもリアルな演奏の録音の方が、音楽の記述方法としては、より魅力的であるわけです。、
歌が上手くなりたい…そう思って前進していくと、今まで持っていた歌に対する価値観のようなモノがどんどんと変わっていく事に気づくはずです。いや、むしろ、歌が上手くなりたかったら、自分が持っている歌の価値観を積極的にアップデートしていく事が必要なのだろうと、私は考えます。
何より、自分の歌の理想像とするものが間違っていたり、他の人には受け入れられないようなものであるなら、どんな努力も徒労に終わるわけだから、作業の最初の段階である「上手い歌のイメージをきちんと決める」事って、とても大切な事なのです。
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